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【知見の断面 #23】「傷つけない」という制度は、なぜ声を削り始めるのか

📢 はじめに
いつもご覧いただきありがとうございます。
今回は、ハラスメント対応や行動是正のプロセスをめぐる話です。誰も明確な悪意を持っていません。 誰も、誰かを黙らせようとしたわけでもありません。
それでも、正式な手続きを経たあと、ある社員の「声」だけが静かに小さくなっていきました。組織のコンプライアンスや人事に関わる方であれば、この感覚に近いものを経験したことがあるかもしれません。なお、本稿は複数の事例をもとに再構成した一般化ケースであり、特定の企業・個人を指すものではありません。

また、本稿が問題にしているのは、ハラスメントの認定基準を緩めることでも、申し出を抑制することでもありません。申し出と事実確認が適切に行われることを前提に、その対応が組織に与えた二次的な影響まで観測できているか、という制度設計上の問いです。


こんにちは、peng noteです。

ある企業に、軽妙な物言いで知られる社員がいました。ここでは、A氏とします。A氏は、誰かを名指しして攻撃するような人物ではありませんでした。その場を和ませるために軽口を飛ばす。失敗した後輩を少しからかう。親しい同僚には、見た目について冗談を言う。そういう人物です。長く一緒に働いてきた社員の中には、「Aさんに何も言われない方が寂しい」と笑う人もいたといいます。

A氏の軽口を好意的に受け取る社員もいれば、必ずしもそうではない社員もいたでしょう。ただ、それまで明確な申し出として表面化したことはありませんでした。

ある年、新入社員の歓迎会が開かれました。A氏は、そこでいつものように軽口を口にします。ところが後日、その場にいた新入社員の一人が、その発言を「不適切だった」と人事へ申し出ました。

人事は対応します。A氏への聞き取り。始末書。再発防止の誓約。

ここで大切なのは、この対応の是非を論じることではありません。新入社員が不快に感じたのであれば、それを人事へ申し出ること自体には何の問題もありません。そして、申し出があったことと、当該行為をどのように評価するかは別の問題です。人事にも、申し出を受けた以上、事実関係を確認し、必要に応じて適切に対応する責任があります。そしてA氏も、その対応を受け入れました。

ところが、その後です。A氏は、必要最低限のことしか話さなくなりました。以前なら会議の前後に飛んでいた軽口も、ほとんど聞かれなくなった。問題となった発言は、確かに再発していません。会社の記録だけを見れば、これは「対応完了」です。相談があり、事実確認が行われ、是正措置が取られ、再発もしていない。むしろ、きれいに処理された事案と言ってよいでしょう。

ただ、ここで一つ気になります。この一連の手続きの中で、A氏から何が失われたのかを測る仕組みは、そこにはありませんでした。

今回考えてみたいのは、A氏と新入社員のどちらが正しいかではありません。もっと制度寄りの話です。組織は、対応によって得たものは記録するのに、対応によって失ったものは、なぜほとんど記録しないのか。という話です。

第一章:「対応した」は残る。「消えた」は残らない

人事やコンプライアンスの仕事には、記録が必要です。相談を何件受けたのか。そのうち何件について調査したのか。是正措置を何件実施したのか。研修を何回行ったのか。こうした数字は、組織が適切に対応していることを説明するうえで重要です。経営会議でも、監査でも、対外説明でも使えます。

一方で、「対応後、職場で交わされる雑談がどれだけ減ったか」「率直な発言を控える人がどれだけ増えたか」「会議で意見を言わなくなった人がいるか」といったものは、普通は記録されません。

A氏のケースでも、「申し出に対応した一件」は記録に残ります。しかし、「以前は場を和ませていた雑談が消えた」という出来事には、そもそも記録欄がありません。

つまり、制度には一つの非対称性があります。対応の成果は測りやすい。対応の副作用は測りにくい。

ここで少し連想するのが、以前この連載でも触れたグッドハートの法則です。厳密には今回のケースとは異なります。ただ、「観測しやすい指標に管理が引き寄せられると、指標の外側にある現象が見えにくくなる」という点では、近い問題を含んでいます。

組織では、どうしても測れるものの方が管理対象になりやすい。対応件数は測れる。研修受講率も測れる。再発件数も測れる。しかし、「話しにくくなった」「余計なことを言わなくなった」「少し空気が硬くなった」といった変化は、数字にしにくい。すると、測れる側だけを見て、「制度は機能している」と判断しやすくなります。

これは、人事担当者の視野が狭いから起きるのではありません。むしろ実務上は自然なことです。説明責任を果たそうとすればするほど、記録可能なものを集める必要があるからです。問題は、その結果として、記録できない副作用が、意思決定の外側へ押し出されることにあります。

第二章:結果だけが先に確定する

この構造は、企業内だけに見られるものでもありません。文脈はまったく違いますが、少し似た形をした事例があります。

2013年、アメリカのインターネット・メディア企業で広報を担当していた女性が、南アフリカ行きの飛行機へ乗る直前、一つの投稿をしました。後に本人は、白人が自らの特権によって現実から隔絶されていることを皮肉る意図だった、と説明しています。しかし、投稿そのものは広く人種差別的な発言として受け取られました。

