文字になる前~言葉が輪郭を持つまで~ 番外編 大きくなったね
最近、スポットワークができるアプリで仕事をし始めた。
何年も入浴介助で通っていた、仲のいい利用者さんが怪我で入院されたことで、
仕事が減ったためだ。
人生で、ボーナスというものをもらったことのない働き方をしている私は、その日に行った件数が日当になる。
文章を書くようになってから、執筆を中心に働き方を変えたいと思っていたところだった。
訪問介護を辞める腹が決まらないのは、利用者さんとの関係でしかない。
入院された利用者さん以外にも、伺う度に色々お話しをし、ご家族とも関わらせて頂いてるお家がある。
ありがたいことに、私が来ることを楽しみにしてくれている。
私は訪問介護の仕事を、移動が仕事、伺った先はボランティアだと思ってやっている。
お金を稼ぐのは大変だ。
という言葉が正解なら、私にとっては自転車移動の方が大変だ。
伺った先、利用者さんのお宅に着けば、夏は涼しいし、冬は暖かい。
嵐だろうが、雪だろうが、ゲリラ豪雨だろうが、自転車移動しなければならない外回りの方が、どう考えても苦痛なのだ。
排泄介助も、入浴介助も、それに比べたら楽なことでしかない。
施設での仕事経験もあるが、いい思い出がなかった。
それもあってしばらく悩んでいたが、新しいことをやってみると決めていたので、介護職専用のスポットワークのアプリをダウンロードした。
近所の施設がたくさんあった。
自転車で地元を回っているので、その施設がどこにあるのかも何となく目星がついた。
とりあえず、気になったところを片っ端から行こうと思い、エントリーした。
その中のひとつ、障がい者のグループホームで嬉しいことがあった。
訪問介護の仕事を始める前、知的障がい児の放課後デイで働いていたことがある。
グループホームは、自宅から自転車で20分くらいの場所なので、もしかしたら知ってる人に会えるかも。
そんなことも、ふと感じながら向かった初日。
二階の女性のフロアで、一緒にいろんなところへ出かけていた女性と再会したのだ。
パッと顔を見た時、すぐにわかった。
名前を確認する。
間違いない。
食いしん坊Tちゃんだ。
Tちゃんはとても華奢な女性で、一見食が細そうに見えるけど、モリモリたくさんのご飯を食べるのだ。
というより、食べることが大好きなグルメさんだった。
彼女とは移動支援でムーミンバレーパーク、水族館、高尾山に一緒に行った。
高尾山に登った時、最初にふもとのお蕎麦屋さんで天ぷらそばを完食。
つゆも、さぞかしおいしかったのだろう。
全部飲み干した。
頂上を目指し、一緒に歩いている間、トントンと私を叩き
「はっぱ、はっぱ」と何度も山道の木を指さして教えてくれた。
頂上に向かう途中で、お茶屋さんを見つけたTちゃんは、一目散にそこに向かった。
店先でお焼き蒸していたのだ。
四角いせいろから、モクモクと湯気が立ち上っていた。
「食べる?」と聞くと、Tちゃんはうん、うん。とうなずいた。
蒸したてホカホカのお焼きを両手で持って、ハフハフしながらおいしそうに食べていたことを鮮明に思い出した。
彼女が、私や一緒に出かけた時のことを覚えているとは思っていない。
「Tちゃん、久しぶり元気だった?」と声をかける。
「はい」と言って、ハイタッチしてくれる。
また会えた。それだけでいい。
職員さんから、
「Tさんは食べるの速いので、気にしてて下さい」
と言われたので、移動支援での話をすると、今でも食いしん坊だとのことだった。
細身でいるコツを知りたいものだ。
そして先日、また同じ施設で仕事に入った。
今度は一階の男性のフロアだ。
利用者さんの名前や気をつけること等、職員さんから説明を受ける。
利用者さんひとりひとりの写真が貼ってある日誌があるので、それを見ていた。
え?!A太?
