ココロの仕組みと異常気象の時代を生きる
雨音が静まり返ったリビングには、濡れた土と湿った風の匂いがわずかに漂っていた。
大型台風が直撃すると報じられたその日、テレビの画面には「〇〇区に土砂災害警戒情報が発表されました」という文字が大きく躍り、続いて「〇〇地区に避難準備情報が発令」という聞き慣れないアラート音が鳴り響いた。画面に映し出された地図の、まさに自分の住んでいるエリアが赤く点滅した瞬間、一瞬だけ息が止まるような緊張感が走った。
「うちの町に、こんなのが出るなんて……」
思わず声が漏れる。けれど、窓の外へ視線を向けると、あれほど猛威を振るっていた風雨は嘘のように落ち着きを見せていた。
最近の天気は、どこか様子がおかしい。かつて「〇〇年に一度」と呼ばれていたような記録的な大雨や猛暑、巨大な台風が、今や毎年のように当たり前の顔をしてやってくる。地球全体が悲鳴を上げているような「待ったなし」の異常気象が日常化しているというのに、街を行き交う人々も、ニュースのキャスターも、どこか他人ごとのようにやり過ごしている気がしてならない。明日も今日と同じ平穏が続くと思い込んでいるかのように。
けれど、自然の前では人間がいかに非力であるかを、こうした瞬間に痛感させられる。異常気象に脅かされて初めて気づくのだ。人間もまた文明の庇護を受けた特別な存在などではなく、ただの「自然の一部」に過ぎないのだということを。
嵐の通過とともに気圧が大きく変動したせいか、あるいは緊張がほぐれたせいだろうか。急激な眠気が、波のように押し寄せてきた。
「眠い……」
時計を見ると、まだ昼下がりの木曜日。ダイニングテーブルの上には、今朝、鹿児島の実家から届いたばかりのダンボール箱が置かれている。
中身は、青々と実った大きな「へちま」だった。
一般的にはタワシの材料として知られるへちまだが、鹿児島などの南国では、実が柔らかい若いうちに食用として親しまれている。皮を厚めに剥き、油で炒めてから出汁と甘い味噌でじっくり煮込む「へちまの味噌煮」。
へちま自体には、特筆するような強い味はない。けれど、火を通すことで驚くほどトロトロになり、出汁と味噌の旨味を余すことなく吸い込んだその食感は、一口食べるだけで幼い頃に過ごした実家の庭の風景を鮮明に蘇らせる。
「SNSにへちまの写真を載せたら、『へちまって食べられるの!?』って、みんなびっくりしてたっけ」
そんなことを思い出しながら、トロンと重くなった瞼をこすり、ソファへと体を預けた。
ほんの少し、昼寝をしよう。そう思った瞬間だった。
胸の奥の暗がりから、冷たく湿った「声」が湧き上がってきた。
『働いてもいないのに、昼寝なんてするの?』
『主婦のくせに、まだ家事も残っているのに楽をして申し訳ないと思わないの?』
『誰も見ていないからって、そんな怠けた姿を見せて恥ずかしくないの?』
それまで心地よく体を包んでいた眠気が、一瞬で罪悪感という痛みに変わる。胸がギュッと締め付けられ、息が浅くなるのを感じた。
「そうよね……何も大したことをしていない私が、こんな真っ昼間から横になるなんて、申し訳ないよね……」
罪悪感は、幼い頃からずっと私につきまとっている影のような存在だった。何かを楽しもうとするとき、休もうとするとき、いつも背後から私を監視し、「お前は罪深い」と囁きかけてくる。
だが、重い体を起こそうとして、ふと踏みとどまった。
――待って。私はいま、一体『誰』に対して申し訳ないと思っているんだろう?
