アンパンマンは、なぜ最強のヒーローなのか
日本一のベビーシッター
最近、友人に子どもが生まれることが続きました。
おめでたいことです。
赤ちゃんの写真や動画が送られてくると、こちらまで嬉しくなります。
そして、そんな動画を見ていて、ふと思ったことがあります。
子どもって、なぜアンパンマンを見ると泣き止むのでしょうか。
数年前、妹が運転する車に同乗していたときのことです。後部座席の甥と姪が、何が気に入らないのか、突然揃って泣き出しました。
あろうことか、「ママ!」と叫びながら、運転中の妹に手を伸ばして触ろうとする始末です。危ないからやめなさいと言っても、泣いている本人たちには届きません。
こういうとき、おじさんの威厳など何の役にも立ちません。抱っこもできない、運転もできない、ただ後ろで狼狽えるだけの存在です。
そこで私は、伝家の宝刀を抜きました。スマホでアンパンマンの動画を観せたのです。
画面を見せた瞬間、甥と姪は、さっきまでの涙が嘘だったかのように、画面に吸い寄せられました。ピタッと泣き止む。
もちろん、すべての子どもが必ずそうなるとは言えません。
しかし、私の身近な子どもたちを見ていると、その「効き目」はかなりのものです。
これは一体、何なのでしょう。
アンパンマンは、子どもにとって何なのか
大人から見ると、アンパンマンは実に不思議なキャラクターです。
顔が、あんパンです。
困った人がいれば助けます。
お腹を空かせている人がいれば、自分の顔を食べさせます。
そして、顔が欠けて力が出なくなる。
それでも、また新しい顔をもらって復活する。
敵はばいきんまん。
これ以上ないほど分かりやすい善と悪です。
大人が見ると、「ずいぶん単純な世界だな」と思ってしまう。
ところが、子どもにとっては、その単純さがいいのかもしれません。
なぜ泣いているのか。なぜ怒られるのか。なぜ友達と喧嘩するのか。なぜお腹が空くのか。なぜ怖いのか。
大人にとっては当たり前のことでも、子どもにとって世界は謎だらけです。
そんな世界に、「困っている人を助ける人」がいる。
「悪いことをする人」がいても、「助けてくれる人」がいる。
これは、子どもにとって、とても大きな安心なのではないでしょうか。
「顔を食べさせる」という、とんでもない優しさ
アンパンマンの最大の特徴は、やはりこれでしょう。
自分の顔を、困っている人に食べさせる。
冷静に考えてみると、とんでもない設定です。
普通のヒーローなら、敵を倒します。ウルトラマンなら怪獣と戦う。仮面ライダーなら悪と戦う。スーパーマンなら世界を救う。
ところがアンパンマンは、その前に、「お腹が空いている人に、自分の顔を食べさせる」のです。
しかも、それによって自分は弱くなる。
つまりアンパンマンの強さは、「相手を倒す強さ」ではありません。「自分のものを分け与える強さ」なのです。
この設定は、作者・やなせたかしさんの人生と切り離せません。
やなせさんは、戦争中に弟を亡くし、自らも飢えを経験しています。そして何より衝撃的だったのは、戦時中に「正義」として教えられていたものが、敗戦した途端に180度覆ってしまったという経験でした。
正義とは、立場が変われば裏返るものなのか。
そう考えたやなせさんが行き着いたのが、「本当に揺るがない正義とは、目の前で飢えている人に、自分の食べ物を分け与えることだ」という考えだったと言われています。
戦って勝つ正義ではなく、削られてでも与える正義。
アンパンマンは、単なる「正義の味方」というより、やなせさんが人生をかけてたどり着いた「これだけは裏切らない正義」の形なのです。
子どもは「正しさ」より「安心」を見ているのかもしれない
大人になると、正義という言葉は難しくなります。何が正しいのか。誰が悪いのか。立場によって正義は変わるのではないか。
しかし、子どもはもっと根源的です。
お腹が空いている。怖い。寂しい。困っている。
そんなときに、「大丈夫だよ」と来てくれる存在がいる。
アンパンマンは、まずそこにいる。だから子どもは安心するのではないでしょうか。
考えてみれば、車の後部座席で泣いていた甥と姪も、何か複雑な理由があったわけではないはずです。眠かったのか、退屈だったのか、ただ何となく機嫌が悪かったのか。
でも、それを自分では解決できない。
そんな世界に突然現れるアンパンマン。
「大丈夫。助けてくれる人がいるよ」
子どもは、そんなメッセージを受け取っているのかもしれません。
アンパンマンの顔は、いつも笑っている
