山城知佳子「Recalling(s)」
幾多の記憶の漂着する汀
アーティゾン美術館2025年10月11日〜2026年1月12日
今年も多くの映像をみた──というより「イメージにふれた」というべきか。私はスマホやPCで動画をみる習慣はないし、テレビをながめるのももっぱらニュース中心の典型的な中高年だが、仕事でもあるし、なによりささやかな日々の愉しみのひとつとして映画は公私問わず、それなりの数をみてきたのに、今年はベスト10をあげるのも気がひけるほどみていない。劇場を訪うものも少なくなったし、試写にしてもオンラインでの視聴が浸透したせいでかえって遠ざかったしまった。いつでもみられると思うとみずに終わるのは私の怠惰さ以外のなにものでもないが、身のまわりの材料をあつめて言い訳めいたことをもうしのべますと、映画館に足を運ばずともサブスク解禁を待てば定額で何度でもみられますし、私はそもそも劇場に映画をみにいくのであって娯楽を享受したいのではない。結果的に感情をゆさぶられるのはけっこうだが、それがためにすごすごと出かけていく気にはならない。ドラマ的なナラティブ的なファンタジー的な寓話的なお話に食傷気味なのもある。おかげで今年、実写版の邦画の興行収入の記録をぬりかえた李相日監督の『国宝』も未見である。『踊る大捜査線 THE MOVIE』が公開する1998年まで首位の座をながらくキープした『南極物語』(蔵原惟繕監督)は島の劇場でヴァンゲリスのサウンドもろとも感動にうちふるえたというのに。付言すると『南極物語』の公開年の1983年に小学5年の私のその年のベストはルッジェロ・デオダートの『食人族』である(いやこれマジに)。
私はどうやら虚構が現実にかさなりあうさいの膨らみや軋みや熱や歪みに旨味をおぼえる質(たち)らしい。これは一義的には作品空間のリアリティの問題だったが、近頃はそれが作者と作品と観衆の総和からなる「場」に置き換わりつつある。鑑賞とはすなわち、いかにそこに身を浸すかであり、作品の筋や意味の比重は以前にもまして低くなったかわりにどのようにそれを読むか、もっとずっと考えるようになった、とはいえ作者を含む誰かとの答え合わせがしたいのではない。
物語機械の過剰接続を迂回したいとでもいえばいいか。それもあって劇場から足が遠のいた。埋め合わせというのでもないが、美術館や展覧会に視覚的な刺激を求めたのが今年であった。
私はドジャーズとブルージェイズのワールドシリーズが延長18回にもつれこんだ日であったので、10月28日火曜日のことらしい、この日にアーティゾン美術館へ《漂着》展をみにいった。おりからの米国大統領の訪日期間中でもあり、私の駅への道すがら、トランプと高市を乗せたヘリの隊列が横須賀の米軍基地へ向けて頭上を飛び去った。
《漂着》は山城知佳子と志賀理江子の二人展の題名で、美術館の運営元の石橋財団のコレクションと現役のアーティストとの共演企画「ジャム・セッション」の6回目でもある。タイトルの《漂着》は沖縄と福島が拠点の山城と志賀が海という隔たりとも繋がりともいえるものを媒介に受けたものが作品の主題であることの謂いであろうか。
私は6階の山城の〈Recalling(s)〉から鑑賞しはじめた。とば口には美術館のコレクションからアボリジナル・アートの代表的な画家のひとり、マンドゥワラワラの〈四人の射手〉(1994年)がかかっている。作品はマンドゥワラワラらしいぼくぼくとしたタッチで作者の母の系列に伝わる創世神話をあつかっており、画面中央の四つの岩の左端には鳥(とぅい)がとまっている。この鳥という言葉とイメージや、共同体の血と地、なりたちの神話といったモチーフないし主題は〈Recalling(s)〉とも重なり合うことを、鑑賞者は作品のあいだを経巡るうちに肌にしみいるようにやがて理解していく。
