実践するドラッカー 実践編 第45話:働きがいに、環境も肩書きもいらなかった ― ある読書会参加者の3年間②(全3話)
事例9-2 それは、お客さんにとって一番いいことか
本記事は、実際の企業事例をもとに、人物名、社名、地域、時期、数値などを一部変更・再構成しています。
読書会で出会った一節が、Jさんの仕事の姿勢を変えました。
特別な肩書きも権限もない一人の看護師が、たったひとつの問いで病棟の意思決定を変えていく話。
「これは自分にも使える」。
Jさんはその問いを自分の言葉に置き換え、日々の仕事に持ち込み始めました。
封印していた強みにも目を向けるうちに、「辞めたい」が口癖だったJさんの言葉が、少しずつ変わっていきます。
一人の看護師の話
読書会で『経営者の条件』を読み進めるうちに、Jさんの心に深く刺さったエピソードがありました。「貢献」について書かれた第3章に登場する、ブライアン看護師の話です。
ある病院に新任の病院長が就きました。最初の会議で難しい問題を話し合い、全員が満足できる答えがまとまったように見えたそのとき、一人の出席者がこう言ったのです。「この答えに、ブライアン看護師は満足するだろうか」。議論は再び始まり、やがてはるかに野心的な、まったく新しい解決策が生まれました。
病院長がブライアン看護師のことを調べると、彼女は古参看護師の一人で、特に優れた看護師でもなく、看護師長を務めたこともありませんでした。彼女には、特別な肩書も権限もなかったのです。けれど、彼女にはひとつの習慣がありました。
彼女は、自分の病棟で何か新しいことが決まりそうになると、「それは患者さんにとっていちばんよいことでしょうか」と必ず聞くことで有名だった。(中略)何年か後には、病院全体に「ブライアン看護師の原則」なるものができあがった。みなが「目的とするものに最高の貢献をしているか」を常に考えるようになっていた。
この一節を読んだとき、Jさんは大きな衝撃を受けたそうです。
たったひとつの問いが、病棟の判断を変え、やがて病院全体の文化まで変えていった。肩書きがなくても、権限がなくても、それができる。「自分には立場がないから何もできない」と思い込んでいたJさんにとって、まったく想像していなかった可能性でした。
問いを自分の言葉に置き換える
Jさんはこの問いを、自分の仕事に持ち込みました。
「それは患者さんにとって一番良いことでしょうか」を、
「これはお客さんにとって一番良いことなのか」に置き換えたのです。
全国の家具屋さん向けにシステムを開発しているJさんにとって、「お客さん」とは店舗のスタッフであり、その先にいるお客様です。
何か判断に迷ったとき、社内で議論が起きたとき、「これはお客さんにとって一番良いことなのか」と自分に問いかける。
それを意識的に続けるようにしたといいます。
ここにも、読書会ならではの学び方が表れています。
本に書かれた言葉をそのまま暗記するのではなく、「自分に使えそうだな」と思った言葉を見つけて、自分の現場に合うかたちに変換する。
Jさんはまさにそれを実践していました。
第1話でお伝えしたように、Jさんはもともと本が大嫌いです。
読書嫌いで、字を読むのも苦手だといいます。
『経営者の条件』を読み始めるときも、「読むの嫌いだから、読まなくていいかな?」という反応でした。
それでも、「読まなくていいから、自分にピンとくる言葉を見つけてみて」と促されて取り組み始めたところ、ブライアン看護師の問いに出会いました。
読書嫌いのJさんだからこそ、一冊を隅々まで読むのではなく、自分に響く一節を見つけてそこに集中するやり方が合っていたのかもしれません。
封印していた強み
Jさんの変化を後押ししたもうひとつのきっかけが、ストレングスファインダーとの出会いです。
読書会に参加する中で、自分の強みを知るためにストレングスファインダーを受けました。上位に出てきた資質は、「社交性」「コミュニケーション」「親密性」「ポジティブ」など、外に向かって人と関わる力が並んでいました。
ところが、結果を見たJさんの反応は複雑だったようです。
かつてJさんは、システム開発の仕事をしながらも、現場に足を運び、お客さんとよく話をしていました。
人と関わることが自然にできていた時期があったのです。
けれど、管理職での挫折を経て、人と深く関わることを自分から遠ざけるようになっていました。
「自分はそれはダメだ」「できない」。
そう思って蓋をしていた部分に、ストレングスファインダーが光を当てたかたちです。