もう一つ、私はアンパンマンの「顔」が重要なのではないかと思っています。
丸い。赤いほっぺ。大きな目。大きな口。そして、いつも優しい表情をしています。
発達心理学の世界では、生まれて間もない赤ちゃんほど、丸くて左右対称な、顔に近い図形をよく注視することが知られています。まだ言葉も文字も社会のルールも知らないうちから、人は「顔」を読もうとするようにできているのです。
そう考えると、あの日、甥と姪が一瞬で画面に吸い寄せられたのも、偶然ではないのかもしれません。
一目見れば、「この人は怖くない」と分かる。「この人は自分を攻撃してこない」と分かる。何より、「この人は助けてくれる」と感じる。
アンパンマンの顔は、言葉を使わずに安心を伝えているのではないでしょうか。
ばいきんまんも、実は大事なのかもしれない
そして面白いのが、ばいきんまんです。
アンパンマンだけでは、物語になりません。ばいきんまんがいるから、アンパンマンが登場する。
しかし、ばいきんまんは、ものすごく怖い悪役ではありません。悪いことをする。いたずらをする。アンパンマンを困らせる。でも、どこか憎めない。
世の中には、本当に怖いものがあります。戦争もあります。犯罪もあります。病気もあります。突然、大切な人を失うこともあります。
しかし、子ども向けのアンパンマンの世界では、悪が存在しても、最後には安心できる場所に戻ってこられる。
「怖いものがある」ということと、「怖いものがあっても大丈夫」ということは、全く違います。
アンパンマンは後者を教えているように思います。
大人になってから見ると、少し泣ける
子どもの頃には、「アンパンマン、かっこいい!」と思っていたかもしれません。私もそうだった気がします。
でも、大人になってから見ると、少し違って見えてきます。
自分の顔をちぎって、人に与える。自分が弱くなっても、また誰かを助ける。
人生では、自分に余裕があるときなら、人に優しくできます。お金に余裕がある。時間に余裕がある。心に余裕がある。そんなときなら、人に何かを与えることは、それほど難しくありません。
しかし、自分自身が苦しいとき、誰かを助けられるか。
これは難しい。
戦争で飢え、正義が裏返るのを見たやなせさんだからこそ描けた優しさが、そこにはあるのかもしれません。
そして思うのです。親という存在も、実は同じことをしているのではないか、と。
自分の時間を分け与える。自分の体力を分け与える。ときには、自分が思い描いていた人生の形さえ分け与えて、子どもを育てていく。
顔を食べさせるアンパンマンほど劇的ではなくても、最近子どもが生まれた友人たちは、日々、静かにそれをやっているのだと思います。
アンパンマンは「最初のヒーロー」なのかもしれない
子どもにとって、世界で最初に出会うヒーロー。それがアンパンマンなのかもしれません。
強さを見せるヒーローなのに、一番強い技が「与えること」。
敵を倒すヒーローなのに、一番大切なのが「助けること」。
そして何より、「自分が傷ついても、誰かを助ける」という姿を、何十年にもわたって子どもたちに見せ続けている。
アンパンマンは日本が誇る真のヒーローと言えるのではないでしょうか。
子どもが見る「アンパンマンの世界」
車の中で泣き出した甥と姪。抱っこもできない、運転もできない、おじさんにできることは、スマホの画面を差し出すことだけでした。
それでも、アンパンマンを見せると、泣き止む。
そんな光景を何度も見ていると、「アンパンマンって、凄いな」と思ってしまいます。
そして、ふと思うのです。
もしかすると、子どもたちはアンパンマン自体を好きなだけではなく、アンパンマンの中にある「大丈夫だよ」という世界こそ好きなのではないか。
困ったときには助けてくれる人がいる。悪いことが起きても、最後にはまた笑える。誰かに優しくしてもらえる。そして、自分もいつか誰かに優しくできる。
大人になると、世の中はそんなに単純ではないことを知ります。正義と悪の境界も曖昧です。善人が傷つくこともあります。悪い人が勝つことだってあります。
人生は、アンパンマンのようにはいきません。
だからこそ、子どもの頃に、「大丈夫だよ」と教えてくれる存在がいることは、大切なのかもしれません。
今日もどこかで、泣いている子どもの前にアンパンマンが現れる。
「大丈夫だよ」と言うように。
それを見て、子どもが泣き止む。
そうそう、私の甥や姪は、実は「アンパンマンより、おじさんの方が頼りになる」と思っていたりして——まあ、私の勝手な願望なのでしょうが。
