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ただの疲労だと思っていたら脳出血だった26歳、悲劇は喜劇に変わっていた

――私は何者にもなれない。
それに気付くのに、三十年かかった。
その頃には、私はそれまでの世界の半分を失っていた。
私の二分の一は、どこに消えてしまったんだろう。

「まいにち、まいご。いまだに、まいご」
そう呟くと、怒った母の顔が脳裏に浮かんだ。



大理石の玄関、吹き抜けの天井、何十人ものお手伝いさん。私の家は、ビルゲイツもうなるほどの超豪邸。
母親とデパートにでかける度、私はそこが自宅だったらと妄想しながら歩いた。空想の訪問客を案内しながら歩くものだから、はぐれてよく母に叱られた。
「目離した隙に行方不明なるのやめて!」
ある時は国家機密機関のスパイであり、またある時は、五大ドームを埋め尽くす人気アイドルであり、禁断の恋に苦悩する悲劇のヒロインだった。
現実よりも、頭の中のほうがずっと“本当”だった。



~客席の外~


大学卒業後、特にやりたいことが見つからず、在学中から働いていたアパレルショップで、そのまま派遣社員として働いていた。夢も目標もなく、毎日は変わり映えしないルーティンの繰り返し。
そのくせ、「私はいつか必ずビッグになる」と、根拠なく確信していた。

そんなとき、義兄の誘いでシェイクスピア戯曲の舞台を観に行った。
一人の俳優が目に留まり、彼が台詞を発するのを見た途端、雷に打たれたような衝撃が走った。
「これだ!」
客席じゃなく、舞台に立つ側へ行きたい。
自分じゃない誰かになれることに、救いを感じた。
パンフレットの出演者インタビュー記事の下部に、見逃すほど小さく記載されていた劇団のスタジオ生オーディションに応募した。
一次書類審査合格の通知を受け、最終まで残るかどうかも分からないうちに仕事をやめ上京。初期衝動に突き動かされていた。

都内の劇場で行われた二次審査は、身体能力審査だった。
他の候補者と並び、お尻を床との接点とし、体をくの字に曲げてストップがかかるまで制止する。シンプルだが、地味にきつかった。
その次は、体育館のような広い部屋の隅に立たされ、もう片側にいる審査員に向かって配布された台詞を叫ぶ、という審査だった。
「風よ吹け! 吹き荒れろ!」
それが嵐の中を彷徨うリア王の台詞だということすら知らなくて、とにかく大声を出したもん勝ちだと思っていた。
それなのに、叫ぶうちにむくむくと怒りの感情が沸くのが不思議だった。自分の身体の奥に、知らない誰かがいるみたいだった。ワクワクした。同時に、少し心細くなった。

最終審査では、残った応募者が一同に集められた。
それぞれのスマホから、ツイッター(現X)に投稿された審査員の質問に答えていく、という斬新な形式だった。
YESかNOで答えられるものでも正解があるものでもなく、提示された問題について自分の解釈を返信するというものだった。
【to be or not to be. あなたならどう訳しますか?】
そんな問題が、3分おきに投稿された。十問以上はあったはずだ。
合格する気がしなかった。つい数か月まで、演劇なんて全く興味なかったのだし。
しかし最終審査にも無事合格。ようやくスタートラインに立った。
これからの日々を、「下積み時代」と称し懐かしく語る未来の自分を思い描いた。




~実力を無視した欲に飲み込まれる~


――舞台とは、芝居とは、演出とは。
一から積み上げなければならなかった。演劇が、人類をどれだけ長く魅了してきたか、前進させてきたかを学んだ。何百年、何千年も前から変わらない人間の絶望や欲望を、再現することのできる場所。
知れば知る程、偉人たちの凄さに圧倒された。私はとんでもない場所に来てしまったのかも知れなかった。

祐天寺駅から徒歩20分の場所に、築50年、六畳一間の部屋を借りた。隙間風どころか、壁に穴が開いているのに家賃は78,000円もした。
生活費を稼ぐため、代官山のレストランで昼夜問わず働いた。場所柄、そのレストランには毎日のように著名人が訪れた。
あわよくば誰かが拾ってくれないかな――。
東京は、誰かになりたい若者で溢れていた。

