「集まる」前に始める
15年以上前のこと。僕が当時絡んでいた事業の説明役として、あるラジオ番組に出演したことがあって、アテンドについてくれた役所の広報担当者がとても聡明な男子で、番組が終わった後に小一時間ほど、おしゃべりをしたことがあった。
「役所ができることなんて、たか知れてますからね。市民の生活に、どれほど作用できているか。貢献できているか。何%ですかね。だから役所が仕切ってるような気持ちになっちゃったら終わりなんです」
当時、彼は20歳代前半。そういう職員さんなんで、次に消息を尋ねたときは、もう辞めておられた。その後は永のご無沙汰。
でも、最近、彼とのおしゃべりを思い出す。
役所とも40年は付き合ってきて、まぁ「点」としての成功事例はあるんだけれど、後に続いてくれる人も、援護射撃もない。多くの市民は「どっちでもいい派」で無関心。
旧来のスタイルな「市民運動」系の人たちも「私の思いを主張する」「行政にぶつける」であって、何を言っても我田引水に解釈されてしまうし、その地の歴史にも、地域の多様性にも無留意。自分たちが「バイブル」。案外、トランプさん的。
意見が通らない…っていうより、聞いてももらえないって感じっていうか。広報の彼みたいな人に会ったことがない。
それが、フツウなのかなぁ。
仕方ないんだけれど。
だったら、自分の「公」意識に基づいて、共感してくれる人と、役所の外でやるしかないかと、ここのところは「私立の公共政策」を構想しては実験して、スタイルを確立しようとしているところ。
広報の彼が言ってたように、役所が行うことが、この国の「公」の全てではない。個人個人の「公マインド」に基づく「公」をていねいにつくっていけばいい。
後に江戸幕府に体系化されていく「公共政策」も、戦国時代(中世)に、街場や村方で、自主的に考案された施策=「私立の新しい公共」の集大成なわけだし。
現在の状況は室町幕府が機能しなくなってきた頃に似ているわけだし。
Z世代の多くは、問題関心から動き始まるにしても、要求するための団体を立ち上げるのではなく、自らが実践家となって走り始めて、その業績に「役所の方が話しを聞きにくる」そういうインフルエンサー…というスタイル。
「集まる」前に「始める」。
それ、今の時代には合ってる気がするな。
時代の転換スピードは速いから「話し合ってる」ゆとりはないし、DTPなり、DTMなりのソフトやアプリ、生成AIなり、人間関係のいらない援軍もいるからね。

時代が変わったんだね。
もう「実行委員会を立ち上げて」じゃないんだ。
リーダー・シップのあり方も変わってくる。
