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30年前の卒業旅行が、2026年の鹿児島へ続いていた⸺温泉とAIと長渕剛と、幸福の地下水脈について


1997年、まだ世界は最適化されていなかった

1997年。高校卒業の春。僕たちは麻布高校ワンダーフォーゲル部の卒業旅行で、西日本を旅していた。

1997年3月5日 卒業式の後
その2週間後、現役合格組と浪人組が混ざって青春18きっぷ

夜行列車。フェリー。知らない駅。コンビニ。意味のない寄り道。だらだらした会話。移動時間そのものが旅だった。まだスマホもない。Google Mapもない。レビュー文化もない。だから「行ってみないと分からない」が大量に残っていた時代だった。

卒業旅行では、香川の女木島、いわゆる鬼ヶ島に集合してテントを張った。中学三年生の頃にも同じ場所へ行っていたのだが、高3になった僕は、その時ふと「ああ、人間って、一回目が一番感動するんだな」みたいなことを思ったのを覚えている。若いのに、すでにちょっと人生をわかったような顔をしていた。

その後、宇和島から大分へ渡り、電車を乗り継ぎながら鹿児島へ向かった。当時の写真を見ると、山川駅のホームでダウンジャケットを着ている。たぶん3月の終わりで寒かったのだと思う。しかも、確か駅の近くに勝手にテントを張って寝た。今だったら普通に怒られると思う。けれど当時は、そういう雑な自由がまだ世の中に残っていた。

僕は前期試験不合格のショックをひきづって合流
最南端とかそういうのに惹かれてしまうお年頃

そして30年前のその旅でも、僕たちは開聞岳を見ていた。薩摩富士と呼ばれる美しい山を前に、「登る?」みたいな話にはなった気がする。でも結局登らなかった。ワンダーフォーゲル部なのに。

そして2026年。僕たちはまた鹿児島へ来ていた。そして今回も、開聞岳には登らなかった。人間、芯の部分はそんなに変わらない。


47歳、老眼と介護とAIの時代にもう一度鹿児島へ

1997年には存在しなかったものが、2026年には大量に存在している。スマホ。SNS。生成AI。そして老眼。あと介護。僕たちは47歳になっていた。

今回の旅は、卒業旅行と同じワンゲル部のメンバーでの再訪ではない。30年後に鹿児島へ戻ってきたのは、ワンゲル部の中でも山への情熱が特に低かった三人組だった。仕事のこと。家族のこと。身体のこと。親のこと。子どものこと。若い頃みたいに、「未来はどこまでも続いている」とは思わなくなっている。でも不思議なことに、指宿へ向かうレンタカーの中では、高校時代と同じようなくだらない話を延々としていた。

桜島が見える展望台で車を停める。「あー、30年前もこんな感じで見た気がするな」「誰か長渕剛っぽい歌うたってなかった?」「火山だから "ボルケーノ~♪" とか歌ってた気がする」

ボルケーノー!oh!の替え歌のとき
指宿スカイライン展望台からの桜島はいい感じ

「そのとき俺と大沼が大喧嘩してたんだよな」「いつものことだろ」

そんなことを言いながら、途中から僕たちはAIを会話に参加させ始めた。いや正確に言うと、ChatGPTに「今のエピソードをもとに長渕剛っぽい歌詞を書いて」と無茶ぶりを始めたのである。するとAIは、妙にそれっぽいコード付きの歌詞を書いてきた。僕はコードがまったく分からないので、適当に節をつけて熱唱した。47歳のおじさん三人が、桜島を前に、AIが書いた長渕剛風ソングを歌っている。

桜島と男の友情、長渕っぽさ、めちゃ相性いいですね。
“若い頃の尖り”と“歳を重ねた赦し”がある。

キーはGくらいで、ちょっと土臭く、叫べる感じにしてみます。

「桜島チェストー」

Key: G
Tempo: ゆっくりめの8ビート(70〜76くらい)

Intro
| G | D | Em | C |
| G | D | C | D |

Aメロ
| G | D |
30年前の 桜島の下で
| Em | C |
お前と俺は 大喧嘩した
| G | D |
「火山に登れるわけねぇ」と
| C | D |
灰まみれで 怒鳴り合った
| G | D |
若さなんてもんは いつでも
| Em | C |
正しさばかり 振りかざして
| G | D |
勝つとか負けるとかじゃなく
| C | D |
ただ わかってほしかった

Bメロ
| Em | Bm |
だけど人生ぁ 長ぇもんで
| C | G |
守るもんが 増えていく
| Em | Bm |
身体も少し くたびれて
| C | D |
ようやく人に 優しくなる