年齢を重ねるにつれ、時間の流れは早くなるとはよく聞くけれど、あの日々は人生で一番短かく感じた。実際、短かった。
上京から1年が経ち、スタジオ生による修了公演が決まった。
スタジオ公演と言えど、本番には名だたる俳優や作家が観劇に訪れる、千載一遇のチャンス。演目が決まってからも、稽古が始まる直前まで配役が決まらなかった。
その時、自分の欲の深さと執着心の強さに、私はほとんどついていけなかった。
何を失ってもいいから、主役が欲しかった。主役じゃなければ、やる意味がないとさえ思った。配役が発表される前から主役の台詞だけを覚えた。いつ指名されても動けるように。

当時付き合っていた彼氏とも別れた。
あんな狭い部屋でも半同棲のようになっていて、稽古が佳境を迎えると、彼の顔を見るのも、声を聞くのも嫌になった。
愛に溢れた人だった。彼の優しさに甘えてしまいそうで、怖かった。
お互い何者にもなれない関係に、価値を見出せない。
私はロミオだけを愛そうと躍起になっていた。

そして、晴れて主役に抜擢された。
ここから、私の物語が始まる。意気揚々、鼻息荒く、気持ちはクラウチングスタートだった。
稽古期間については、まだうまく言語化できない。
当時の感情に相応しい言葉を、まだ見つけられていない。私たちの想像力で築ける世界なんてのは、些細な嘘ひとつでぶち壊れる、儚くて脆い虚像。それぞれのグロテスクな真実が暴かれる稽古場で、汗と涙がぐちゃぐちゃに入り混じっていた。
演出家を黙らせることばかり考えていた帰り道。吐いた息が、ちゃんと白いことにほっとした。

思い描いていた初舞台では到底なかったけれど、あれが当時の私たちに表現できる最大限の世界だった。
本番が終わっても、夢の中にいるような感覚は消えなかった。
けれど翌日には、またレストランで予約の管理をしていた。



~消えていく身体~


その年の夏。
「足を踏まれた」と客から私にクレームがきたと支配人に呼び出され、全く心当たりがない私は、その時になって、左膝の感覚がないことに気付いた。その1時間後には、左肘の感覚も薄くなっていた。そして左目の視界も霞んでいた。
左半身のパーツが、ひとつずつ消滅していくようなイメージだった。
何気なく右手で左腕を摩ると、冷凍庫から取り出した直後のように冷たかった。「死体みたい…」という言葉は、声に出せなかった。
支配人に相談すると、念のため休憩時間に病院に行くよう勧められた。

内科の先生は首をかしげるばかりで、「ただの疲労だと思うんですけどねぇ」と私の目に医療用ペンライトを当てて言った。
「一応〇〇クリニックでMRIを撮ってきてください」
と付け加えて。

耳元で小人の集団が道路工事をしてるみたい。こんな爆音を鳴らされたんじゃ、正常な頭も正常でなくなっちゃう。
スタートから15分ほど経った頃から、モニタールームの技師たちがざわめき始めた。その間中も、左半身の気配は薄まっていく。
「代償」という単語が浮かんでは消えた。

「右脳に黒い影があります。私からは詳しいことは話せないので、〇〇病院の緊急外来に向かってください」
医師の口から流れる言葉は、ここじゃない、どこか遠くの国の誰かの身に起こった出来事のように感じた。
半ば強制的に乗せられたタクシーの窓から見た東京のビル群は、夕方のオレンジに染まっていた。なんとなく、私はこの景色を見たことがある気がした。流れる景色と時間の中、冷たく硬直する左手を摩りながら、私は東京の景色の中に馴染めているだろうか、とぼんやり考えた。



~黒い影の正体~


「右脳の視床下部……。嫌な場所ですね。外科的な措置は避けた方が賢明でしょう」
緊急外来の診察室。医療用語は分からなくとも、普通じゃないことが自分の身に起こっているということは理解できた。
「今すぐどうなるわけではないと思いますが、最悪のケースを考慮しこのままICUに入ってください」
最悪のケース――。
聞きたくても、聞けなかった。答えを受け止める自信も、余裕もなかった。
やっぱり私は、舞台上で死んだ”ふり”しかできなかったことを痛感した。

仕事を早く切り上げた姉と、遅れて母が到着した。
大阪から走って来たのかというくらい息を切らし汗をかいた母が、私の顔を見るや否や呟いた。
「あんた……、なんでパンツ一丁なん?」
急遽姉が持って来てくれた紙袋の中には、オーバーサイズのTシャツと、ブルマみたいな短パンしか入っておらず、私は仕方なくそれを着てベッドに横たわっていた。
「大丈夫。絶対に大丈夫やねんから」
自分に言い聞かせるように唱える母を見ると、鼻水が垂れてきた。次の瞬間、両目から急に水滴が溢れ出て、下顎がガタガタと震えだした。
ビッグになるどころか、何者かになる前に消えるかも知れない。
窓の外は、いつの間にか暗くなっていた。飲み会帰りだろうか、男女のグループのはしゃぎ声が聞こえた。




