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僕にはもうひたすら、謝ることしかできない

日常を送っていると、物書きらしく「これはエッセイになりそうだ」という思考が急に発動するときがある。

けれども、いざ机に向かうと急に手が動かなくなる。ネタ探しのつもりで街をウロウロしたり家事をしたりすると、創作の種はあちこちにあるのに。頭の中には傑作のイメージできているはずなのに。書く段になるとそこには「こういう話をしたいんじゃない」という違和感だけだ。



「土日って、なんか予定あるっけ?」

そう聞いたとき、彼女に呆れたように言われた。

「それ、聞かれるの三回目」

当然、僕だって忘れようと思って忘れているわけではない。そんな都合のいい才能があれば、僕のメンタルはもっとしなやかで強靭なはず。

いま、僕は家のあれこれを任されていて、食事の管理も担当している。パートナーがどのタイミングで何をどれくらい食べるのかを知っておくのは重要な責務だ。今日はわかめスープだけでいいかなと考えている彼女に、特製牛すじカレーなんて出そうものなら予定が大幅に狂う。彼女は喜んで食べてくれるだろうが。

それにしても、三回である。いくら忘れっぽいからといって許される回数ではない。「仏の顔も三度」と言うが、僕のパートナーは仏というよりもどちらかというとギリシャ神話の神々っぽさがある気分屋なので、一度のミスで速やかに罰が下ることもありえる。この暑いなか、岩を背負って何度も山を登る未来なんて想像したくもない。



自分の忘れっぽさは、他の場面でも痛感する。

アニメや漫画を人と語るとき、「あのとき、こうだったよね」という前提をそもそも覚えていない。最近も『ブルーロック』をパートナーに勧める傍ら一緒に視聴し、既知のはずのストーリーを辿ったのだが、僕の頭には「どの試合でどっちが勝った」という漠然とした記憶しかなく、自分で自分に絶望した。

フィクションならまだいい。たちが悪いのは、数ヶ月前まで働いていた職場のスタッフの名前や顔が、十円玉で削るスクラッチの銀の目隠しみたいにかすれて消えかかっていることだ。スクラッチであれば削ったあとに何かしらの結果が出てくるのでワクワクもするものだが、僕の記憶は削られたところで無限の虚無が広がっているだけ。まったくワクワクしない。

自分という人間が、何かとんでもなく非道徳な存在に思えてきて不安になる。僕にはもうひたすら、謝ることしかできない。ごめん。

でも、一度通ったはずの作品を、初体験のような新鮮な熱量で一緒に楽しめるのは「いいこと」という気もしている。どうか大目に見てやってほしい。『ブルーロック』然り、『ゴールデンカムイ』然り、『スパイダーマン』然り。

なんだ、じゃあ僕の忘れっぽさは、赤マントのイギリス人魔法使いに忘却の魔法でもかけられたせいなのか? それなら今日、道でやたらこっちを見てくる青年がいると思ったら、あれはピーターなのか? 尻ポケットにくしゃくしゃの台本を突っ込んで「ブラン・ニュー・デイ」ってわけか?

そもそも、引用や知識をすっと出せる記憶力のいい人は何なのだ。定期的にクラウドサービスに接続してバックアップしてるのか、身体のどこかに外付けメモリでも接続しているのか。



ただ、これは僕だけの問題ではないと思う。僕以外にも大切なことを忘れ、周りに迷惑を引き起こしてきた「呪われし忘却者」が大勢いるはずだ。いるに違いない。いてくれ。

そんな迷える「忘却者」たちに、ここはひとつ、有益なノウハウを置いておこうと思う。これは、ここまで読んでくれた、もう記事の冒頭に何が書いてあったか思い出せないようなあなたに向けたとっておきだ。

『何かに書け』

たったそれだけだ。LINEかメモ帳か。想像しろ。おまえはどうせ忘れるんだ。昨日のこと、明日のこと。思い出せ。おまえが思い出せなかったときのことを。だから、ほら、ここに、いま、書くんだ。

『土曜は昼も夜も一緒に食べる』

そうだ。いいぞ。これで忘れない。ところで、あれ。彼女がいるのは土曜じゃなくて日曜だったっけ。


     (2026/08/21 Ayato)




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