閃きも、一つの神秘現象である
いわゆる超常現象や神秘体験を、いかに論理的に説明するかというテーマは、私自身好きなテーマでずっと考えてきたが、やはり、まずは、神、天使、悪魔、幽霊、オーブなど、とにかくそういった名前で呼ばれる、主観的体験として語られる内容は、あくまで「一つの解釈」だと知ることが重要ではないだろうか。
それには、人は、物自体をそのまま認識しているのではなく、受け取った情報をそれぞれのフィルターを通して解釈し、一つの世界観として認識しているということを知ることが、まずはじめに必要なステップだろう。そして、そのフィルターは、それぞれの出自や、これまでに得てきた知識によって異なる。
神秘体験を「論理的に説明する」とき、その理論化の方法自体もまた、一つのフィルターなのだ。私たちはこれまで、科学と非科学を分けることで発展してきた。しかし、この「分ける」という行為もまた、解釈の一つに過ぎない。
例えば偉大な発明家や科学者も、インスピレーション(閃き)は無意識領域から得ているケースが多い(そもそも、インスピレーションとは本来そういう性質のものだろう)。その後で、精緻に言語化するのは、また別のプロセスであり、「翻訳作業」だ。そしてその閃きも、一つの「神秘現象」だと認識することが重要ではないだろうか。
だとすれば、霊能者が、別次元から降りてきたメッセージを私たちに伝える作業もまた、翻訳作業だと言い換えられる。
科学の発展の中で、そのインスピレーションそのものが、どこからやってきているのかは、隠蔽されてきたと言っていいと思う。「語り得ないこと」には触れないという態度が、概ね妥当だとされてきた。つまり、無意識的に線引きをしてきたのだ。しかしこの境界もまた、常に歴史的な経緯によって引かれてきたにすぎない、動的なものだ。
したがって、科学者たちは、自分たちも常に神秘に関与していると知ることが大切だし、霊能者たちは、自らの体験を精緻に言語化することを、必要のないこととして退けないことが大切だろう。そうすることで、両者の間にある境界の溶解は促されるのだと思う。