~消えた左側の世界~


結局、血管腫は3か月後にはピンポン玉サイズにまで肥大化し、放置すればいよいよ呼吸が止まるかも知れないと告げられた。
「大阪に良い病院見つけてん。症例数ナンバーワンやし、手術してもらおう」
母の一言で、私の東京生活は幕を閉じた。
大丈夫、と呪文のように繰り返す母は、現実から目を背けようとしているようにも見えたし、誰よりも強い信念を持っているようにも見えた。

発覚から半年後。
大阪の脳外科病院で手術を受けた。開頭から縫合まで、トータル11時間の手術だった。全身麻酔の効果と、術後4日間続いた頭痛のせいで、手術前後の記憶はあまりない。
意識が戻り頭痛と吐き気が収まると、全身が倦怠感に包まれていた。それから、左半身の所有感が消えていた。厳密に言えば、左(←)という概念が、ごっそりと抜け落ちていた。私の世界は、半分で構成されていた。

「命が助かっただけでも良かった」
そう言われるたび、頷かなければいけない気がした。
うまく歩けなくても、拍手ができなくても、なりたい自分になれなくても、生きているだけで感謝。自分にそう言い聞かせ納得しようとしては、それは形式的な綺麗ごとだ、という反骨精神に燃えた。
一番の救いになったのは、夜、突然病室に現れた執刀医に言われた言葉だった。
「一度傷つけた脳は元には戻らない。君の身体は、以前の状態にはならない」
アンバランスな私の内心を見抜いての一言だった。
「生まれたときみたいに、一からインプットしていくしかない。それでも左半身を制御できるようにはならないと思う。人間の脳って難しいから。僕だってよく分からないし」
私もますます分からない。自分の身体が。
「でも、無いものに意識向けたって仕方ないしね。君はまだまだ若い。しっかり社会貢献してもらわないと」



~自分を棚卸す~


退院後、実家に戻りしばらくは何もせずに過ごそうと思った。けれどまたすぐ、何かに夢中になりたくなった。
穏やかすぎる日常に満足できなくなって、なんでもいいから、生きる動力と刺激が欲しかった。人は死にかけても、本質的には変わらないのかも知れない。
唐突に、自分の人生について書こうと思った。
誰に見せるためでもなく、踏んできた道程を振り返るため。
2年で書き上げた原稿は、承認欲求と自己欺瞞に満ちていて読めたものじゃなかったけれど、書き終わった後、これまでにない程の達成感を得た。

それは、絶望と希望を同時に舐めたような味だった。
私はどう頑張っても何者にもなれない。私は私にしかならない。

「ロミオ、名前を捨てて。名前に何があるの? 
薔薇と呼ばれる花を別の名で呼んでも甘い香りに変わりはない」

あの時演じたジュリエットの台詞を、今なら自分の言葉にできるような気がした。
一番近くにいる誰かを探し彷徨う。哀しくて、可笑しい。これこそ喜劇じゃないだろうか。



~迷子のまま~


「人生は食材の入った冷蔵庫みたいなもの。君は、その年齢ではなかなか入手できない材料を持ってるみたいや。どう調理するか、それは料理人の腕次第やで」

私にそう言ってくれた人がいる。私はそれを、重く受け止めた。
確かに、私の冷蔵庫の中身は珍しい。たとえば山羊の睾丸とか、食べられるのかどうかも分からない雑草とか、そういうものがちらほら混じっているような気がする。
素人の料理人には、どうすることもできないのかも知れない。
美味しく料理する自信なんてない。全然ない。
だけど、持っているもので生きていくしかない。

駅の近くに、8階建てマンションのワンルームを借りた。壁に穴は開いておらず、日当たりも風通しも良い。
何者でもない私は、これからどうなっていくんだろう。
「目離した隙に行方不明なるのやめて!」
あの頃から何もかも変わってしまったような気もするし、何も変わっていないような気もする。
「まいにち、まいご。いまだに、まいご」
ベランダに立つと大通りの向こう側のホームから、環状線の電車がゆっくりと発車した。
目を閉じると、私は一人、劇場の客席に座っていた。どこにも照明の当たっていない舞台上には、もう一人の私が、指示を待つようにじっとこちらを見返していた。





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