資質の結果を見て、Jさんはこう振り返ったといいます。
「昔は確かに、現場に行って、よくお客さんと話していたんだよね」
その言葉には、懐かしさと、少しの悔しさが混じっていたのかもしれません。
人と関わりながら学ぶ
ストレングスファインダーの結果を受けて、Jさんは少しずつやり方を変えていきました。
「ちょっと人と関わりながらやろうかな」
そう言って、読書会での関わり方も、仕事への取り組み方も、変化が見え始めました。社交性やコミュニケーションといった資質が、学びの場でも仕事の場でも自然と生かされるようになっていったのです。
もともとJさんには、人の面倒をよく見るところがあります。何か質問をすると、翌日か翌々日には調べた結果を三つも五つも返してくれる。新人の社員にも、頼まれた以上のことを自分から関わっていく。本人はそれを意識していないようですが、周囲から見れば明らかに「おせっかい」で、そしてそれがJさんの持ち味でした。
封印していた強みの蓋が、少しずつ開いていったのだと思います。
「辞めたい」が消えた日
読書会に参加してから一年半ほどの間、Jさんはずっと「会社を辞めたい」と言っていました。
辞めて、自分で何か仕事を始めたい。
起業したい。
そんな話を繰り返していたのです。
ところが、あるときからその言葉が出なくなりました。
「やっぱり辞めるのをやめた」
Jさんはそう言いました。
定年まであと数年。その期間を「助走期間」と捉えることにしたといいます。一年や二年で何かを成し遂げようとするのではなく、コツコツと積み上げていく。そのうえで、いずれ副業を始める準備も少しずつ進めていく。そういう考え方に変わっていました。
この変化の背景には、読書会で重ねてきた実践がありました。
ブライアン看護師の問いを自分の仕事に持ち込み、「お客さんにとって一番良いことは何か」を考え続けるうちに、自分がやっている仕事の意味が見えてきたのだと思います。
会社の社是も、最初は「覚えていない」と言っていたものが、今では自分の言葉で語れるようになっています。
仕事の紹介の仕方も変わりました。
かつては「社内でシステム開発の仕事をしている」としか言わなかったのが、「全国の家具屋さん向けにシステムを開発している」と言うようになったのです。
同じ仕事をしているのに、見える景色が変わった。
視点が内向きから外向きに変わったことで、仕事そのものの捉え方がまるで違うものになっていったのでしょう。
「今の仕事が好きなんだよね」
あるとき、Jさんにこう聞いてみました。
「なんで辞めるのをやめたの?」
すると、Jさんはこう答えました。
「よくよく読んだら、理念も悪くないし、私、今の仕事が好きなんだよね」
好きなことができる環境にいるだけでありがたい。
だから辞める必要もないし、今は辞めようと思っていない。
会社に何ができるかを頑張ってやろうと思っている――。
思い返せば、第1話で描いた頃のJさんは、「自分は会社に必要とされていない」と感じていました。
会社のことを語る言葉は愚痴しかなく、理念も社是も覚えていませんでした。
それが今、「今の仕事が好き」と言っている。
環境は変わっていません。肩書きも変わっていません。
変わったのは、Jさん自身の眼差しです。
主体性を取り戻したことで、同じ場所にいながら、まったく違う景色が見えるようになった。それが、Jさんの二つ目の変化でした。
【今日の問い】
Q:あなたが仕事で迷ったときに正しい立ち位置や思考に立ち返るために、問い続ける問いがあるとしたら、それは何ですか?
ブライアン看護師は、「それは患者さんにとっていちばんよいことでしょうか」という問いを持ち、それを問い続けていました。Jさんはそれを、「これはお客さんにとって一番良いことなのか」と自分の言葉に置き換えました。
ドラッカーは、「正しい答え」を探すのではなく、「正しい問い」を見つけ、使い続けることを推奨しています。正しい答えは、時代や環境や状況によって変わりますが、正しい問いは、状況が変わっても自分を正しい方向に導いてくれるからです。
借り物の言葉でなくていい。自分の仕事に合うかたちに変換して、問い続ける。Jさんがそうしたように、まずは「ピンとくる問い」をひとつ探してみるところから始めてみてはいかがでしょうか。
次回、第3話「最近、なんか言うことが違う」では、Jさんの変化が周囲に波及していく様子と、セルフマネジメントの"向こう側"にあるものを描きます。
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