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映画「ブルータリスト」トランプとゼレンスキーに似ていなくもなくもない

見たのは2月24日なんだけど、3月2日の今日、この映画について書くとどうしても、昨日のホワイトハウスでの米ウ大統領会談と重ねてしまう。アメリカという国の本質、そしてアメリカとヨーロッパとの微妙な関係を考えるための映画とも言える。
主人公ラースロー・トートはハンガリーに住むユダヤ人建築家だったがナチスに排斥され第二次世界大戦終了時に命からがらアメリカに逃げてくる。妻と姪は残したままだ。ペンシルバニアに住み着いていた従兄弟を頼ったが誤解から仲違いし肉体労働で食いつなぐ。彼の建築家としての実績を発見した富豪ヴァン・ビューレンはコミュニティセンターの設計を依頼する。やりがいを感じたトートは妻と姪を探し当てて呼び寄せ、建築家としての全経験を昇華させようとする。だが予算の壁や地元からの反発などで思うように進められない。果たして彼は建築家として思いを遂げられるかが、ヴァン・ビューレンとの関係の軋みとともに描かれる。

これはハンガリーから来た異才がヴァン・ビューレンに代表されるアメリカ社会に受け入れられるかの物語だ。受け入れられるかの映画なのだから結論は見えている。最初から漂う重く悲しいトーンから、受け入れられない結論を観客は感覚的に予感しているのだ。では最後に物語はどうカタルシスをもたらすのか。なぜわざわざ無口な姪を配置しているのかも含めて、この映画の焦点だ。それは見てのお楽しみ。
それにしても移民の国アメリカは移民の国なのになんと排他的なのかと思う。様々な民族がやってきてできたはずの国なのに結局、支配層であるWASP(White, Angro-Saxon, Protestant)から外れた人々は弾いてしまう。だからラースローの従兄弟のように名前を英語っぽくし必死に同化しようとする。訛りを直そうともしないラースローはずっと異人だ。
それでも彼は受け入れられようと頑張る。観客は到底無理なのは分かっていても受け入れられますようにとハラハラ見守る。だから強い緊張感を映画は保つ。ヴァン・ビューレンはラースローを心から尊敬し、周囲にもそうするようにと言うが、お目付け役に別の建築家をつけて予算を抑えようとする。その建築家はジムという明らかにアングロサクソン系の男だ。
ラースローはヴァン・ビューレンもその家族もまったく好きになれていない。でも自分の建築を実現させてくれる一家だから受け入れてもらいたい。ラースローの行動はそもそも矛盾しているのかもしれない。
そんなどこか屈辱的な関係が、どうしても昨日のホワイトハウスでのトランプとゼレンスキーに重なってしまうのだ。ロシアに停戦を破らせない具体的な約束がないのなら停戦協定は進められない。なぜそれがわからないのかと憤るゼレンスキーはまるでラースローだ。なぜこの素晴らしい建築プラン通りにさせてもらえないのだとイラつく。
同じようにヴァン・ビューレンは、あなたの言う通りに作らせているじゃないか、一部予算を削らせたけどな、と本当はラースローのプランの良さを理解していない。それとトランプがあなたはカードがないのになぜ停戦を進めないのかとゼレンスキーを責める様子は本当にそっくりだ。
アメリカは結局はヴァン・ビューレンでありトランプなのだ。バイデンだって今や怪しいものだ。建前を繕っていただけで本気でウクライナの味方をしてたわけでもないのではないか。ヴァン・ビューレンがうわべではラースローを尊敬してたのと同じように。だってバイデンは一方でイスラエルのガザ侵攻を止める気配さえなかった。
国際政治の話はもうやめておこう。ただアメリカに救いがあるとしたら、この映画を作った監督ブラディ・コーベットがユダヤ人でも何でもないことだ。そもそもラースローは架空の人物で、この映画は「based on a true story」ではまったくないのだ。ユダヤ人がアメリカでのユダヤ人の孤独を描くために作った映画ではない。そうではなく、アメリカ社会には排他的な面があると、アメリカ人がユダヤ人に名を借りて描いたことが面白い。そしてアメリカ人の中にもアメリカ人は排他的だとため息をつくことがあるとわかることはこの映画の救いだ。そしてこうした映画が上映されることでアメリカ人たちがそのことに気づいてくれるなら、この映画には社会的に大きな価値があると思う。
この映画のヴァン・ビューレンとラースローはそのまま、映画への出資者と監督の関係でもある。あなたの映画は素晴らしい、あなたの好きに作ってくださいと言っておきながら、好きに作らせない。本当に映画作りって嫌になる。多分コーベット監督が言いたいことはそれに尽きるのだと思う。そんな個人的な愚痴をこんなに壮大な物語にしてしまうコーベットはまだ36歳だ。すごいな、こいつ。次回作はぜひとも、彼の好きなように作らせてやってほしい。
100分の前半が終わると15分のインターミッションがあり、100分の後半が始まる。インターミッションがある映画もたまにはいいと思う。それに長くても決して飽きさせない。でも休憩抜きではしんどかったかもしれない。見ると午後が潰れるが、その甲斐はある。明日のアカデミー賞発表がが楽しみだ。

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