塩サウナが消えた日
サウナ日記を記すのも久しぶりとなりました。三連休の中日にあたる土曜日、私は当然のごとく仕事に追われていました。本日は午後から「花の湯」へ足を運ぶことに決め、予定を組み立てました。
花の湯は福井市運動公園の傍らに位置しています。向かう道中、足羽山の近くを通るのですが、桜の開花はまだ先であるにもかかわらず、登りの道路は車で賑わっていました。春本番を迎え桜が満開となれば、さぞかし人出が増すのだろうと想像しつつ、その光景に春の気配を静かに感じた次第です。
そうしたノスタルジックな思いを抱きながら、仕事を抜け出してサウナに向かうというのも、なんとも乙なひとときです。
近年、私は花の湯のサウナを自分の中で過度に神格化していた節がありました。前回のサウナ日記においても、「帰る場所」「ホームサウナ」などと記した記憶があります。それは確かに正しい感覚ではあるものの、そう表現することで、花の湯が私の中で何か特別で高尚な存在へと変容してしまったのは否めません。
しかし、本来の花の湯はもっと気楽な場所であるべきだと、私は考えています。ふらりと立ち寄り、自由気ままにくつろげる、肩の力が抜けた空間。それこそが花の湯の本質のはずです。ところが最近は、まるで格式高い聖域のように感じてしまう自分がいました。
そこで本日は、あえて長居を控え、14時30分頃に訪れることにしました。サッと入ってサッと帰る――そんな軽やかなスタイルを意図的に選んだのです。
施設に入ってみると、以前から気になっていた変化が顕著でした。塩サウナのサウナ器が故障したのか、塩サウナは撤去され、その空間が休憩所へと転用されていました。扉などが外され、温度の入らないままのくつろぎスペースに生まれ変わっているのです。もともと備え付けられていたテレビはそのまま残されており、身体を休めながら画面を眺められる、簡素ながらも心地よい場所となっていました。
これを目の当たりにして、普通の方がどう感じるかはわかりませんが、私は心からほっこりしました。老朽化は避けられず、設備は次第に劣化し、故障も生じます。それを新品に取り替えるのは、資金さえあれば比較的容易な選択です。しかし、ここではそうせず、既存の空間を活かした工夫で対応している。塩サウナだった部屋はドライサウナと位置が近く、水風呂とも連動しやすい配置です。結果として、ドライサウナ→水風呂→休憩所という一連の流れに自然なシナジーが生まれ、利用者にとってむしろ利便性が向上しているのです。お客様の目線に立ち、過度な投資を抑えながら改善を図る――これこそ、真の経営の姿だと私は思います。
思い返せば、私が花の湯に強く惹かれるようになったきっかけも、初めて訪れた際に目にした洗い場の配管でした。お湯や水の給湯・給水管が壁内に隠されるのが一般的であるにもかかわらず、ここでは露出配管のままとされていました。最初からそうだったわけではなく、老朽化による漏水などのトラブルが発生した際、壁を斫って補修するのではなく、見た目は多少犠牲にしても実利を優先し、全てを露出で更新したのでしょう。その姿勢に、飾らない温かみを感じたのです。アロマスチームサウナにおいても、塩ビ管に細かな穴を開けてスチームを放出する簡易な仕組みが採用されており、同様の精神が貫かれています。
そして今回の塩サウナの休憩所転用という発想も、またその延長線上にあります。デザインの美しさではなく、機能の美しさ――機能美を追求する姿勢が、そこには確かに息づいているのです。
こうして振り返ってみると、サウナは理屈ではないと以前どこかで語ったはずなのに、今日はやけに理屈っぽくなってしまいました。好きな場所のことになると、どうしても饒舌になってしまうようです。
ちなみに本日はドライサウナを4セットこなし、現在は畳の部屋で寛ぎながら、この文章を綴っています。肩の力を抜き、ただただ心地よい時間を過ごす――それが今日の、私にとっての花の湯でした。
