花の湯にて ――サウナは理屈ではない
本日は、スーパー銭湯「花の湯」のサウナを訪れています。現在、4セットを終え、休憩スペースの畳敷きの部屋でこの文章を綴っています。
この施設のドライサウナは、確かな高温を保ちながらも、長時間滞在しても息苦しさや辛さが急激に募りにくい印象を受けます。サウナにそれほど精通しているわけではありませんが、他の施設と比べて明らかに耐久時間が延び、10分が軽く経過していることに気づくことがしばしばあります。それでいて、身体の芯までしっかりと熱が浸透し、水風呂を経て外気浴に移っても、すぐに寒気を感じることはありません。現在、外気温は3度ほどですが、身体が自然に冷めるまでゆったりと過ごすことが可能です。このループがあまりにも心地よく、ついおかわりを繰り返してしまいます。最近、他の施設では2セットで限界を感じるようになっていたところ、本日は下段1回、上段3回の計4セットをこなしました。まだ続けられそうではありましたが、「やりすぎは身体に良くない」と自制してここで止めたほど、心地よさが際立っていました。サウナの温度が優れているのか、水風呂の質が良いのか、あるいはその両方が調和しているのかはわかりませんが、とにかくこの循環が極めて気持ちよいのです。そして今、4セットを終えて畳の上に座っています。
最近、このようなサウナ日記を頻繁に記すようになりましたが、一つだけ常に気を付けていることがあります。それは、この手の記録にありがちな「批評家目線」に陥らないことです。かつて「爆笑オンエアバトル」が広く流行した頃、観客はお笑いを純粋に楽しむ立場から、次第に「評価する」意識が強まりました。さらに近年の「お笑いショーレース」ブームによって、その批評家的な姿勢が今なお一般に残っているように思います。サウナ日記を書く際も同様で、つい「ここが優れている」「ここが改善の余地がある」と、ネタ探しのように施設の細部を分析しがちです。ウォーターサーバーの配置、温度や湿度の数値、水風呂の冷たさ、外気浴スペースの広さなど、そうした情報を記憶に留めようとしてしまいます。しかし、そこには肝心の「サウナループが純粋に気持ちよい」という感覚が、理屈抜きで味わわれる余地が失われてしまうのではないでしょうか。
多くのサウナ施設が、利用者の声や「サウナイキタイ」などのプラットフォームを意識して設備を整え、演出を工夫している昨今です。しかし、花の湯は違います。当たり前に熱いサウナ、当たり前に冷たい水風呂、当たり前にある外気浴スペース。それらを、ごく普通に、ただ用意しているだけです。小細工はなく、サウナブームの波にも乗らず、評価サイトを意識した痕跡も感じられません。
そんな花の湯に定期的に通うことで、私は自身の初心を取り戻しています。サウナとは、本来理屈ではないのだと。熱さ、冷たさ、そしてその後の静けさがもたらす感覚を、言葉で細かく分解する必要などないのだと。だからこそ、この施設の良さをあえて深く言語化することは控えています。「花の湯のサウナは気持ちよい」 これだけで十分なのです。
私がnoteに花の湯を何度も登場させ、サウナ日記をここで繰り返し記すのは、まさにそのためです。サウナへの向き合い方が理屈っぽくなり、分析的になってきたと感じたとき、花の湯を訪れることでリセットするのです。ここは、心も身体も、そして頭の中の雑念までも洗い流してくれる、至福の場なのです。
公式サイトが見つからなかったのでサウナイキタイのデータベースです。