サビ
| G | D |
チェストー!って 叫びながら
| Em | C |
笑ってる 48の夏
| G | D |
桜島ぁ 今日も黙って
| C | D |
俺たちを 見下ろしてる
| G | D |
友達ってのは たぶん
| Em | C |
昔みたいに 強がることじゃねぇ
| G | D |
弱さを見せて 笑えることだと
| C | D | G |
今なら 少しわかる

長渕剛でいうと、乾杯ととんぼの間くらいの温度感を意識しています。とのこと

AI時代とは何か。たぶん、こういうことではない。でも、こういう無駄な時間の中にしか残らない幸福もあるのだと思う。


鹿児島は、まず山から入る

今回の旅でよかったのは、空港からまず霧島へ向かったことだった。鹿児島というと、桜島や指宿の海のイメージが強い。でも実際に入ってみると、この土地はまず "山" なのだと思う。霧島神宮へ向かう道。巨大な杉。湿った空気。火山地帯特有の地熱感。南の神話世界みたいな空気がある。東京とは、時間の流れ方が違う。

僕の趣味の神社参拝に付き合ってもらった
奥の院の清浄な空気。しかし残り二人は興味なし笑

AIはどんどん速度を上げていく。情報は圧縮され、移動は効率化され、あらゆるものが「最短距離」で接続されていく。でも霧島の杉は、そんなことをまったく気にしていない。僕たちが高校生だった頃から、ずっとそこに立っている。そして僕たちがたぶん死んだあとも、普通に立っている。そう考えると、人間の悩みは少しだけ小さくなる。

この半年で過去一の体重になっているのに、特上ロース。ヒレじゃなくてロース。
30年前は串カツだったのに、今は特上ロース。歳をとるのも悪くない。

もっとも、その直後、僕たちは霧島高原純粋黒豚の特上とんかつを「うまっ!」とか言いながら食べていたので、人間の精神性というのはだいたい胃袋に支配されている。しかしこの黒豚が本当に美味かった。考えてみると、30年前の卒業旅行の時も、鹿児島駅近辺で黒豚とんかつを食べている。高校生だった僕らは、「鹿児島ってすげえ美味いところだな」と単純に感動していた。47歳になっても、結論はほぼ同じだった。


安楽温泉という「情報化されていない豊かさ」

霧島神宮と黒豚を堪能したあと、僕たちは安楽温泉へ向かった。いくつかある中で、「さかいだ温泉」を選んだのだが、ここが本当に良かった。鉄分と硫黄の匂いが混ざった、いかにも火山地帯らしい湯。源泉は50度を超えていて、そのままだとかなり熱い。少し加水して温度調整しているらしいのだが、それでも十分熱い。肩まで浸かると、「ああ、身体の深いところに温泉が入ってくる」という感じがある。

必ずチェックする温泉分析書。53度の炭酸泉がずっと湧き出ている。すごい!

最近、「幸福の暴走」というテーマで色々考えている。AIによって、便利さも快適さも、どんどん最適化されていく時代。おすすめが提示され、レビューが可視化され、点数化され、失敗しない選択肢が常に出てくる。でも温泉って、結局身体でしか分からない。レビュー4.8でも合わない湯はあるし、逆に情報化されていない鄙びた温泉が、自分にとっては異様に合うことがある。つまりそこには、「身体の主観」が残っている。AIは目的を最適化するのが得意だ。でも、意思とか感覚とか、「なんかこっちの方が好きなんだよね」という曖昧な領域は、まだ人間側に残っている。そんな話を、露天風呂でぼんやり考えていた。

もっとも、湯上がりにビールを飲み始めたら、そういう思想はだいたいアルコールに負ける。


白水館は、時間を圧縮しない

今回泊まったのは、指宿の白水館だった。実は直前まで別の宿を予約していたのだが、仙台の友人がInstagramで「白水館すごく良かったよ」と教えてくれて、急遽変更した。結果、大正解だった。しかもチェックインすると、「本日お部屋をアップグレードさせていただきました」と言われ、離れの離宮へ案内された。これが素晴らしかった。海沿いの静かな部屋。松。芝生。ハンモック。長い廊下。過剰ではないけれど、丁寧に整えられた空間。

入った瞬間にアガる。ここは家族連れもいいが、同窓会がおすすめだ!
僕がふじの、なのでふじの間に案内してくれのかな
錦江湾を望み、窓の下には松の庭園。いやー、よく手入れしてはるわ。感服。

