【自己紹介】noteで400記事書いてわかった、僕が本当に表現したかったもの
はじめに
はじめまして、あるいはお久しぶりです、あるいは今日も素敵ですね。 気づけばnoteを始めて4年、この記事でちょうど400本目の投稿になりました。
4年で400記事書いて10万ビュー。
数字だけを見れば、大きな成果とは言えないかもしれません。むしろ大量の記事たちに「もっと上手くできたよね……」と陰で囁かれている気すらしています。
それでも、400本も書いてきたからこそ、掴めてきたものもあります。『自分は何を書こうとしていたのか』という問いへのささやかな答え。今回はこれを節目と捉え、一度立ち止まって言葉にしてみようと思いました。
どうやら僕が表現したかったものは『ユーモア』であるらしい。
そしてその出発点は『特別なもの』ではなく、自分の日常にある『小さな違和感』や『ささいな疑問』といった、すぐそばの手の届くもの。
きっかけには、僕が仕事を辞めるほど苦手だった、ある「シリアスな空気」があります。
今回は、そんな僕がどんな人生を歩いてきて、なぜ『ユーモア』について考えを巡らせるようになったのか。そして、これから何を試していきたいのか。
400記事目という節目に、少しだけ振り返ってみようと思います。
400記事から見えてきた『ユーモア』
こんなにユーモア、ユーモア言っていますが、僕は最初から「ユーモアについて考えよう」と思っていたわけではありません。
過去の記事を自分なりに分析してみると「テーマの統一感のなさ」や「ターゲット設定の甘さ」など、反省点は山のように浮かびます。
一番アクセスの多い記事が「カメムシ対策に『おにやんま君』を連れてきたら。」だったりするのも、実に僕らしい。今でもたまに「このアカウントは『カメムシ駆逐系noteクリエイター』に舵を切るべきだったのではないか」と本気で葛藤していたりいなかったり。
ですが、この4年間は、僕にとって様々なものをもたらしてくれた時間でした。
たくさんの魅力的なクリエイターに出会い、巧みな文章に打ちのめされ、時には交流ある方の作品を拝借し二次創作をしたり、立ち上げた自分の企画でお腹を抱えて笑わせてもらったり。『知的変態』という栄誉ある称号もいただけました。
そうして表現に触れるたび、僕の中でnoteという世界がどんどん拡張していきました。
「やっぱり僕はこの場所で、表現をしていたい」
広告のないシンプルなデザインの画面に向かうとき、いつもそんなわくわくを感じます。
思いついたことを何でも表現できるnoteという世界。しかし不思議なことに、自分の記事を振り返っていると、ある地点に何度も戻ってきている自分に気づきました。
それこそが『ユーモア』だったのです。
「シリアスな世界」
少しだけ、僕自身のお話をさせてください。
生まれは石川県金沢市。 6人家族の長男で、地元の高校を出た後は両親の影響で、調理の道に進みました。
しかし新卒で入った調理場は、ただただ「シリアスな世界」でした。ミスは許されず、常に張り詰めた空気のなか、ひたすら手を動かすだけ……。
今でもときどき、あの朝のことが鮮明に蘇ることがあります。最寄りの新高円寺駅のホーム。地下鉄特有のぬるい風。自分が乗らなくてはいけないはずの電車を、見送るしかできなかった。
『もう、あそこに行かなくてもいいんだ』
うつ病と診断され、僕は逃げるように仕事を辞めました。私物の包丁を取りに行くことすらしませんでした。
その後、高円寺の書店で8年間勤め、地震のあった故郷の石川に戻り、1年。リゾートバイトで湯河原、松本、新宿のホテルを巡り1年。
そして、気づけば30歳。
同世代と飲みに行くと、「キャリアアップ」「資産形成」「部下の扱い方」といった話題が飛び交い、自分の歩いてきた道とのズレを感じることが増えました。僕の手元には立派な受賞歴や資格はおろか、名刺すらありません。
「シリアスな世界」を解きほぐす『ユーモア』という技術
調理場を辞めて途方に暮れていた頃、僕に残されていたのはゲームや小説、漫画、映画といった『創作の世界』でした。やがて「自分も何かを創りたい」という欲求が芽生え、2022年にこのnoteへと辿り着きました。
