私の人生は、私のための人生
1. いくつ「丸」をつけることができますか?
宙仙人(そらせんにん)です。
今回は皆さんに質問です。
今の生き方に、三つの質問をするので、答えていただきたい。
•やりたくないことを、はっきりと「やらない」と言えていますか?
•欲しいものを、遠慮せずに「欲しい」と口にしていますか?
• 他人がどう思うかを、完全に無視できていますか?
さて、今のあなたなら、いくつ「丸」をつけることができるでしょうか。
私の相棒、お猿🐒のしょうちゃんにまず、この質問をしたら
「仙人、そりゃ全部丸でしょう」と当たり前のように答えてきました。
でも、私たちは人間です。
全部に丸がつかなくても、決して落ち込む必要はありません。
宙仙人もこれらに丸をつけることが、何よりも難しいことだと思って生きてきたから、よくわかっています。
「一体、何が本当の意味で自分のためになるのだろうか」と、
思った経験は皆さんにも、あったのではないでしょうか?
今回は「私の人生は私の人生ではないのか」を考えていきたいと思います。
2. 「いい人」という名の迷路
振り返れば、人々は「調和」を重んじる世界に生きてきた。
周囲を観察し、場を円滑に回すことに心を砕いて生きて、それが正しいと確信していました。
やりたくない仕事、あるいは自信のない仕事であっても、他人の評価を慮って「ここは引き受けておいた方がうまく回るだろう」「そうすれば自分の評価も上がるのではないか」――そんな打算と遠慮が混じり合った感情で、多くの「不本意な役割」を演じてきたのではないでしょうか?
しかし、そうして「いい人」を演じた先に、何があったのでしょう。
口先では感謝されたとしても、多くの場合、それは「当たり前のこと」として処理されてしまいます。
「あいつは都合がいい奴だ」と重宝されるだけで、もし失敗すれば「お前がダメだ」と責め立てられる。
そんな経験を重ねるうちに、問い直さずにはいられなくなったはずです。
本当の「自分の人生」はどこにあるのか、と。
しかし、日常の諸事情に追われて、そう考えることさえ忘れてしまいます。
3. 赤ん坊に学ぶ「どっしりとした」生
年寄りになると、若い人を通り越して、乳幼児に目が行くようになります。
まだ一歳にも満たない赤ん坊の表情を眺めていると、ハッとさせられます。
彼らには一切の忖度(そんたく)がありません。
食べたい時に食べ、不快であれば全力で泣く。
親の顔色など窺わず、ただ「自分」をどっしりと生きています。
人々はいつから、この「自分を生きる力」を手放してしまったのか。
学校で評価を気にし、空気を読むことが「安全」だと教え込まれ、気づけば自分を置き去りにしてきてしまった。
それは、本当に目指すべき姿だったのか。

4. 大谷翔平選手にみる「自分中心」の美学
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