街歩き編 まとめ|街歩きで見えてきた、私たちの感覚
条件を言語化して、いくつかの街を歩いた。最初に決めたマスト条件は、今も変わっていない。
でも、歩いてみると、条件を満たしていてもピンとこない街があることがわかってきた。
「住める」と「ここに決める」の間には、条件としては言語化できなかったものがあった。今回は、街歩きで見えてきた私たちの「感覚」を整理してみる。
感覚① 駅前の空気が好きかどうか
まずは、駅前の雰囲気が自分たちの好みかどうか。
「栄えている」と一言で言っても、本当にいろいろある。
当初の「栄えている」というイメージは、ある程度見知った飲食店やスーパーの選択肢がいくつかあるといい、くらいだった。
でも、これもまた最低条件だったのかもしれない。
歩いていてテンションが上がる駅前もあれば、そうでもない駅前もある。
店のラインナップや並び方、雑多さの質感。歩いている人の雰囲気。
この差は、地図や写真、ネット上の口コミだけでは分からなかったし、単純に言語化できるものでもなく、それなのに私たちの印象には影響した。
結局、私たちが求めていたのは「店があること」ではなく、駅前の雰囲気の肌感として、「いいな」と思えることだった。
駅前の雰囲気がかなり好みだと、同じ欠点があっても「まあ許容できるか」とすら思えてしまう。
「空気がいい」と思えることが、条件の重みづけまで変えてくるものになるとは。
感覚② 駅から家までの動線
駅前が便利でも、駅から家までの動線がしんどいと、それだけで生活の想像が難しくなる。
高架下、幹線道路沿い、狭い歩道、車の走行音、排気ガス。
そこで数分過ごすだけなら我慢できる。
でも毎日通る近所だと思うと、話が変わる。
駅前の利便性は高いのに、動線の体感が無理で候補から外れた街もあった。
私たちは駅前だけじゃなく「家までの道」も含めて街だと考えていたんだなとわかった。
感覚③ 密集による閉塞感
「閑静な住宅地」という言葉には、一般的に良いイメージがある。
でも、実際に歩いてみると、静けさそのものが心地よいとは限らなかった。
「閑静な住宅地」自体が苦手だったわけではない。
合わなかったのは、家同士がかなり近くて道が細く、ずっと同じような景色が続いて、視界が抜けないタイプの住宅地だった。
そこには、静かなのになんだか落ち着かない、という矛盾があった。
私たちの場合、密集と閉塞感が一定ラインを超えるとしんどくなるらしい。
実際に歩いて「閑静さ」を味わってみて、こうした住宅街が好きな人が多いのも理解はできた。
ただ、自分たちが求めているのは静けさより、息のしやすさだった。
感覚④ アクセスの持つ魅力
最初は、都心アクセスの良さをそこまで重視している意識はなかった。
ドアtoドアで40分台なら十分、くらいの感覚だった。
でも、街を歩き続けるうちに、その「十分」の中にも差があることが分かった。
例えば、電車で20分弱で都心に出られる導線を想像すると、生活の自由度が一段上がるように思えた。
行きたいときに出られる。帰りたいときに帰れる。
この「気軽さ」は、これからの私たちの暮らしを豊かにしてくれるように感じた。
そして面白いことに、アクセスの良さをイメージした後だと、他の引っかかりが相対的に小さく見える瞬間があった。
駅前の雰囲気や帰宅動線のストレスといった要素を見たうえでも、「それでもここはアリかも」と思えてしまう。
私たちにとって、アクセスの良さは単なる加点ではなく、場合によっては判断を上書きするような強い魅力を持っていた。
まとめ
最初に言語化した条件はあくまでも「最低ライン」で、決め手は奥深いところにあった。
駅前の空気。
家に帰るまでの動線。
密集による閉塞感。
そして、アクセスの魅力。
街歩きは候補の街を決めるためというより、自分たちの感覚を確認していく期間だったのかもしれない。
私たちの「ここに住みたい」と思える基準が、ようやく輪郭を持ちはじめた気がした。