静まり返った部屋の中を、ゆっくりと見回してみる。
静かなリビング。キッチンには洗ったばかりの器が整然と並び、窓の外では嵐をやり過ごした鳥たちが時折小さく鳴いている。
家族は仕事に出ていて不在だし、近所の住人が窓から覗き込んでいるわけでもない。スマホを開いても、誰かが「昼寝をするな」と書き込んでいるわけでもない。
そう。現実の世界には、私を責める人など「誰もいない」のだ。
誰も何も言っていない。誰も私を責めていない。
それなのに、私は勝手に何者かの存在を感じ取り、一人で怯え、勝手に罪悪感を抱いて自分を叩いていた。
「……じゃあ、この声は一体、誰の言葉なんだろう?」
静かに目を閉じ、胸の奥深くに潜む「罪悪感の正体」をそっと辿ってみることにした。記憶の糸を過去へ、過去へと手繰り寄せていく。
記憶の海の底で見えてきたのは、昔の小さな住宅の風景だった。
家事でいつも忙しそうに動き回り、疲れた顔をしていた母親の背中。 休日に横になっている父親に向けられていた、冷ややかな空気。 「遊んでばかりいないで勉強しなさい」「怠けているとろくな大人にならないよ」と、悪気なく私に浴びせられた大人たちの言葉。
子どもだった私にとって、親や周りの大人たちは世界のすべてだった。彼らに嫌われないため、怒られないため、見捨てられないために、私は幼い心に強く刻み込んだのだ。
『休むことは悪だ』 『何もしていない自分には価値がない』 『常に忙しく働いていなければ、愛されない』
それから数十年が経ち、大人になった今でも、私の心の中に設置された「自動応答システム」は動き続けていたのだ。
現実の目の前にいる誰かが怒っているのではない。 過去の世界でインプットされた「昔の誰かの言葉」や「他人の機嫌を損ねないために作った防御壁」が、古いレコードのように脳内で自動再生されていたに過ぎなかった。
その「仕組み」に気づいた瞬間、胸の奥で固く結ばれていた結び目が、ふっと解ける音がした。
「そっか……。私はもう、あの頃の小さな子どもじゃないんだ」
今、ここにいる私は、自分の意思で生きている大人だ。 地球の気候が大きく変わり、激しい嵐がやってくるように、人間の心や体も自然の波や気圧の変化に影響を受ける。台風の日に体が重くなり、強烈な眠気に襲われるのは、自分自身が地球という自然環境の中で生きているからこそ起こる、極めて当たり前で素直な反応なのだ。
自然の急激な変化に目を背けて平然と過ごす現代社会の狂気の中に身を置くよりも、この体の悲鳴や変化を素直に受け止める方がよっぽど健全なのかもしれない。
疲れたら休む。眠くなったら寝る。それは生命として当たり前の営みであり、誰に許可をもらう必要もないのだから。
「もう、その古いルールは要らないよ。教えてくれてありがとうね」
心の中の幼い自分と、そこに佇んでいた昔の大人たちの影に向かって、優しくそう告げた。
もう一度、ソファに深く深く体を沈め込む。
へちまが、自分の味を持たないからこそ、味噌と出汁の旨味をただ素直に吸い込んでトロトロに柔らかくなるように。
私もまた、「〜しなければならない」という頑なな自我を捨てて、今の自分の体調や自然の波に、ただ素直に身を委ねてみようと思えた。
働いていても、働いていなくても。 主婦であっても、そうでなくても。 ただ生きているだけで、人間には休む権利がある。
「申し訳ない」という感情の裏にある仕組みを理解したとき、人は長年縛られてきた不要な罪悪感の鎖から解き放たれ、崩れゆく自然環境の中でも自分の軸を取り戻して生きていけるのだ。
外の空気はどこまでも穏やかで、部屋の中には優しい静寂が満ちていた。
実家のへちまの味噌煮がもたらす甘い余韻と、台風が去ったあとの静寂に包まれながら、私は何の罪悪感も抱くことなく、あたたかな眠りの海へとゆっくり沈んでいった。
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