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「いい子」とは誰の基準?〜子どもの心を見失わないために大人が立ち止まる

「いい子だね」
「えらいね」
「すごいね」

私たちは、
何気なく
そうした言葉を
子どもに向けています。

でも、
ふと立ち止まって
考えてみたくなることがあります。

それは本当に、
その子にとっての
「いい子」なのでしょうか。



それは、誰の基準なのだろう

「いい子」
「えらい子」
「すごい子」

その言葉の裏側には、
実は
大人側の基準
静かに隠れていることがあります。

・言うことを聞く
・空気を読む
・迷惑をかけない
・期待に応える

それらは、
大人にとって
都合のいい姿だったり
しないでしょうか。

どこかで
そう感じていながら、
認めたくない自分が
心の中に
いたりもしました。

そして気づかないうちに、
私たちは
「自分の安心」を守るために
「いい子」というフィルターを
子どもにかけてしまうことがあります。


私自身も、そうでした

正直に言うと、
私もかつては
そのフィルターで
子どもを見ていた
一人です。

ちゃんとしてほしい。
大丈夫でいてほしい。
問題なく
過ごしてほしい。

それは愛情でもあり、
同時に
自分が不安にならないため
だったのだと思います。

でもあるとき、
その「いい子」の奥にある
小さな声に
気づいてしまいました。


息子が教えてくれた、本当の理由

あるとき、
息子が
こんな言葉を
口にしました。

怒られないために。
嫌われないために。
認めてもらうために。
褒めてもらうために。
見捨てられないために。

ずっと一人だった・・・。

この言葉を聞いた瞬間、
胸の奥が
きゅっと
締めつけられるような
苦しく辛い感覚と現実がありました。


本当は、泣きたかった。
本当は、わかってほしかった。
本当は、怖かった。
本当は、無理をしていた。
本当は、寂しかった。

「いい子」であることで
自分を守っていたのです。

その姿は、
わがままでも
弱さでもありません。

怒られないように、
嫌われないように、
大切な関係を守ろうとした
その子なりの
祈りのような選択だったのだと
思うのです。

そして今、
無知だった母として、
あの小さな心に
そっと手を合わせるように
思います。

気づけなくて、ごめんね。
守り方を、
間違えてしまっていて
本当にごめんね、と。


私たちは、心を見ているだろうか

その子の
行動だけを見て
判断していないでしょうか。

その子の背景を。
その子が置かれている環境を。
その子の
本当の心の声を。

ちゃんと
想像しようと
しているでしょうか。

「いい子でいられない日」こそ、
本当は
一番そばに
寄り添ってほしい日
なのかもしれません。


ジャッジしない、という選択

これは、
誰かを
責めたい話では
ありません。

親も、大人も、
みんな必死で、
そのときの最善を
選んできたのだと
思います。

だからこそ、
「正しい・間違い」ではなく、

ただ、
少し立ち止まって見る
という選択が
あっても
いいのかなと思います。


いい子じゃなくても、ここにいていい

いい子じゃなくてもいい。
えらくなくてもいい。
すごくなくてもいい。

そのままの感情で。
そのままの存在で。

ここにいていい。

そう伝えられる大人が
一人でも
増えたら。

きっと、
子どもだけでなく、
かつて
「いい子」だった
大人たちの心も
少しずつ
ほどけていくのだと
思います。


最後に

もし今、
子どもに対して
迷いや
戸惑いを
感じているなら。

それは、
「ちゃんと見たい」と
願っている証拠です。

その優しさを、
どうか
否定しないで
ください。

今日もここまで
読んでくださり、
ありがとうございます。

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