江戸の坤(ひつじさる)の護神 〜日枝(ひえ)神社〜
(26.9.20追記 武内宿禰の年齢を間違えていたので訂正しました。失礼しました)
Prol.
前話では 色彩豊かな神田明神へお詣りしました。そして神田明神は江戸の艮 (鬼門) を守護する社でもありました。
そうとなれば、次は江戸の坤 (裏鬼門)の守護を参詣したい……!
という訳で【日枝神社】に移動しました。
神社名 : 日枝神社
日時 : 2026年8月26日
場所 : 東京都千代田区永田町
Chap.0 神田明神→新御茶ノ水駅→(東京メトロ千代田線)→国会議事堂前駅→日枝神社

手前に見える 川を渡る線路は 東京メトロ丸の内線
右にJR 御茶ノ水駅
総武線が 奥の橋を渡ったり
中央線が 神田川に沿って走る らしい

2/1や3/1、3/8が日曜なので赤い半円が乗っている
小さい数字のパネル 何だろうなぁ?と思ってました笑
国会議事堂前駅を降りて地上に出ると、左側にバリケード (首相官邸側だった) 。
右も左も目の前も髙い建物。警備員さんもいるので、お上りさん (笑) は悪いことしてないのに、ドキドキそわそわして挙動不審にw
マップを確認し、左右を緑に挟まれた道路に沿って進むと、幅狭めの階段が見えてきました。



エスカレーター
エスカレーターで上がれる神社として 有名らしい
ほんと ビル街の ど真ん中
Chap.1 山王鳥居
山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界(原文ママ)・金剛界と神道の合一を表しているとされます。山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。 山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰です。
↑「日枝神社」と「日吉大社」の違いについてはChap.6にて。 軽くまとめると「日枝神社」の大元が「日吉大社」です。
新参道

日枝神社の 南にある
西参道


社号標は 山王日枝神社

表参道


山王男坂は 日枝神社の表参道……ここが正面らしい

階段上は 空しか見えない (^ ω ^ ;)
現在 山王男坂と本殿の間にある神門 (楼門) や、本殿に向かってコの字に囲う廻廊 (?) が【江戸城御鎮座五百五十年記念事業】により再建中でした。神門があった時は鳥居から、階段上に神門の上部が見えたようです。


Chap.2 本殿

徳川将軍家が奉納したとされる 江戸時代初期の工芸品

京都は檜皮葺 東京は銅葺が多いのかな?
御祭神
大山咋神
相殿神
国常立神
伊弉冉神
足仲彦尊
大山咋神について、日枝神社のウェブでは
・「咋」は「主」という意味で、大山の主であり地主神
・山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展、産業万般の生成化育を守護
・近年は厄除け、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌の神としても崇敬される
・『古事記』には別名 山末之大主神で、日枝山 (比叡山)や松尾社に坐す、と記述がある
氷川神社や八坂神社の主祭神である素戔嗚尊の孫にあたり、以前伺った賀茂御祖神社 (下鴨神社) に祀られる鴨玉依媛命の夫で、賀茂別雷神社 (上賀茂神社) に祀られる賀茂別雷大神の父である、とも。
相殿神について日枝神社に記載がなかったので、ざっくり載せます。
・国常立神は天地開闢の時に名が出てくる独神で、国土の守護神。
・伊弉冉神は国産み・神産みの神で、安産や育児、厄除けなどの御神徳があります。
・足仲彦命は第14代天皇・仲哀天皇のこと。日本武尊の子で神功皇后の夫。
日枝神社の神使 神猿

魔除けの象徴とされた

まさるさんの口が「山」 胴に「王」の字で
「山王」になってる!
Chap.3 山王稲荷神社 ・ 八坂神社 ・ 猿田彦神社

拝殿は一棟ですが、本殿は「山王稲荷神社」でひとつ、「八坂神社」と「猿田彦神社」でひとつです。
山王稲荷神社

5円玉みたい
御祭神
倉稲魂命
|素戔嗚尊《すさのをのみこと》の子であり、穀物の神様。日枝神社がここにできるより前に、地主神としてこの地に祀られていました。昭和20年の戦火によって境内が全焼した時に焼失を逃れたので、防火防災の守護の神としても崇敬されているそう。
八坂神社 猿田彦神社