若い頃だったら、「宿なんて寝れればいいじゃん」と思っていた。でも47歳になると、旅館の余白に感動するようになる。庭を眺める時間。廊下を歩く時間。お茶を飲む時間。ぼーっとする時間。つまり、"時間を圧縮しない文化" に身体が反応するようになる。現代社会は、とにかく効率化されている。最短距離。タイパ。コスパ。移動時間すら圧縮される。でも旅館って、むしろ無駄を味わう場所なのだと思う。ゆっくり歩く。待つ。浸かる。眺める。それを「贅沢」と呼ぶ。

白水館といえば有名なのが元禄風呂だ。江戸時代の湯屋文化をモチーフにした巨大浴場で、暖簾をくぐって階段を降りると、まるで時代劇のセットの中に入ったみたいな空間が広がっている。浮世絵。赤提灯。檜風呂。石風呂。打たせ湯。しかも無駄に広い。最近の都市空間って、すべてが効率的だ。動線も、UIも、導線も、最短距離で設計されている。でも元禄風呂は違う。「あえて遠い」。脱衣所から砂風呂まで結構歩く。でも、その "無駄" がいい。身体が現代の速度から少しずつ外れていく。

元禄風呂の中の浮世絵風呂。女風呂はどんな絵なんだ、というツッコミ。

さらに白水館は、将棋の竜王戦が何度も開催される宿として知られている。藤井聡太さんもここで対局を行い、砂蒸し温泉に入っていたらしい。もっとも、僕ら47歳のおじさん三人が砂に埋まっている姿は、将棋界の叡智というより、ほぼ海辺のトドだった。

プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選に選ばれた白水館。もう一度行きたいと思える宿。
手放しにお勧めできる宿。
砂蒸し温泉を楽しむ藤井竜王と藤井九段というキャプションが笑える

砂に埋まりながら、幸福について考える

砂蒸し温泉が本当に良かった。浴衣姿で横になると、係の方がザッザッザッと砂をかけていく。熱い。でも気持ちいい。重い。でも落ち着く。目を閉じていると、「埋められるってこんな感じなんだな」と妙なことを考える。情報は入ってこない。スマホも触れない。動けない。ただ汗が出る。

最近、自分は頭で生きすぎていたのかもしれない、と思った。AIと会話し、情報を整理し、構造化し、言語化し、意味を考える。でも砂風呂は、そんなことを全部どうでもよくしてくる。身体が「気持ちいい」と言っている。それだけ。幸福って、本来こういうものだったのではないかと思う。説明できる幸福ではなく、身体が先に納得する幸福。


茶節は、ほぼ「出汁を飲む思想」だった

夜は、旅館で上品に会席をいただくという選択肢もあったのだが、僕たちは「むさし」という地元の店へ行った。これがまた良かった。さつま揚げ。きびなご。鰹の腹皮。焼酎。鹿児島の食文化って、なんというか "強い"。しかも「中央の洗練」と違う。火山と海と焼酎文化の中で育った、南の身体感覚がある。

さつま揚げと指宿芋焼酎。歳を取ればその旨味がわかる。
指宿のインスタント味噌汁、茶節。
翌日、枕崎の道の駅で土産として買い込んだ。いま、昼飯の即席味噌汁になっている。

その中でも印象的だったのが「茶節」だった。鰹節をどさっと入れ、味噌を溶き、熱い知覧茶を注ぐ。ほぼ "出汁を飲む" である。でもこれが実にうまい。

茶節に感動する3人の中年。結局最後は出汁しか勝たん。
酒が残る朝、東から朝日が昇る。僕らは朝に砂蒸し風呂に入った。それが正解だった。
チェックアウト前、ハンモックに揺れる。
久しぶりに帰りたくないと思う宿だった。
さすが、東洋のハワイと呼ばれる指宿だ。
1960年代は新婚旅行の一番人気だったらしい。

ワンダーフォーゲル部なのに山が好きじゃなかった僕たち

翌日、開聞岳へ向かった。薩摩富士とも呼ばれる、美しい円錐形の山。ワンダーフォーゲル部だった僕たちは、30年前の卒業旅行でもこの山を見ている。当時の写真も残っていた。「登ろうぜ」みたいな話にはなった気がする。でも登っていない。

そして2026年。今回も、開聞岳の近くまで行って、写真だけ撮って終わった。「いやあ、やっぱ綺麗だな」「登る?」「いや、いいか」——終了。ワンダーフォーゲル部として、どうなんだそれは、という気もする。でも僕たちは昔から、山頂制覇とか達成感よりも、「一緒に旅してる感じ」の方に価値を感じていたのだと思う。登山というより、漂流。目的達成というより、移動そのもの。たぶん僕たちは、昔から「意味のある時間」より、「なんか良かった時間」の方に惹かれていた。