山城の新作〈Recalling(s)〉は6面からなる映像作品である。ワンフロアをふたつに仕切り、片方に四つ、もう一方にひとつ、出口のあたりにひとつ、スクリーンを配置してある。最初の四つのスクリーンは〈四人の射手〉の後ろに、全体にたいして菱形が傾いだように配置してあり、おのおの別の映像がながれている。四つのスクリーンはほぼ同型で、ある程度距離をとり、あいだに布状のものを垂らして仕切っているが、たがいの作品の音が聞こえないほどではない。各面には同じ映像がくりかえし流れるが、上映時間は異なり、同一スクリーンの同一場面でも他作品から届く音がそのつどちがえば、まったく同じ瞬間は二度とはおとずれない。そもそも順路も上映時間や内容の明示もなければ、鑑賞者はそれぞれのタイミングでそれぞれの主観から偶然のような出合い方をするほかない──という一回性もまた作品の一部なのは〈Recalling(s)〉が映像のインスタレーションだからだが、〈Recalling(s)〉のすばらしさはそのような形式の原理や方法に由来するものだけではなかった。
私は山城の作品をくまなく鑑賞してきたわけではないし、これを書いているのも二月ほども後のことでそろそろ記憶もあやしいが、〈Recalling(s)〉はおもしろかった──などと、ほとんどある阿呆の一生のような感想をもらしてしまうほど、小説家である父達雄の記憶をモチーフに、彼が幼少期をすごしたベラウ(パラオ)の再訪をドキュメンタリー的に捉えつつ、父の小説という虚構を作中に再現する手法、東京の空襲、沖縄戦、米軍統治から現在の沖縄が置かれている地政学的な位置と意味への批評的見地、斎藤悌子、金城吉雄、平良修、亀谷敏子ら、それらの情況を体験した出演者たちのアクターとしてのふるまい──等々、4面をはしごするなかで、幾多の論点が海中から海面へ上昇する泡が包む声なき声のように浮かび上がるような鑑賞体験であった。
入り口は〈四人の射手〉のすぐそばのスクリーンが映し出す「ハイサイおじさん」であった。いうまでもなく喜納昌吉とチャンプルーズのデビュー曲で、渡久地政信について書いたなかでもふれたとおり、いまや甲子園の沖縄代表の定番の応援歌であるこの曲を、画面のなかの喜納昌吉は噛みしめるように弾き語っていく。作中のおじさん役はオリジナルと同じく女声コーラスが担い、ミックスの位相をたがえることで画面外の声のようになっている。「ハイサイおじさん」は沖縄戦で心に傷を負い酒浸りになったおじさんとのやりとりをコミカルに歌ったものだが、山城はあのあっけらかんとした調子の底流にながれる憂愁を掬いとり、沖縄のブルースとしての「ハイサイおじさん」を再定義する。
スクリーンには唄う喜納を眺める父達雄の姿も映り込んでいる。達雄は作品の元となる記憶の提供者であり登場人物でもあるが、そのたたずまいには語り手や視点人物といった役割よりも、自身の記憶に新たに出合い直すかのような新鮮さと、堆積する時間の厚みの隔たりにより生じたかのようなよそよそしさがある。「recall」とは日本語で「思い出す」「呼び戻す」の意味の英語だが、その現在分詞(複数形)を題名にもちいることで山城は作品の運動性ばかりか、それがまさにいま進行中であり、いかなる結末にもひらかれているとしめすかのようである。これは映像インスタレーションという形式における時間の側面だが、時間といい記憶という。あるいは過去でも歴史でもいい、それらは事物のように明らかだが、事物であるがゆえに褪色もすれば剥落もする。そのようなありようを現在時からたぐりよせる、そのさいの引き結ぶような志向性とは真逆のほどけるようなゆるみをさして〈Recalling(s)〉という──ならば、このときすでに父の記憶は父自身を離れ、匿名的な、集合的な、幾多の記憶をリコールする触媒にも転化しよう。
私はアーティゾン美術館のひと月半ほどあと、《時代のプリズム》展のために乃木坂の新国立美術館を最終日の12月8日に訪ねた。当館と香港のM+と共同で、副題に謳うとおり「日本で生まれた美術表現 1989-2010」をあつめたこの企画展にも山城は──むろん志賀も──出品していた。山城のそれはアーティゾンの小部屋にかかる作品群だったが、こぶりな画面で、大文字の歴史や沖縄というトポスにしばりつけるかのような構成はいかにも窮屈であった。総花的な企画で展示スペースにもかぎりがあれば、仕方ないというほかないにせよ、比較的大きな画面で上映でみたダムタイプの《pH》や《S/N》の、はからずも映像作品として(も)自律し(てしまった)た潜在性のようなものにあらために感動しただけに、山城の作品には逆向きの力線が働くようで残念であった。もっともダムタイプの諸作へのこの感想はその一週間前の11月30日、彩の国さいたま芸術劇場でみたヴッパタール舞踊団のダンサーたちの身体の残像が1990年代初頭のダムタイプの面々の特異な身体の現前とリンクしたためかもしれない。
