ルーティンについて
まずは狭いところに行くことだ。
なるべくトイレやキッチンなど狭いところが良い。もし狭いところが無いのなら壁などに身体を預けるだけでも良い。
もし運転中や人前ならこれは必要ない。
そして己の手の甲を逆の手でサスサスさすりながら。
「もう大丈夫、もう大丈夫」
と虚空に向かって唱えるとさらに良い。
この時視線は出来るだけ斜め上斜め45度程度に固定すること。
そして何より大事な事は、己が壁にとまった蠅だと思う事である。
蠅は何も考えない、ただ壁に止まり前足をコシコシさするだけである。自我などない。そこが良い。
何の話かって?考え事の最中地雷を踏んでしまい、突然目の前に嫌な思い出が浮かんだ時や、心配事に心が支配されてしまった時に心をリセットする為のルーティンである。
またデタラメをと思うだろうが本当にあるのだ。
名をフライ・オン・ザ・ウォールと言う。これを自己流にアレンジしたものだ。
色々と限界を迎えていた頃、良くやっていたライフハックだが、ここ最近またお世話になりそうになっていた。
柄にもなく従姉妹に連絡をし、従姉妹と叔父さんが住む家へ家族で泊まりがけの滞在を計画したのだ。
叔父さんは去年父の家に遊びに来ていたので一年ぶりの再会だが、従姉妹とは7年前親戚の集まりでちょっと顔合わせしたぶりくらいだ。
従姉妹の家へ行くのなんて中学以来である。
そもそも気にしぃな性格だ、ひょっとしてとんでもない迷惑な事をしているのではないかなどと考えてしまう。従姉妹の家へ向かう道中、頭の中で従姉妹が言う。
「まったく連絡もちっともよこさないで、梨の礫だった癖に突然遊びに来るだって?いまさら何の話をするのさ。いわんこっちゃないお葬式みたいな雰囲気になってるぞ。」
罪悪感に弾かれて、ハンドルを握ったまま「ひぃー、ごめんなさいごめんなさい、もう大丈夫もう大丈夫」と口に出す。完全に様子のおかしい人だ。助手席に座る娘が編み物をしながら訝しげな目線をこちらに向ける。
noteではなるべく素っ裸でいたいと考えているので書くのだが、子供が出来たら普通はママ友パパ友なんかが出来て家族ぐるみで出かけたりするのだろう。そういうのが出来ない。普通の人に対する劣等感が強すぎるのだ。
今考えれば普通の定義にも疑問符が付くがここでは一旦置いておく。
普通のパパやママと出くわすと、想像上のパパやママが私に対して一言二言物申し始めるのだ、先程の想像上の従姉妹のように。
そうして勝手な劣等感を抱き、噛み合わない会話が始まる、勝手に回し車を回すハムスターのように空回りを始め、相手の苦笑いと共にその場を逃げ出すように後にする。
そうしてプラトーン宜しく「俺は!天気の話も!できゃしねぇ!」(CV:玄田哲章様)と天を仰ぎ、劣等感はさらに強固な物になって行く。
石橋を叩いてぶっ壊すのだ。
対して妻は当たり障りのない会話をした上で「めんどくせぇ。」と堂々と人付き合いをぶった切っていく。
妻の潔さが羨ましい。
そんなわけだから我が家は家族ぐるみの付き合いは義妹家族ぐらいである。義妹には人のガードを下げさせる不思議な魅力があるのだ。しかし自分の兄弟は脳内一言二言が始まってしまう。年一度集まるくらいでまともに付き合っていない。
話を戻すが、そんな人間である。血の繋がった相手であっても、付き合いが久しく無かった親戚と会うことが、どれだけ勇気の要ることであったかは伝わっただろうか。
そうして、訪問が決まってからと言うものの、私は話題をどうするかとひたすら考えていた。
最後にあってから自分の人生を棚卸しし、noteで記事の下書きをするみたいに脳内で話題を書き溜めて行った。
親戚の家に行くまでも、家族と会話しながら脳内はその事で一杯だった。これは踏み込み過ぎか、反応に困るんじゃないか、嗚呼どうしよう、そんな調子である。
そうして迎えた当日、夕飯のテーブルを囲んでみると、従姉妹と叔父さんだけでなく成人した従姉妹の娘と息子と従姉妹のパートナーまでいた。
皆でテーブルにつき、「いただきます」を言う。私はもう夕飯どころではなかった。
終わりだ。この世の終わりだ。こんなバラエティーに富んだ相手を退屈させないトークショーなんか私に出来るはずはない、私の話題は完全にから回りの兆候を見せ始めている。脳内でハムスターが回し車を回し始める。今にも「カラカラ」という音が聞こえてきそうだ。回し車は何処へも向かわない。