苗字も一緒だ。
間違いない。A太だ。
一階でも、知っている人がいた。
彼は、放課後デイにいた時の利用者さんだ。
車椅子に乗った写真だった。
あの頃のことを色々思い出す。
A太はとても小さい子だった。
脚が弱く、転びやすかったのでいつもヘッドギアをつけていた。
ある日、A太と電車の本を見ていたとき、A太が私をじーっと見つめながら、静かにパタリと横に倒れた。
仰向けになり天井を見つめたまま、視線は動かない。
激しい震えや変な汗はかいていない。
逆にそれが怖かった。
「A太、A太」と名前を呼ぶ。
へたに身体を揺すったりできない。
仰向けになり天井を見つめたまま、ぼーっとしているA太を見守ることしかできなかった。
しばらくすると、A太はパチパチと瞬きをし、自分で起き上がった。
それまでの間、約30秒ほどだったと思う。
たったの30秒が、あれほど長く感じたことは未だかつてない。
その後のA太はいつもと変わらず、本を見たり、お友達と遊んだりしていた。
おやつもしっかり食べ、帰り時間になるまで変わらない様子だった。
A太の乗る送迎車に添乗していたので、自宅に送り届けた際、お母様に状況を説明した。
「それ、てんかんの発作なんです。
もし一分以上経っても戻らなかったら、救急車呼んで下さい」
とのことだった。
あの頃のA太との強い思い出があった。
A太は今日、短期入所で一泊するらしい。
これから来るとのことだった。
お昼ご飯の用意をしていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
玄関が騒がしい。
職員さんと男性の話し声が聞こえる。
キッチンから出て、玄関に足早に向かう。
イケメンと手をつないだ、大きな男の子が立っていた。
「パパさんですか?」とイケメンに聞く。
「パパです」とイケメン。
「以前、○○デイに勤めていて、A太くん知ってるんです」
「○○デイ!だいぶ前ですね。それは、お世話になりました」
A太は私を見下ろしていた。
「A太!大きくなったねー!倍ぐらいの大きさな感じがする」
「18歳になりました。髭も生意気に生えてます」
とイケメンパパ。
顔を上げるとA太の顎がすぐそこにある。
――本当だ。
しっかりとした黒い毛が、顎から何本も突き出ている。
「10年前だから、8歳だったんだね――いやーもう、ほんと大きくなったねぇ。
勝手に遠い親戚のおばちゃんの気持ちになっちゃう。おばちゃん、うれしい」
と、思わず口から出てしまった。
イケメンパパは笑っていた。
「A太、今日ここにお泊りなんだね」と話しかけると、顔を横に振り「ないない」と言ってイヤイヤするような仕草を見せる。
手で、バイバイするような仕草も。
その仕草は全く変わっていない。
でも、当たり前だが声が変わっていた。
私の耳の奥は、変声前の高くて幼いA太の声を覚えている。
「声もすっかり変わっちゃって。
あ、お父さん、てんかんの発作は、今どうですか?」
と、聞くと
「だいぶ良くなりました。でもまだ、時々あるんですよね」
とのことだった。
イケメンパパ曰く、A太はこの施設に来るのを、楽しみにしているそうだ。
部屋に荷物を置きに行ってから、A太はリビングの椅子に座り、テレビを見ている。
イケメンパパと職員さんは部屋で話をしていた。
「A太、歩いて来たから、お茶飲もう。座っててね」
と、声をかけ台所に行く。
コップのお茶を差し出すと、A太は受け取り口をつけた。
この飲み方も変わっていない。
コップの淵に少しだけ、唇をあてて飲む感じ。
でも、こぼすことはなかった。
A太が毎日コップを使い、生活してきたなかで、こぼさないで飲めるようになっていた。
――あ。おばちゃん、ウルウルしちゃう。
「では、よろしくお願いします。あ、お名前教えて下さい」
とイケメンパパ。
「逢坂と申します。送迎で奥様には何度もお会いしてて。妹ちゃんもお変わりないですか?」
「妹ちゃんは来年受験で、今日母親と一緒にその関係で出かけてます」
「そっかー妹ちゃん受験なんですね」
もう――色々胸にくる。
「奥様にもよろしくお伝え下さい」
「ありがとうございます。A太お願いします。じゃあね、A太」と声をかけ、イケメンパパはさわやかな笑顔を残し、玄関をあとにした。
A太はバイバイしていた。
その後、皆さんのお昼ご飯の用意をし、A太の食事介助をした。
咀嚼が上手ではないので、相変わらず食事は刻みだったが、お茶碗いっぱいの白米とおかずを完食した。
さすが18歳。食べ盛りだよね。
更に衝撃は入浴介助だった。
Tシャツを脱がすとA太はギャランドゥだった。
キャー!へそ毛男子!たくましい!
棒につかまり、片脚立ちになって、両足とも靴下を脱いでいる。
あー脚も強くなったんだねぇ。
遠い親戚のおばちゃんの内心の忙しさよ(笑)
こういうことがある時は、自分の歩んでいる道が間違いではないと、言われている気持ちになる。
以前の自分が何をして、誰と関わって来たのかを、振り返らせてくれる出来事が起きる時、その頃のことや気持ちを思い出す。
関わったみんなの時間があって、生活があって――。
そして自分にも、これまでの時間があり、あの頃とは違うことをやっている今がある。
間違いなく、今、嬉しさが心に満ち溢れている。
みんな大きくなった。
私も大きくなった。
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