伊勢の猿田彦神社の神紋も 五瓜に梅鉢と
"五瓜"つながり
八坂神社 御祭神
素戔嗚尊
伊弉諾神の子で、本殿の大山咋神の祖父。厄除けや農耕神、嵐神などなど。
写真はありませんが、こちらに奉納されている狛犬は元々神田明神内の南伝馬町天王社にありました。明治18年の火災で天王社本殿などが焼失したため、南伝馬町の氏子たちにより日枝神社に祇園社が造営され、狛犬もこちらに移されたそう。
猿田彦神社 御祭神
猿田彦神
天照大御神の孫である瓊瓊杵尊を道案内した導きの神。
Chap.4 稲荷参道 (千本鳥居)


Chap.5 神輿庫と山車庫と双葉葵

扁額みたいなのに 地区名が書いてある

神紋
日枝神社の大山咋神と、賀茂御祖神社の鴨玉依媛神 (妻) 、そして賀茂別雷神社の賀茂別雷神 (子) と関わりがあるので、上賀茂神社・下鴨神社と同じ双葉葵の神紋だそうです。

日枝神社とは異なり 1つの茎が枝分かれしている
山王祭
日枝神社の例大祭で、江戸三大祭 (他・神田明神の神田祭・富岡八幡宮の深川八幡祭) と日本三大祭 (他・京都八坂神社の祇園祭・大阪天満宮の天神祭) 、それぞれの一つに数えられる……って同じこと神田明神の記事でも書いたなぁ……?笑
山王祭も神田祭も徳川将軍上覧の天下祭で、現在ではどちらも2年に1度 (日枝神社が偶数年、神田明神が奇数年) の「本祭り」を行っているそう。今年 (2026年)は日枝神社が本祭りの年でした。(本祭りじゃない年は「陰祭り」で、やや控えめなお祭りになる)
Chap.6 日枝神社とは
日吉と 日枝と
日枝神社のお話をするには、総本山・日吉大社についてまず押さえておく必要があります。
日吉大社は滋賀県大津市にある、全国の日枝・日吉・山王などの総本宮です。比叡山にあることから元々「比叡」「日枝」と呼ばれていましたが、その呼び方が時代と共に変化していきます。
平安時代 → ヒエの「エ」を慶字の「吉」と置き換え「ヒエ/ヒヨシ」両方の呼び方が発生
鎌倉時代以降 → 「日吉社」が一般的な表記に
明治時代 → 「日吉神社」が公称に
終戦後 → 戦後のごたごた (意訳) でごちゃごちゃ (意訳) になるのを防ぐため、「日吉大社」が公称に
周囲との差別化を図るため、周りに名乗るのを禁止するのではなく、自分が名称を変えるとは……優しさもありつつ、ブランド戦略みたいなものもありそうです。
東京の日枝神社 別名 山王日枝神社
さて、東京の日枝神社 (この章では【山王日枝神社】で統一) に話を戻します。
山王日枝神社のウェブ上の縁起では
武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明10年(1478)太田道灌公が江戸城内に鎮護の神として川越山王社を勧請し (以下略)
とあります。
調べたところ、山王日枝神社につながりそうな川越の日枝神社は2箇所ありました。
①上戸日枝神社 : 江戸氏との縁
平安時代末、日吉大社を勧進した新日吉神宮 (京都市東山区) に荘園 ・河越荘を寄進し、日枝神社が勧請されたそう。河越荘を管理したのが河越氏で、江戸氏と血縁関係にあります。
なお、江戸城鎮守の山王社は、仙波山王社から勧請されたと江戸時代広く言い伝えられていたが、昭和時代に入り、熊野那智大社の米良文書が発見され、南北朝時代にすでに江戸山王社が存在していることがわかったため、河越氏の時代に当神社から分祀された説が出されている。
②仙波日枝神社 (仙波山王社) : 太田道灌との縁
仙波日枝神社は、天台宗喜多院の敷地内に創建当初 (830年 平安時代)からあったそうです。