ピナ・バウシュのいないヴッパタール舞踊団は私ははじめてで晩年期の作品にあたる『Sweet Mambo』は日本初演なのでみるものはじめてだったが、少数精鋭のダンサーたちの、テクニックとキャラクターを前景化したソロパート、身体の可動域を駆使し、ときに重力に抗うコンビネーションをふくむデュオないしトリオパートは、往事をつよく喚起すればこそ、古株の踊り手の面々の上にながれた時間の経過をもあらわにするかのようで、ステージというライブ空間のリアリティを劇場内に充満させていた。作品としてはピナらしいクールさとウィットとユーモアが同居するものだったが、オール外国人キャストによる全編日本語のセリフのたどたどしさが客席の体温を幾分上昇させたというか、端点にいえばいささかほっこりした。その感じが、2025年末の現在からふりかえるとなおさらに古橋悌二(1960-1995)の死を予感させ、それゆえに生きることの悲喜こもごもと切り離せない90年代前半のダムタイプと二重写しになったとでもいえばいいか。《時代のプリズム》でのダムタイプの諸作は「自己と他者と」と題したセクションの展示だったが、ここにいう自己とは日本社会の神話ともいえる均質性からはみだすような、多様な、マイナーな、クィアな自己像であり、他者との鏡像的な関係のなかで、あたかも他者にむきあうように、平成以降の日本の人々は自己像を涵養しているというようなことだと、私は考察もとい解釈したが、ひるがえって考えるに、そのような現代ニッポンにとってオキナワは自己なのか他者なのか。

〈Recalling(s)〉の中央奥のスクリーンでは男性の漫才コンビがウチナーグチであまりうけてなさそうな漫才を披露している。迷彩服を着込んだ自衛官ふうのなりをしたふたりは防衛上の最重要地点である南西諸島において国防意識にめざめたようだが、しゃべりの内容を追っていくと、彼らが任務にあたるのは台湾有事や島嶼防衛などではなく、ウチナーグチということばの保護なのだということがわかってくる。人命や財産や国土ではなくことば、それもいち地方の方言を守るという設定はどこか寓話的で、物理的な武力や暴力と直截的には結びつかないがゆえに牧歌的にもうつるが、ことばを守るとはどういうことか。はたして守りうるものか。
ユネスコは2009年2月の“Atlas of the World’s Languages in Danger”(第3版)で、世界には消滅の危機にある言語が2500あり、国内でも「極めて深刻」な状態にあるアイヌ語を筆頭に、八重山語、与那国語(重大な危機)、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語(危機)の八つ言語が消滅の危機にあると述べている。文化庁によれば、ユネスコは言語と方言を区別せず、言語に統一しているため、日本の国内の一般的な名称に置き換えると「アイヌ語」をのぞけば、「沖縄語」「奄美語」などは「沖縄方言」「奄美方言」となるのだという。これはおそらく政府の先住民にかんする公式見解を踏襲したものだが、消滅の危機にある言語が南西諸島に集中するのはこの地域の言語の標準(語)からの懸隔の大きさの証でもある。国民国家という言語や文化や歴史などを共有するはずのわが国の、端っことはいえ、暗号まがいのことばをつかうのはまかりならんということなのだろう。やっかいなことに、この種の考えは口に出さずとも伝わるし、なんなら伝わるより先に忖度し、あまつさえ内面してしまう。同化とはそのような心理の機制をさすのだろうし、それが起こるのはなにも例外状態にかぎったことではない。
先の大戦の敗戦まで日本の統治下だったパラオに漁業や製糖業の従事者ら、多くの移民が沖縄から渡ったのは周知といわぬまでも、現代史の看過できぬ一幕である。1936年(昭和11年)生まれの山城達雄も子ども時代をパラオですごしたひとり。達雄少年はアンガウル島へ向かう船の上で鳥をみかける。海の上で鳥とはいかなることか。達雄少年は思わずウチナーグチで「とぅいや」と声に出した、それを聞きとめた同船者が少年のことばを標準語に直したのである。達雄の口をついた「とぅいや」の「とぅい」とはウチナーグチで鳥をさす。私の郷土の奄美でもやはり「とぅい」という。その「とぅい」に助動詞の「や」をつけると「鳥だ」というほどの意味になるのだろうが、ほとんど無意識にちかい呟きのようなものを直されてしまったら、「直す」ほうは社会通年やマナーを教え諭す、善意のつもりでも「直された」ほうには少なくない出来事が忘却の淵においやられてなお、消えのこる記憶の瑕疵でありつつづける。