バラバラな3人の漂流。
登山道手前で勇気ある撤退。
最近は探検部とか名乗ってるけど、探検と冒険はちょっと違う。
体力をわきまえてちゃんと帰ってこなきゃ。

知覧で、時間が止まった

開聞岳のあと、知覧へ向かった。特攻平和会館。知っていたつもりだったが、実際に行くと違う。展示室に入ると、言葉が止まる。遺書。写真。出撃前夜の記録。平均年齢20歳前後の若者たちが、ここから飛んでいった。

航空機の形状をイメージしているのかな、このつげの木。
共にテントで寝泊まりした僕らも、ここでは無言だった。

今回の旅はずっと「30年という時間」を考えていたのだが、知覧では別の時間感覚に触れた気がした。30年という時間さえ、ここでは短い。そしてその時間を生きられなかった人たちがいる。観光地として訪れるのとは少し違う感触が残った。くだらない話をたくさんしてきた旅の中で、ここだけしばらく三人とも無言だった。


島津は、中央から遠かった

枕崎の道の駅へ行くと、花かつおや鰹節だらけだった。ああ、この土地は「出汁の土地」なんだなと思った。派手ではない。でも地下で、じわじわ旨味を出し続ける。なんだか今回の旅そのものみたいだった。

鬼島津。最近はだんドーンという漫画でより一層島津ファンになっている。

旅の終わりに、鹿児島駅の近辺で島津家の家紋を見た。丸十紋。シンプルで、強くて、妙にかっこいい。高校生の頃、僕は『信長の野望』にハマっていた。特に島津家が好きだった。薩摩は中央から遠い。だから独自進化した。鉄砲。戦術。焼酎。食文化。幕府の論理を理解しながら、完全には飲み込まれない。「中央に完全には従わない感じ」。その感じが、妙に好きだった。

今振り返ると、あの頃の僕たちも少しそうだった気がする。麻布という学校自体、優秀なのに妙にアナーキーだった。中央のゲームを理解しながら、完全には回収されない感じがあった。そして僕たちは、部活でも非主流派だった。ワンダーフォーゲル部なのに、山頂制覇への情熱が薄い。秩父冬合宿より、三宅島や八丈島の方が好き。登山というより、漂流。目的達成というより、移動そのもの。海。フェリー。だらだらした時間。夜のコンビニ。雑談。そう考えると、30年経ってまた鹿児島へ来ているのも、少しだけ必然だったのかもしれない。


30年後も、まだ旅の途中

30年前の卒業旅行では、未来がどこまでも続いている気がしていた。2026年の鹿児島では、人生には限りがあることを、みんな少し知っていた。身体も変わった。社会も変わった。AIまで登場した。でも不思議なことに、桜島を見ながらくだらない歌を歌っている時の感覚は、高校時代とそんなに変わっていなかった。

若い頃は、非日常を求めて旅していた。でも今は違う。むしろ僕たちは、"日常へ戻るため" に旅している。温泉に入り、砂に埋まり、焼酎を飲み、茶節をすすり、古い友人と笑う。そうやって、自分の身体の速度を少しずつ取り戻していく。

最近、「幸福の暴走」というテーマについて考えている。便利さも、快適さも、最適化も、AIによってこれからますます加速していくだろう。でも、人間の幸福の全部がアルゴリズム化されるわけではない。たぶん最後まで残るのは、桜島を見ながら、AIに長渕剛風ソングを書かせて、それを47歳のおじさんたちが大声で歌っている、みたいな時間なのだと思う。つまり、ほとんど役に立たない時間だ。でも、その役に立たなさの中にこそ、人生の地下水脈みたいなものが流れている。

30年前の卒業旅行は、まだ終わっていなかったのである。

1995年、16歳から17歳くらいだった僕ら。ともだちのうちでファミコンやっている模様。
たしかあのころ、運動会で騎馬戦がある中、ワンゲル部室ではファミスタ大会が開催されていた。
Special Thanks to 同級生。
鹿児島 枕崎の道の駅で偶然出会ったハイボール。こんなのあったんだな。
卒業して30年、ひさしぶりにみんなで集いたいもんだ。
いろいろあったけど、この学校に通ったのはいい思い出になっている。
Special Thanks to 指宿、そして鹿児島。
またふらりと行きます。


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