当時のフォロワーは170人ほど。ところが、あるメディア関係者が約1万5千人のフォロワーへ拡散したことで、投稿は急速に広がります。本人は、その間ずっと飛行機の中でした。やがて彼女の着陸を待つハッシュタグまで作られ、世界的な話題になります。そして着陸した頃には、事態の大部分がすでに進んでいました。

このケースで興味深いのは、本人が説明するより先に、結果の方が確定していったことです。

2020年には、さらに違う例があります。ある電力会社の作業員が、運転中に窓から手を出していました。本人によれば、指の関節を鳴らしていただけでした。ところが、それを見た別の運転手が、差別的な意味を持つハンドサインだと解釈します。写真がSNSへ投稿され、拡散されました。会社は調査を行い、作業員を解雇します。

後になって、写真を投稿した人物自身が、「自分が誤解していたかもしれない」と認めました。解雇させる意図もなかった、としています。少なくとも当時の報道時点では、解雇は撤回されていませんでした。

一つ目の事例には、少なくとも本人が書いた言葉がありました。二つ目には、それすらありません。本人が意味を込めていない行動に、第三者が意味を与え、その解釈が現実を動かしました。

ここで起きているのは、意図よりも解釈の方が、組織にとって処理しやすい情報になるという現象でもあります。意図は本人の内面にあります。しかし、投稿された文章や写真は、証拠として残る。組織から見れば、後者の方が扱いやすい。ここにも、測りやすいものと、測りにくいものの非対称性があります。

第三章:制度は「重くする」方が説明しやすい

では、なぜ組織は対応を強める方向へ動きやすいのでしょうか。ここには、一つ実務的な理由があります。

何か問題が起きたあと、「なぜ対応しなかったのか」と問われるリスクは、非常に分かりやすい。一方で、組織内部の説明責任という観点では、「なぜ対応しなかったのか」に比べ、「なぜそこまで対応したのか」という問いは、可視化されにくいことがあります。

ハラスメント対応の制度運用にも、同じ非対称性が生じる可能性があります。日本では、職場におけるパワーハラスメント防止措置が企業に義務付けられました。企業には方針の明確化、相談窓口の整備、相談者に対する不利益取り扱いの禁止などが求められています。この方向性自体には、大きな意味があります。以前なら声を上げられなかった人が、正式な窓口へ申し出ることができる。これは明らかな前進です。

ただし、制度を運用する側には別のインセンティブも生まれます。担当者から見れば、必要な措置を実施したという説明を残せる対応の方が、組織内では選択しやすくなることがあります。こうして、一つひとつは合理的な判断であっても、制度運用全体としては重い側への偏りが生じることがあります。

ここで重要なのは、誰かが制度を悪用している、という話ではありません。むしろ逆です。担当者が合理的に行動するほど、制度全体が重くなることがある。という話です。

A氏のケースでも同じです。仮に、「口頭での注意にとどめる」という対応と、「文書による確認まで行う」という対応の二つがあったとします。後者の方が、「会社はきちんと対応した」という証跡を残しやすい。つまり制度には、強い対応を選ぶ理由は記録に残しやすい一方、あえて軽い対応にとどめる理由には、より丁寧な説明が必要になるという非対称性があります。

第四章:軽口は、本当に「無駄」だったのか

ここでA氏に戻ります。A氏の軽口が、すべて適切だったと言いたいわけではありません。誰かが不快に感じたという事実がある以上、その言動について振り返る必要はあったのでしょう。

ただ、その軽口には別の機能もあった可能性があります。場の緊張をほぐす。上司と部下の距離を少し縮める。会議が始まる前に、誰かが一言しゃべりやすい空気を作る。こうしたものです。

組織には、成果として直接測れない活動がたくさんあります。雑談。非公式な相談。仕事と直接関係のない会話。一見すると、生産性とは関係ありません。しかし、それらが人間関係を維持したり、問題を早期に察知したり、意見を言いやすくしたりすることがあります。工学でいう「冗長性」に少し似ています。平時には余分に見える。しかし、何かあったときに、その余分がクッションになる。

ここで注意したいのは、だからA氏の軽口を復活させるべきだ、という話ではありません。論点はそこではありません。また、「職場を和ませる機能があった」ことは、不適切な言動を許容する理由にもなりません。問題は、その機能まで同時に失われたとき、それを別の方法で補えているかどうかです。

もし何かを削るのであれば、それが担っていた機能まで一緒に失われないかを確認した方がよい、ということです。たとえば軽口を減らすなら、代わりに雑談が生まれる場があるか。率直に発言できる別の関係が残っているか。新人が困ったとき、公式な相談窓口以外にも声をかけられる相手がいるか。こうしたものまで見て初めて、「制度変更の影響を見た」と言えるのではないかと思います。

第五章:制度は、いったん作ると減らしにくい

もう一つ、制度には特徴があります。作るときより、やめるときの方が難しい。ということです。

新しい研修を始める。新しいチェック項目を加える。新しい規程を作る。新しい相談窓口を設ける。導入するときには、「リスクを減らすため」という分かりやすい理由があります。