そこからの4年間、僕ががむしゃらに書き続けてきたものの正体。いま振り返ってみると、それは『ユーモア』でした。
張り詰めた空気、逃げ場のない緊張感。そういうものに押しつぶされそうになったとき、僕を救ってくれたのは「妄想」や「冗談」でした。僕にとってそれらは、単なる思いつきの悪ふざけではなく、現実とつながるための合理的な術だった。
僕が考えていきたかったのはどうやら「シリアスな世界」を解きほぐす『ユーモア』という技術だったのです。
小さな失敗、ささやかなストレス、あの人の一言。
そういう「日常」をすくい上げ、丁寧に観察し『ユーモア』をもって表現する。世界をただシリアスに受け止めるのではなく、少しだけ屈曲させて、自分らしく再構築する。
「これがAyatoという人間にとっての『表現』であり、他人や世界と関わり、愛するための技術なんだ」
積み上げた自分の400記事に、そう教えられました。
『ユーモア』は実験だった
「自分も何かを創りたい」という初期衝動から始まったこの場所で、これからはもう一歩先へ進みたいと考えています。
これまで積み上げてきたものを振り返ると、そこには『ユーモア』という軸がありました。ほとんど雑多に書いてきた小説やエッセイといった作品たち。これからは意識的にこの『ユーモア』に軸足を置いてみる。
自分の中に湧き上がる『ユーモア』、そしてそれを作品として成立させるための『技術と論理』、という両方の面を深く追求していきます。
息苦しい「シリアスな世界」を解きほぐし、読む人の心をほんのすこしでも軽くするようなものを目指して。僕は直感と論理を研ぎ澄ませていきます。
『ユーモア』そのものを正面きって考える。そう宣言してしまうと、おかしく感じられるかもしれません。しかし僕は根がとんでもなく真面目な人間なのです。
1.『日常✕ユーモア』
日々の生活のなかで見つけた小さな違和感や出来事を拾い上げ、そこから自分自身の思考や感情をエッセイで描く実験。
2.『ユーモアの技術と論理』
『ユーモア』の試行錯誤について。その過程も、できるだけ飾らずに記録していく。
最後に
そろそろ『ユーモア』という単語がゲシュタルト崩壊しそうなので、この辺で着地させることにしたいと思います。
仕事でも、人間関係でも、創作でも、家族とのLINEひとつとっても「ちゃんとしなきゃ」と、いつの間にか肩に力が入ってしまうことがあります。
そんなとき、別に大きな答えはいらない。
ただ、少し見方を変えてみる。
くだらないことをちょっと考えてみる。
どうでもいいことを、立ち止まって真剣に眺めてみる。
そんな『ユーモア』が、現実を少しだけ軽くしてくれるのではないか。僕はこれから、自分の文章で試していきたいと思っています。
あるいはこれは、「シリアスな世界」への、ちょっとした反逆であるのかもしれません。『ユーモア』について考えながら、生きていけるのか。雲行きが怪しいですが、まあ、やってみます。
また、個人的に『ユーモア』の威力を感じた記事を選んでみました。お楽しみいただければ幸いです。
▼ふとした一言をこねくり回す。
▼とんでもない事実を発見する。
▼違和感を最大化。
もし面白がっていただけたら、この『ユーモア』という実験、うまくいっているのか失敗しているのか、スキやコメントでフィードバックしていただけると嬉しいです。『カメムシ駆逐系noteクリエイター』にならないためにも……。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(2026/09/14 Ayato)
……ちなみに、書くことやユーモアについて、もう少し夜更けまで話してみたい方へ向けて、「書き手の終電後」という場所も開店しました。まだ棚には何も揃っていませんが、これから少しずつ、面白いものを持ち込んでいこうと思っています。
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