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他者としての自分(AI活用篇)と、悲しみのお焚き上げ【中年の危機脱出のための悪あがき集】

こんにちは、発達凸凹40代高齢出産母さんのパキムラと申します。

ここしばらく、今私の中で熱いトピック「中年の危機」について書いています。

1年ほど前から数ヶ月前まで下記の状態でした。

・未就学男児2名のこだわりとイヤイヤに振り回されて理性で自分がコントロールできずイライラが止まらない精神状態

・出産後、自分がかつて冷めた目で見ていた部署に異動したものの、そこでも役に立たない状況

→ 結果しばらく前まで、持て余した自分のエネルギーがどんどん自己攻撃的になって、体調不良に陥っていました。

前回の記事はこちらです。

また、中年の危機関連の記事を下記にまとめています。

いつ中年の危機を脱出できるのか分からぬまま、この文章を書いていますので、何が効果あったのかなかったのか、現時点での感想となりますが、現在進行形の中年の危機脱出記としてみていただけると幸いです。


今日は、中年の危機の最中に、ガンガンやっていたというわけではないのですが、文字を使って自分の内面を整えていくことについて書いてみたいと思います。

悪あがきその⑧ 私が他人だったらどう思うかGeminiに聞いてみた


会社にいる間、他人の目が気になって仕方ない自分。
自分で自分を攻撃して、心理的に厳しい追求の手をゆるめない自分。
仕事の手は動いてないけど・・・。
どうしたらいいか、Geminiに普通に聞いても、大袈裟な慰めコメントと共感の嵐が逆に白々しい。

それを逆手にとって、
「友達にこう言う人がいるんだけど、どうやって言葉をかけてあげようか」
「社内でこんな人がいる。労務担当としてどう対応するのがいいか」
「親しくはないが会社の同僚がこんな感じだ。その人は何を考えていると思うか」
「妻がこんな状態で困っているが、どう対応したらいいか」
と、他人に成りきって、私のことをAIに相談してみました

リアルな同僚や特定の友人の誰かを想定して、というよりも、「某会社の労務担当が、困った中年社員Aを描写している」みたいな感じですね。

実際にGeminiに言われたことは実行するわけではなく、自分がスッキリするためです。
こう書くと半分遊びではありますが、その時は大真面目。

意外にこれは効果があった気がします。
他人事として自分を描写すると、「こういう人、よくいるよな。頑張れよ〜(知らんけど)」といった、ある種の諦めを伴った、気軽な気持ちになることが出来ました。

中年の危機沼をわたるヌートリア(AmbienteSustentable / CC BY-SA 4.0


悪あがきその⑨ 過去の悲しい気持ちを成仏させる


過去の悲しい思い出って誰にでもありますよね。その時に、誰かに話したりできれば良いのですが、私は基本的に話を人にするタイミングが下手だったり、自虐ネタにしすぎて引かれたりしがちです。

何度か触れてるのですが、ブラック企業だったのと、パワハラセクハラ日常茶飯事だったため、自分に全く瑕疵がないとは言えなくても、今なら完璧にブブー!な発言や扱いを幾度となく受けました。その度に、ただでさえ自信がない自分の自尊心が摩耗していきました。

何かに昇華するほどのトラウマじゃないんだけど、プチッと悲しい思い出
自分が今、現場リタイアのお荷物社員という自覚もあって、会社に来るだけで、ドヨーンとした気持ちになることが体調不良の期間、よくありました。

そこで、そういった思い出を、育児日記じゃなく自分のつぶやきとして書く。
あんなこと言われたけど、私が悪いわけじゃなかったね。
こんなことあったけど、あの時は分からなかったもんね。

あまり深刻にならずに、プチ悲しい思い出に、慰めコメントをつけてあげるような、自分だけの書き散らし
をたまにしていきました。
まだまだ成仏しきれてない過去の怨念はあるのですが、たまに供養してあげたいと思います。

燃〜えろよ燃えろ〜よ、おいらの恨み〜(by Dirk Beyer, licensed under CC BY-SA 3.0

これのちょっとネガティブな面は、思い出して一瞬再び悲しくなること。
また、相手がまだ社内に在籍してることが多いので、イライラがぶり返さないようにすることでしょうか。
それでも意外だなと思うのは、そうやって過去のモヤモヤを整理すると、そのことを忘れられたり、相手に対しても距離感を保てるようになります。

中年の危機と直接は関係ないのですが、こうすることでうっすら過去や他人のせいにしてしまいたい気持ちをスッキリさせて、今自分が出来ることに照準を合わせていくことができる気がします。


悪あがきその⑩ noteで自分の経験を書いてみる


noteをはじめたのは、数々の悪あがきが功を奏し、中年の危機第1フェーズを抜けてしばらくたってからではありましたが、また沼に戻らないためにすごく役に立ってくれていると感じています。

大した経験じゃなくても、考えがしっかりしていなくても、世の中に放流したちょっとした私の気づきを、どこかの誰かが受け取ってくれてるかもしれない。そう期待することでなんとなく生きてても無駄じゃなかったのかもなと思える瞬間が増えている気がします。

どこかで生きていってくれ(放鳥のイメージ)

仕事や創作行為に関しては、自分の至らなさや失敗に直面することを避けるために、「本気出せば出来たかもしれない」というような、甘い可能性のなかに逃げていました。そのせいで失ったものは数多くあります。

ですが、noteに関しては、「誰かの役にたっている【かもしれない】」と、あえてふんわりとした可能性の中で書いておくことにしております。

本当はもっと見やすく行を分けて書いたり、ヒキのあるタイトルをつけたりするのがいいかなとは思うのですが、今の段階では、「自分の放出!」という自己中な理由が勝っています。

とはいえ、記事を書くうえで、構成を多少検討したり、工夫したりすることを、とても楽しませてもらっています。
巧拙は別として、ものを作っていくのは楽しいですね。

自分は指先が不器用なので、手を動かすものづくりは向いてないのですが、文章を書いたり、写真を撮ってプリントしたりすると、それに近い気持ちを味わえて本当に楽しいです。

書くことで客観視できるもの


もともと書くことが好きなタイプなので、こうやって文字にしていくと、いい意味で自分が他人のように見えます

沼の底の泥に足を取られて「苦しい苦しい!」と言う主観的な状態から、「あー。あの人苦しそうだから、ロープ投げてあげたほうがいいか」
「あの人パニックになってジタバタしてるけど、実はここ水深20cmなのよね」と多少突き放してみられる気がします。

さて、つらつらと書き連ねてきた【中年の危機脱出のための悪あがき集】も、いったん次で最終回としたいと思っております!




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