二毛作の第二生を生きる
第一生の生前葬と第二生の出陣式を執り行ったのが令和4年6月4日だ。それから早3年1か月が過ぎた。あっという間の人生だ。
ドイツの鉄血宰相ビスマルクは言う。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と。愚者であるこの私は、第一生で経験した多くの失敗と僅かな成功から学び、年の功で少しは賢者の足元に近づいただろう。悠久の歴史に学ぶ知恵は僅かでもある。そう思って、第二生をスタートしたはずだった。しかし、頭で思っただけではそうは問屋が卸さない。分かっているつもりでも血肉になっていなかった。3年以上の助走期間が必要だった。
①戒名(不動院重陽博愛居士)の意味を心身に叩き込む。その意味は、心清き、心温かい人たちが私の周りに集まって来てくださる。その人たちに愛を広める。その人たちを広く愛する。すなわち、私の周りに集まってきてくださる“心清き、心温かい人たち”のお力になることが私の第二生のミッション。戒名に恥じない二期作ならぬ二毛作の第二生を送る。
②揺るがない第二生のミッションを持つ。地方創再生を応援の核に据え、仲間たちとWin-Win-Win-Win-Winの連鎖の関係をつくっていく。
③天から与えていただいたその人だけの得手を磨き続ける。その得手をフルに活かして、世のため人のために尽くす。無理はよそうぜ、からだに悪い。
④老若男女の仲間たちのそれぞれの得手を持ち寄って、一つのオールラウンダー、丸い球形を創る。→私はその蝶番役を担う。
⑤人生は有限である。有限であるからこそ、死と言う区切りがあるからこそ、人はその死に向かって前向きに生き、成長しようと努力精進する。生きるとは、死ぬまで精いっぱい生きることである。
⑥悠久の宇宙は無限である。生きとし生けるものは有限である。人間が無限に生きるためには、人と人の心を繋いでいくこと、命のバトンを繋いでいくことだ。宇宙の大流に逆らわず、宇宙の大流に沿って生きることだ。この世とあの世は棒のごときもので繋がっている。宗教は無限の心の繋がり、バトンを人間に教えてくれる。
⑦我以外皆師。老若男女、すべての人から学ぶことだ。他山の石でも学びは学びだ。口は災いの元。穏やかな心で人と争わないことだ。
さあ、3年の助走期間を経て、今、大空に飛翔していこう。私もちょっとは成長した。人生の二毛作である。若くはない。垂直登攀をすることは無謀であり、できはしない。緩やかな登り坂ならぬ上り坂をコツコツコツコツと歩いていく。今こそ、一寸法師を見習って、コツコツコツコツ、地道な生活スタイルを、バカにしないで、継続し続けることだ。それが鬼を退治する「急がば回れ」だ。謙虚と感謝の心を持って。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)
