亀吉くんと、ピーちゃんと
「会わせたい子がいるんだよね」
母がそういって、とつぜん見知らぬ亀をつれて帰ってきた。飼えなくなった友人から引きとったのだという。
あまり大きな声ではいえないが、正直、「亀かぁ……」と思った。小学生だった当時、実家には猫が2匹いて、わたしはその猫ズをこよなく愛していた。うちの家族構成としてはこれで完全体でしょう、という気持ちでいた。4人(人間)と2匹(猫)。ちょうどいい。
猫は、毛があったかいし、コミュニケーションもとれるし、膝の上でミャンミャン甘えてくるので、分かりやすくかわいい。しかし亀には毛がないのである。重くて冷たいし、表情はのっぺりしているし、ちょっと臭い。わたしは亀との適正な距離感と愛情の注ぎ方を知らなかった。
とはいえ、まずは名前をつけるべきだろう。どんな名前にしようかと、しかしわたしは悩まなかった。「亀吉くん」一択だった。だって、亀なのだ。亀といったら、亀吉くん。優柔不断な人生を送りつづけているわたしだが、それは数少ない、直感と納得感がハグし合う完璧な命名だった。
「亀吉くんでいいよね」
自分に命名権をゆだねられているわけではないのに、相談というよりは確認として家族に伝えた。まっすぐに、それがベストオブベストネームだと確信していたのだ。対抗馬はおらぬか、と見渡すと、名乗りをあげるものがいた。母だった。
「うーん、でも緑色だし、ミドリちゃんの方がかわいくない?」
わたしは絶句した。辞書作りに関わる方と知り合う機会があれば、「カルチャーショック」の例文に、この体験を捧げたい。
亀の性別は不明だったので、たしかに"ちゃん"がフィットする可能性はじゅうぶんにある。ただ、わたしが推す「亀吉くん」の「くん」は概念としての「くん」であって、性別のそれではない。そもそも問題は性別ではなく、ビジュアルとの相性が悪すぎる点にあった。母には見えないのだろうか、ごちごちに武装した甲羅が。刺青を思わせる柄がびっしり入った皮膚が。亀、ビジュが極道すぎ。あと、色でいうなら、亀ってみんな緑じゃない?
しかし、母の攻防の結果、というより、母がお世話するたびに「ミドリちゃん、ミドリちゃん」と呼んでいたことでなし崩し的に、亀吉くんの名前は「ミドリちゃん」に着地した。表向きでは合わせて呼んだけれど、わたしは心の中でひとり、亀吉くんと呼びつづけたのだった。
亀吉くんとの日々に慣れはじめたある日、とつぜん、新しい家族候補がやってきた。小さなニワトリが、庭に迷い込んできたのだ。亀といいニワトリといい、わが家にやってくる命たちは、どうしてこうも登場が唐突なのだろう。
田舎とはいえ、まわりはわが家と同じような建売住宅が並ぶ新興住宅地で、ニワトリを飼っている家があるという話は聞いたことがない。母は飼い主を探して近所を聞いて回ったらしいが、結局分からずじまいで、迷子のニワトリはそのままわが家の一員になった。
母はそのニワトリに、「ピーちゃん」という名前と小屋を与えた。4人家族と2匹(猫)、そこに1匹(亀)と1羽(鶏)。ふつうに大所帯である。
猫にばかり愛情を注ぐわたしとちがって、母は全方位に対して最大限のお世話をした。そのおかげで亀はスクスク育ち、スクスクスクスク育ち、スクスクスクスクスクスクスクスク……え? 育ちすぎじゃない? と不安になるほどに巨大化した。水槽の中でじっとしていても、好物のエビのしっぽを放り込むと目をカッ! と見開いて、獲物を抱え込むようにしてバリボリ食べる。たくましかった。「好きだな、この亀」と思った。
まだほんの小さなニワトリだったピーちゃんも、蝶よ花よニワトリよと愛されて育つうちに、卵を産むほど成長した。卵といっても、親指の爪ほどのサイズの柔らかい殻を持つ、おままごとのような卵だ。それでも母は、「ピーちゃんったら……すっかり一人前になって……」と涙ぐみ、その産みたてホヤホヤの卵を、大切に、大切に、引き出しにしまいこむのだった。
休日の晴れた日には、1匹と1羽を庭に放ち、たっぷりと散歩をさせた。甲羅を陽にさらした亀吉くんは、うさぎへの勝利を予感させる堂々たるスピードでわしわし前進する。そのまわりを、今度はピーちゃんが、自由気ままについばみ歩く。
平和だった。極道のようだと震えた亀の皮膚の模様も、見慣れればかわいいものである。ニワトリにしてみても、野良猫がやってくると「コーッコッコッコココッ!」と激しく母を呼び、抱っこしてやればホッとその身をゆだねてくる。4人(人間)と2匹(猫)と1匹(亀)と1羽(鶏)。種を超えた信頼関係が、家中そこかしこに築かれていた。
しかし、出会いが唐突なら、別れもまた唐突である。
晴れた休日。いつものように、庭でお散歩をする1匹と1羽を見守りながら、母が水槽を洗っていたときのことだった。
ふいに、ドスン! という音と、ピーちゃんの「キェーッ!」という悲鳴が庭中にとどろいた。母が慌てて駆けつけると、庭のテーブルの真下で、ピーちゃんが弱々しく横たわっている。すぐ隣には、テーブルの上で日向ぼっこをしていたはずの亀吉くんの姿がある。なんということだ。テーブルから亀が落ち、たまたま下にいたニワトリを直撃したのだ。母はピーちゃんを抱き上げたまま顔をこわばらせ、超特急で動物病院に連れて行った。……が、だめだった。ピーちゃんは獣医さんの腕の中でカックリと首をかしげ、その短い生涯を閉じたのだった。
母はずいぶん落ち込んだことだろう。愛情をかけて育てていた同士の事故ゆえ、複雑な気持ちもあったはずだ。それでも、亀の水槽の水を替える手つきはいつでも優しく、エビのしっぽが出るたびに、「今日はごちそうだよ〜」とほほえんだ。亀吉くんは、やはり目をカッと見開き、荒ぶりながら食べた。命を燃やしつづけていくものだけが持つ荒ぶり方だった。
わたしが中学生になり高校生になり、18歳で実家を出てからは、猫ズも順番にピーちゃんのもとへと旅立ってしまった。亀吉くんだけが淡々と、彼(もしくは彼女)の人生を重ねていた。
実家に帰るたび、亀吉くんはさらにじわじわと巨大化して、今では岩? と思うほどである。しかし、エビのしっぽを差し出しても、あまり反応しなくなってしまった。亀は万年というけれど、あの荒ぶる食べっぷりが見られないと、少しさみしい気持ちになる。
庭は、家族のライフステージとともに駐車場へと姿を変えた。水槽が手狭になり、子ども用のビニールプールほどのサイズのおうちに住まいをうつした亀吉くんだが、わしわし歩く姿は久しく見ていない。
帰省すると、庭の跡地に車を停める。そのたびに、かつて1匹と1羽がなかよくお散歩をしていたあの光景を思い出しては、ぼんやりと懐かしく、そして切なく、胸の中がほうっと揺れるのである。
#エッセイしりとり のバトンを繋ぐため、「か」から始まるエッセイを書いてみました。
#エッセイしりとりの概要は、マイキーさんの記事にて。おもしろい試み! 参加できて楽しかったです。
期日的に、かなりギリのギリになってしまったため、わたしのバトンはここでそっと置こうかと思います。
バトンをくださったマイトンさん、企画者のマイキーさん、ありがとうございました!
