最後に戻ってくる場所
最近、私はさまざまなジャンルのnoteを綴る日々を送っている。本来の「本業」であるはずのサウナ日記を、ずいぶん長い間放置してしまっていた。
サウナから遠ざかっていたのかというと、そうではない。最近はずっと、加賀ゆめのゆに通い続けている。週に何度も足を運び、身体が自然とその扉をくぐるようになっている。
サウナ日記というものを書き始めると、どうしても新しい施設、新しい熱源、新しい水風呂を追いかけてしまう。未知の温度、新しい香り、未体験のロウリュの音。それらを求めて、次の場所へ、次の場所へと旅に出るのが癖になってしまうのだ。
しかし、本当に深いサウナの魅力とは、ひとつの場所に通い続けることでしか見えてこないのではないかと、最近強く思うようになった。長年使い込んだ道具が、いつしか手のひらに馴染むように。同じサウナ室の同じベンチに座り、同じ温度の熱に身を委ね、同じタイミングで汗が滴り落ちる。その繰り返しの中で、身体がサウナを「覚えていく」。皮膚が、肺が、心臓が、その熱を、蒸気を、静寂を、記憶していく。
そして、サウナ室だけではない。その施設全体が、いつしか「実家」のような安心感を帯びてくる。受付の人の穏やかな声、脱衣所の独特な匂い、休憩スペースの柔らかな照明、冷たい水の味。すべてが、帰るべき場所として身体に刻み込まれていく。
サウナ日記を書いていない多くのサウナーたちは、おそらくこれを当たり前のように生きているのだろう。ホームサウナという言葉すら必要ないほどに、自然と一つの場所に根を張り、そこを自分の居場所として守っている。だからこそ、あの居心地のよさが、言葉にできない深さで胸に沁みるのだ。
ところが私は、サウナ日記を書き始めたがゆえに、逆の道を歩んでしまった。何度も通うことでしか見えないものを、見ないままに新しい扉を叩き続けてきた。それもまた、一つの旅の形なのかもしれない。新しい熱に触れ、新しい自分に出会う旅。
だが、歳を重ねるごとに、心のどこかで囁く声が大きくなってくる。
「いろんなサウナを巡ってきたけれど、最後に戻ってくる場所はどこだろう」
「数えきれないほどの熱と水を味わってきたけれど、やっぱりここが一番だと思える場所はどこだろう」
私にとって、その答えははっきりとしている。
花の湯のサウナである。
今日も私は、加賀ゆめのゆの扉をくぐり、3セットをじっくりとこなしてきた。熱に身体を預け、汗を流し、冷水で息を整え、外気浴で風を感じる。そのすべてを丁寧に味わった後で、ふと胸に浮かぶのは、花の湯のあの熱室の匂い。あのベンチの感触。あのロウリュの音。あの、帰るべき場所の温もり。
新しいサウナを求めて旅を続けることも、きっと悪くはない。でも、歳を重ねるたびに、私は思うのだ。
結局、私はここに戻ってくる。
ここが、私のサウナの「終着点」であり、同時に「始まり」でもある場所なのだと。
