見出し画像

流れる水と、心の石「足りない」社会で、循環を取り戻す物語

夕暮れのシャッター街。橙色の街灯がポツポツと点灯し始める時刻、一人の男性が古びた喫茶店のカウンターで頭を抱えていた。

彼の名は新城健一。30代半ばの彼は、この地域で人々が互いに支え合える「まちの相談室」というコミュニティプロジェクトを立ち上げようと駆け回っていた。しかし、開設予定日を来月に控え、準備は完全に暗礁に乗り上げていた。

ノートに書き連ねられた文字は、どれもネガティブな言葉ばかりだ。

『予算:大幅に不足』 『スタッフ:自分を含めて実質2名』 『告知:SNSの反応ほぼなし』 『行政の支援:申請書類の壁で難航』

「足りない……何もかもが足りないんだ」

健一は絞り出すような声で呟き、冷めきったブレンドコーヒーを一口飲んだ。資金も、人材も、時間も、周囲の理解も足りない。社会課題を解決したいという志だけは高かったが、現実はあまりにも厳しかった。自分一人で全てを抱え込み、疲弊しきっていた。

「新城さん、そんなに大きなため息をつくと、せっかくのコーヒーの香りが逃げてしまいますよ」

静かな声とともに、向かいの席に一本の木製杖を突いた老人が腰を下ろした。この喫茶店の常連であり、元高校の心理学教師である佐伯だった。佐伯は細いフレームの眼鏡の奥から、穏やかだがすべてを見透かすような眼差しで健一を見つめた。

「佐伯さん……すみません、ちょっと弱気になってしまって。僕の力不足なんです。この街には、僕たちの活動を支えてくれるような資源が圧倒的に足りていません」

佐伯は運ばれてきた紅茶にミルクを注ぎながら、ふっと口元を緩めた。

「本当に『足りない』のでしょうかね」

「え?」

「新城さんは、川の流れをイメージしたことがありますか?」

佐伯はカップを置き、テーブルの上に指で一本の線を引いた。

「川の水は、本来なら高いところから低いところへ、自然と流れていくものです。もし途中で水が干上がっている場所があったとき、あなたならどうしますか? 上流に向かって『もっと頑張って水を流せ!』と叫びますか? それとも、途中に水流を止めている『大きな石』がないかを探しますか?」

健一は答えに詰まった。

「新城さん、あなたは今、水がないと嘆いている。ですがね、私はこの街を歩いていて、水――つまり“資源”が不足していると感じたことは一度もありませんよ」

佐伯は窓の外、薄暗くなった商店街の通りを指さした。

「あそこの文具店の店主は、定年後に『毎日暇で暇で仕方がない、何か人の役に立つ面白いことはないか』と溢しています。一方で、そこから数十メートル離れた子ども食堂の運営者は『経理や事務作業に追われて手が回らない』と悲鳴を上げている。 また、向かいのマンションに住む元グラフィックデザイナーの女性は、素晴らしい技術を持っているのに『自分から売り込むのは恥ずかしい』と家に閉じこもっている。その一方で、あなたのように『チラシを作るデザイン力がない』と頭を抱えている人がいる。

客観的に見れば、パズルのピースのようにきれいにはまる組み合わせが、この狭い街の中にいくらでもあるんです。それなのに、つながっていない。これは資源がないからではありません。流れていないだけです」

健一はハッとして佐伯を見た。「流れていない……なぜですか?」

「目に見えない『石』があるからです」と佐伯は言った。

「『こんなことを頼んだら迷惑かな』という遠慮。『仕事をくださいと言うのは格好悪い』というプライド。『手伝いますと言ったら何か裏があると思われるかも』という警戒心。『自分から売ったら嫌な営業だと思われる』という不安。……そうした心理的な壁という名の石が、人と人の間にゴロゴロと転がっている。水はそこにあるのに、石のせいで途中で止まっているのです」

「石……」

健一は自分の手元を見た。確かに、自分自身も周囲の人々に頭を下げるとき、「忙しいのに迷惑じゃないか」「急にこんな相談をしたら変に思われないか」と躊躇していた。

「人はね」と佐伯は続けた。 「『動かない』のと『動きたくない』のは違います。誰かが動いてくれないとき、私たちはつい『あの人はやる気がない』『無関心だ』と相手の性格や意識のせいにしがちです。ですが、動けない理由が必ずある。失敗するのが怖いのかもしれない。何をすればいいのか分からないのかもしれない。『出しゃばっている』と思われたくないのかもしれない。

人を変えようとして説得やお願いを繰り返す前に、『何がこの人の動きを止めているんだろう?』と間にある石を見る。声のかけ方を変える。安心して参加できる環境を作る。そうして石を一つ取り除いてやれば、人は誰かに動かされなくても、自分から自然と動き出すものですよ」

「でも佐伯さん、その『石』はどうやって取り除けばいいんでしょうか。助けを求めることすら、みんな遠慮してしまうのに」

佐伯はポケットから、一冊の小さなノートを取り出した。表紙には手書きでこう書かれていた。

『佐伯の取扱説明書』

「入口はね、自分自身を知ることです」

佐伯はノートを開いて健一に見せた。そこには箇条書きで、実にシンプルな言葉が並んでいた。

・急かされると判断が雑になります。 ・一人で静かに考える時間があると落ち着きます。 ・困っていても、自分から「助けて」と言うのが苦手です。 ・感謝を直接言われると照れて素っ気ない態度をとってしまいます。