日吉大社が天台宗総本山・比叡山延暦寺の護法神とされたので、仙波日枝神社も喜多院と共に創建されたという話に違和感はありません。(ちなみに喜多院自体も、天海僧正が就いた頃から徳川家との 癒着 関係性が親密になります)
喜多院のウェブに山王日枝神社について記載されています。
現在の赤坂日枝神社は、文明10年 (1478) に太田道灌が江戸の地に城を築くに当たってここから江戸城内紅葉山に分祀したことにはじまります
上記の「赤坂日枝神社」は山王日枝神社のこと。これにより山王日枝神社の縁起にある『川越山王社』が仙波日枝神社のことと思われます。
山王日枝神社の縁起のまとめ
川越にある2つの日枝神社の縁起を見ると、
『武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が祀った山王社』→上戸日枝神社
『太田道灌が勧請した川越山王社』→仙波日枝神社
と考えるのが自然なようです。
江戸城内の日枝神社は「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産土神」として崇敬を集め、2代目秀忠の江戸城大改造の時に、現在の麹町隼町 (現在の国立劇場付近) に遷祀されます。
その後大火の難に遭ったため4代目将軍家綱によって、福知山城主松平主殿頭忠房の邸地であった赤坂溜池を臨む現在の地に、山王日枝神社が造られました。
この邸内にもともと祀られていた山王稲荷神社は、末社としてそのまま境内に残っています。
Chap.7 宝物殿
拝観した日はめっちゃ暑い日で (最高気温34℃) 、宝物殿にいらっしゃった神社の方と「暑いねー」「そですねー」という会話をしました 笑
本殿付近は西陽がすごいので、空調が効いている宝物殿は、とてもありがたかったです(●´ω`●)
展示品は刀や弓矢など武士らしいものから、山車の人形などの山王祭に由来するものなどが展示されていました。日枝神社が徳川家だけでなく、地元民からもずっと大事にされてきたとわかる品々でした。
神功皇后と武内宿禰
個人的には山車人形の「神功皇后」「武内宿禰」が気になりました。
どちらの人形も人間くらいの大きさ(150㎝くらい?数値不明) で、
神功皇后は戦装束で堂々とした出立ち、目は炯々として正面を見ています。
対して"超長寿の忠臣"で有名 (?) な武内宿禰は平安時代の文官のような装束、穏やかな顔つきで赤子 (のちの応神天皇) を大事に抱えていました。
他の地域の山車人形で調べてみると、神功皇后は戦装束で1人立つ姿しかなく、赤子を抱える姿のものは無さそうです。
武内宿禰は「戦装束で【潮の満干を操る珠】を投げ入れる姿」が別ver.であるようでした。ただその場合は応神天皇が生まれる前の場面のため、赤ちゃん応神天皇は登場しません。
そう考えると日枝神社の山車人形は、
・「武」の神功皇后と、「文」そして「忠臣」の武内宿禰 で、徳川幕府の治世の安定・永続
・神功皇后が応神天皇を無事出産したことと、武内宿禰が超長生き (300歳超) したことを踏まえて (そもそも応神天皇も110歳超) 、徳川家の子孫繁栄や長寿
などを願ったものかもしれません。
↑こちらに「神功皇后」「武内宿禰」人形の写真があります (三番 麹町七・八・九丁目)
宝物館の開館時間は9時〜16時までです。
↑宝物殿の雰囲気がわかります
↑代表刀剣3振の写真が載っています
Epil. 御朱印

2種類を直書きで頂戴しました
(左) 官幣中社 (明治時代)の朱印 (右) 現行の朱印
御朱印の神紋は、山車庫・神輿庫にあったものと違って、より上賀茂神社・下鴨神社の神紋に近いですね。

(ちゃんと重いw) 金属製で かっこいい!

かわいい (*´ω`*)
最後まで お読みいただき
ありがとうございました!