ことほどさように〈Recalling(s)〉という汀に流れつく記憶にはことごとく逸話(アネクドート)がくっついている。逸話には言語的な側面があり、山城知佳子はそれらをまことに巧みにあつかう作家であることは過去作を洲﨑千恵子がリエディットした小部屋の映像にも明らかだが、安易なナラティブに還元したなら、〈Recalling(s)〉は映画のような凡庸さに終始したであろう。作品を窮地から救ったのは映像インスタレーションの形式である。新作のスクリーンを問わずくりかえしあらわれる「水のなかの泡」「舞い散る赤い花」「垂れさがる布のようなもの」といった象徴的なショットを媒介に複数のスクリーンに散らばったイメージを結びつける手法は映像という形式に固有のもので見事であった。それらのショットが暗示する天と地を結ぶ垂直運動と交差するように、鑑賞者は父達雄につきしたがうように、東京のど真ん中に聳立する豪壮このうえないアーティゾン美術観6階の空間に散在するスクリーンのあいだを水平的にさまようのである。
他方で疑問をおぼえたのは作中の達雄の「とぅいや」の言である。私は前段では会場で配布していた作品リストにならって「とぅいや」と記したが、会場では「とぅいぐゎ」と聞きとった。鳥を意味する「とぅい」と小さきもの、かわいいもののさす接尾辞の「小(ぐゎ)」である。「ハイサイおじさん」の歌い出しの「昨夜の三合ビン小」の「小(ぐゎ)」であり、愛くるしい人をさして「まさぐゎ」とか「せいぐゎ」いったりするさいのあの「小(ぐゎ)」である。
もっとも私はその場面をみるともなしにみていたので正しくないかもしれない。映像インスターレションは頭からお尻まで腰をすえて向き合うようなものではないだろうし、時時刻区変化する展示空間のあり方も鑑賞を左右する。そもそも「とぅいや」でも「とぅいぐゎ」でも作品の中身にはかかわりない。とはいえことばというものにとってその差異は小さくないはずである。かくいう私とて、国際機関の威を借りて方言が消滅の瀬戸際にあるようなことを嘆いてみせても、正統(オーセンティック)なシマグチをあやつるわけではないのだから、聞き誤りであれば、ご容赦くださいというほかない。
ことばとはおそらく、そのような耳と声をもつ身体の総称であり、テクスト性を原理とみなし、かつそこへ収斂するものではない──などと、デリダの書名に看板を借りたウェブ媒体上でよくそんなことがいえたものだと自分でも思いもするが、このことは別の機会にゆずるとして、それよりも私は山城知佳子も少なくない影響を受け、仕事もともにした高嶺剛監督が嘉手苅林昌を撮った一時間足らずのビデオドキュメンタリーで、嘉手苅さんが沖縄芝居の北村三郎さんのインタビューに答えていった「ウチナーグチもしだいしだいになくなりはしないかねと思っている」ということばの重さに思いをいたしたい。嘉手苅さんは北村さんの口ぶりに「あなたのウチナーグチはあまり上手ではないが、それでもいまの若者よりはずっとましだ」というようなことをいうのだが、私などからしたら北村さんのウチナーグチもかなり立派なものであった。
ことばがなくなれば唄もない。変わってしまったウチナーグチでうたう唄は字面は同じでもまるでちがうと嘉手苅さんは述べている。私のシマの近在の唄者は唄者とは多くの唄を知っているもののことだといっていた。唄者とはすなわちことばの袋なのである。
嘉手苅林昌は沖縄音楽にかぎらず、全音楽史においても不世出の歌い手だが、大分の陸軍歩兵第46連隊を1941年(昭和16年)に除隊後、南方移民としてサイパン方面に渡っている。同じ南洋でも達雄のいたパラオとは異なるが、滞在時期はおそらくそう遠くない。達雄が「とぅい」をみた海の向こうの島の浜辺で嘉手苅が兵隊時代には上官に殴られながらも肌身離さず携えていた三弦を爪弾いている──そのような不可視の影像まで寄せは返す〈Recalling(s)〉にふれるという体験であった。(了)
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