健一は思わずクスッと笑ってしまった。「佐伯さんでも『助けて』と言うのが苦手なんですか?」

「ええ、大苦手ですとも」佐伯はいたずらっぽく微笑んだ。

「家電製品にはどれも取扱説明書がついていますよね。電源の入れ方、使い方、そして『困ったときの対処法』。人間にもそれが必要なんです。 自分はどんな時に不安になるのか。どんな状況だと余裕がなくなるのか。誰といると安心するのか。それを知っておくことを、私は『心の備蓄』と呼んでいます」

「心の備蓄……」

「備蓄と言っても、何か恐ろしい災害に怯えて食べ物を溜め込むことだけではありません。未来の自分が困ったときに、落ち着いて選択肢を選べるように、今の自分が準備しておく『内側の資産』です。

『自分は疲れると一人で抱え込む傾向がある』とあらかじめ知っていれば、そうなる前に誰かに連絡できる。『自分は急かされると焦る』と知っていれば、最初に『少し時間をください』と言える。自分を知ることは、自分を縛ることではなく、未来の自分の自由度を高め、選択肢を増やすことなのです」

佐伯は温かい紅茶を一口飲み、言葉を重ねた。

「そしてね、自分のトリセツが書けるようになると、他人の見え方が劇的に変わります。 『あの人はなぜあんなに攻撃的なんだ』という不満が、『あの人は急かされると焦るタイプなんだな』という理解に変わる。『なんで相談してくれないんだ』という怒りが、『あの人は助けてと言うのに心理的な石があるんだな』という気づきに変わる。

どちらが正しいか間違っているかではない。ただ、反応の仕組みが違うだけ。問題は個人の性格の中にあるのではなく、人と人の『間』にある。そう思えると、人間関係のトラブルは犯人探しではなく、パズル解きのような知的で面白い体験になるのですよ」

健一は佐伯のノートを見つめながら、自分の胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

「自分を知ることは、面白い……」

「そうですよ。心理や人間理解というのは、決して『悩んでいる暗い人』だけのものではありません。『自分を知るって、こんなに面白いんだ』『人間の仕組みを理解してしなやかに生きている人は、かっこいい』。そう思えるようなステータスであり、文化であるべきなんです。

新城さん。あなたが作ろうとしている『まちの相談室』も、単に『困っている人を助ける場所』にしようとするから、誰も『助けて』と言えずに人が集まらないのではないですか?」

健一の背中に電撃が走った。まさにその通りだった。「支援が必要な人は来てください」とアピールすればするほど、地域の人は「自分はそこまで落ちぶれていない」「周囲に困っていると思われたくない」と遠慮し、誰もドアを叩かなかったのだ。

「助ける人と助けられる人、という境界線をなくすのです」と佐伯は力強く言った。

「まずは、誰もが自分の『取扱説明書』を作るワークショップから始めてみてはどうですか? 『自分を知るって面白い』『お互いのトリセツを見せ合おう』という体験をつくる。自分の弱さや反応のパターンをオープンにできる場所なら、人は安心して『実はここが得意』『ここは助けてほしい』と言えるようになる。

文化が先です。商品や制度は、その文化を運ぶためのエンジンに過ぎません。『助け合いの文化』という土壌が整えば、これまで眠っていた人々の知識、経験、時間、優しさが、まるで堰を切ったように必要な場所へ流れ始めます。事業や運営も、後から自然と循環し始めますよ」

店を出ると、夜風が心地よく頬を撫でた。

健一は商店街の明かりを見渡した。さっきまでは冷たく閉ざされているように見えたシャッターの奥に、今はたくさんの「眠っている宝物」が息づいているように感じられた。

あの文具店の店主。子ども食堂の店主。デザイナーの女性。そして、自分自身。

みんな、自分のトリセツを持ち、間にある石を取り除くだけで、もっと自由に、もっと温かくつながり合えるはずだ。

健一はポケットからスマートフォンを取り出し、メモアプリを開いた。 タイトルに『新城健一の取扱説明書』と打ち込む。

1.一人で抱え込むと、視野が狭くなって「足りない」と騒ぎ始めます。 2.人にお願いをする時、「迷惑かも」と遠慮して自滅する癖があります。 3.でも、人と人がつながって笑顔になる瞬間を見ると、何よりエネルギーが湧きます。

書き終えると、自然と笑みがこぼれた。 不思議と、あれほど感じていた焦りや恐怖は消えていた。未来の自分に、明確な選択肢を手渡せた感覚があった。

「よし」

健一は深く息を吸い込み、力強い足取りで歩き始めた。

足りないものは、最初から何一つなかったのだ。 必要なものはすべて、すでにここにある。あとは、滞っていた川の流れを整え、人と社会のあたたかな循環を取り戻すだけだ。

夜空に浮かぶ月が、健一の進む道を静かに、しかし鮮やかに照らしていた。



まずは、あなた自身の個性や魅力を紐解く第一歩として、セルフ発見と対話のツール「私の取扱説明書(トリセツ)」を体験してみませんか?
👇 あなただけの「トリセツ」で、自分を知る旅をはじめようhttps://www.paradise-bird.com/torisetu/

#パラバ
#カウンセリング
#メンタリング
#心のスタイリング
#メンタルヘルスサポート
#自己成長
#小園麻貴
#田中恭子
#大島由貴奈
#猿渡雅子
#パラダイスバード
#パラバヘルプ
#パラバファミリー
#メンタルヘルス
#人間力  
#コミュニティ
#心の備蓄
#環境心理

いいなと思ったら応援しよう!

パラバファミリー よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!