かくなる上は酒に逃げる他無い、さっさと酔いよ回ってこい。リラックスした様子の従姉妹とは裏腹に私はガチガチに緊張して、祈るように両手で握ったビールを煽る。やはり様子がおかしい人である。
しかし、実際に夕飯が始まって時間が経つと、殆ど従姉妹たちの独壇場だった、従姉妹と従姉妹の娘が場を盛り上げる、「お前最近どうしとるん」と質問をされ、事前の準備もすっかり忘れて「あの、ぼっ、ぼちぼちよ、仕事もまぁまぁだし」糞つまらない返答をするが、それでも従姉妹は「なんの仕事しとるん」と興味深げに私の話を聞く。
どうやら自分が何でもないと思っていた事でも他人からしたら興味深い事もあるらしい。
娘と妻が噛み合わない会話を繰り広げ、私は「ひぃっ」と下唇を噛むが、妻達のやり取りを見て親戚たちが笑う。
あっという間に時間は過ぎていった。
杞憂だった。
酔っ払った私を捕まえて、さらに酔っ払った叔父さんが思い出話をする。それを見て従姉妹が「この爺さんは酔っ払うとおんなじ話ばっかりしよるんよ」と毒を吐く。
結局叔父さんに酔い潰されて気を失い、風呂も入らずに寝てしまった。妻の話では座ったまま気絶する私に叔父さんが話し掛け続け「お前、話、きいとるんか?」と何度も言っていたらしい。翌朝もどうでもいい話をしながら出かける準備をしている内に出発の時間になってしまった。
従姉妹の家から別の滞在先への運転中も、家族で眺めた花火大会の途中も考え込んでしまった。脳内で親戚たちとのやり取りを振り返りながら思う。
私は一種の呪いにかかっているのかもしれない。会話はどうにかして楽しいものに自分がしなきゃいけないと考え過ぎているんじゃないか?
出社中の一コマが脳裏に浮かぶ。最寄り駅から会社までの道すがら、後輩に話しかけられればひたすらに話題を提供し続け、一方的にしゃべくり倒す。無言の間が何よりも恐ろしいのだ。
ゲラである後輩が笑っている様子をみて安心し、廊下で分かれてから深い溜息をつく。なんだか無理に頑張りすぎている。
もうちょっと相手に委ねたって良いのではないか。
親戚との夕食を通してそんな風に考えた。
皆きっとこういう人付き合いを努力して、さっさと済ませて大人になっているのだ。自称人見知りとして生きてきたが、なぁーんかひょっとしてそれってダサくなぁーい?なんて思ってしまった。しかし自称人見知りとして生きてきた期間が長過ぎる。
すぐにはどうにもなりそうにないが、ちょっとずつでも人と関わる機会を増やせたら良いな、等と考えながら帰り道のハンドルを握っていた。
もしかしたら壁の蠅にお世話になる事が増えるかもしれない。
エッセイしりとりバトンを頂戴しましたので丁度書こうと思ってたもの書いてみました。
今回バトンを渡して下さったのは、ご近所疑惑が巻き起こっている桃瀬めぐさん。
桃瀬さんの記事、おもしろいんですよ。
まず、カッコ付けてないんです。全部書いちゃうんですね。誰もが抱いていてもあえて表に出さない心のモヤモヤを。それを絶妙なユーモアで包んで差し出してくださいます。カッコいいなーなんて思いながらしみじみ読ませていただいております。この記事も必見です。もっと皆に読んでほしいななんて勝手に思ってます。
そしてバトンを渡させていただきますのは私がnoteを始めた頃からお付き合いさせていただいてますゆきぽさんです。
ゆきぽさん、優しいんですよ。読んでて心が洗われます。
闇夜の便所虫みたいにジメジメと生きている私からしますと、読んでいてたまに「ハーッ!」って日に当たったドラキュラのように溶けそうになります。あとゆきぽさん、めちゃくちゃ何でもトライされます。SUNOどうですかーなんて言ったらあっという間に一曲つくってらっしゃいました。何にでも興味津々なステキな方です。
優しい人柄のあふれる記事達、ぜひ読んでみて下さい。
エッセイしりとりのルールはこちらです。
①バトンを渡した人の記事のタイトルの最後の文字をタイトルにつける
②本文は140字〜3000字
③期間8月31日まで
④「#エッセイしりとり」のタグをつける
⑤3名以内で次の人に繋げる(繋げなくてもいい)
ちゃんと紹介できてるでしょうか。下手くそですいません。
というわけで、次のバトンは「て」です、ゆきぽさんよろしくお願いいたしま~す!