ところが数年後、「この研修はもう必要ないのではないか」「この規程は少し細かすぎないか」と見直そうとすると、別の説明が必要になります。なぜ減らすのか。本当に安全なのか。問題が再発したらどうするのか。つまり、追加には説明しやすい理由があり、削減には説明責任が発生する。この非対称性があります。

さらに制度が複雑になると、それを運用する業務も増えます。研修。記録。相談窓口。監査。外部委託。これは誰かが制度を膨らませようとしているからではありません。制度が増えれば、その制度を運用する仕事も自然に増えるからです。そして運用業務まで定着すると、「制度そのものを減らす」という判断は、「既に存在する業務を減らす」という判断にもなります。

こうして制度には、少しずつ慣性が生まれます。増やすことはできる。しかし、減らすことは難しい。これもまた、制度設計の段階で考えておくべき問題だと思います。

第六章:実務でできること

では、どうすればよいのか。制度をなくす必要はありません。むしろ必要なのは、制度の副作用も制度の中で観測できるようにすることだと思います。

① 「対応件数」だけでなく、対応後の変化を見る

相談件数、調査件数、研修受講率だけではなく、「率直な発言がしやすいか」「上司や同僚へ気軽に相談できるか」といった項目を継続的に見る。エンゲージメントサーベイなどを使えば、完全ではなくても傾向を追うことはできます。重要なのは、制度の成果と副作用を、別々に観測することです。

② 「事実確認」と「処分」を分ける

申し出を受けたら調査する。これは必要です。しかし、「調査すること」と、「重い処分をすること」は別の意思決定です。注意、対話、指導、文書による確認、正式な懲戒。事案の重さに応じて段階を用意しておけば、「申し出があったから、標準テンプレートを適用する」という運用を避けやすくなります。

③ 見直し可能な制度にする

一度行った対応が過剰だったと後から分かったとき、修正する経路があるか。行動改善計画、配置上の措置、研修、一定期間のモニタリングなど、継続的な是正措置については、一定期間後に効果と副作用を見直す仕組みを設けることも考えられます。制度設計では、判断を誤らないことだけでなく、判断を誤ったと分かったときに修正できることも重要です。

④ 「誰が正しいか」だけで判断しない

A氏が正しいのか。新入社員が正しいのか。この形にすると、議論は対立になります。そうではなく、「この対応によって何を守るのか」「その代わりに何が失われる可能性があるのか」を同じテーブルに載せる。これは、制度設計ではかなり重要です。

⑤ 導入するときに「やめる条件」も決める

多くの制度には、導入条件はあります。しかし、縮小条件がありません。新しい研修や規程を作るときに、「何年間問題がなければ簡素化する」「どの指標が改善したら頻度を下げる」といった見直し条件も決めておく。これだけでも、制度が一方向に積み上がり続けることを防ぎやすくなります。

終章:「対応した」という記録の外側にあるもの

A氏は、その後も問題を起こしていません。必要なことを話し、それ以上はあまり語らない。会社として見れば、再発防止は機能したことになります。相談は受理された。聞き取りも行われた。是正措置も取られた。同じ問題も起きていない。記録の上では、すべて整っています。

ただ、その記録のどこにも、以前のA氏がどれくらい職場でしゃべっていたのかは書かれていません。どれくらい人を笑わせていたのか。その軽口が、場の空気にどんな影響を与えていたのか。そして、それが消えたあとに何が変わったのか。それらは、ほとんど帳簿に載りません。

ここに、今回考えたかった問題があります。制度は、測れるものを管理するのが得意です。相談件数。対応件数。再発件数。研修受講率。しかし、制度が動いた結果として生じた、沈黙は測りにくい。

「傷つけないこと」は、大切です。その方向へ制度が進んできたことにも意味があります。ただし、傷つける言葉を減らしたことと、人が話さなくなったことは、同じではありません。前者だけを見て制度が成功したと判断すれば、後者は永遠に評価の外側に残ります。

だから新しい制度を作るときには、「これは正しいか」だけではなく、「この制度によって、何が測れなくなるか」も一度考えておいた方がよい。

制度が危うくなるのは、誰かが悪意を持ったときだけではありません。むしろ、それぞれが合理的に行動し、それぞれが自分の役割をきちんと果たした結果、全体として誰も意図しなかった場所へたどり着く。組織では、そういうことがあります。

今回のケースで言えば、問題となった軽口は消えました。そして同時に、少しだけ、声も消えました。

その二つを同じ帳簿に載せること。たぶん制度設計に必要なのは、そこなのだと思います。


主な参照資料
◉ CBS News「Justine Sacco, public relations executive, loses job after tweet on AIDS in Africa」(2013年12月)

◉ Jon Ronson「How One Stupid Tweet Ruined Justine Sacco's Life」The New York Times Magazine(2015年2月)

◉ NBC San Diego「SDG&E Worker Fired Over Alleged Racist Gesture Says He Was Cracking Knuckles」(2020年6月)

◉ 厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」



peng🌱note(ペンノート)

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