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そもそも、生きているだけで私達は呪われている!?(痛みの地上に在るという事)

こんにちは。
葬儀のオルケスタ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
作曲家です♪

本日は、
先日にアップした私の
「通夜」
に関して、
ちょっと解説というか、
思考を補足していこうと思います。

簡単に言うと、この作品は、
旧約聖書を元にした
[死の穢れ]
を題材にしています。

[死に触れると穢れる]
という死穢の概念は、
日本の神道という宗教で有名ですが、
実は旧約聖書の時代にも、
似た思考~迷信があり、
旧約聖書では、
死体に触れた者は不浄となる
事や、
ある特定の呪われている生物を食べると
その身が穢れる

事を注意しています。

しかし、
仮に、その思考で世界を見た時に、
この地上は土壌を始め、
そもそも
生物の死骸で作られているので、
世界は死骸だらけであり
(果物も木材も死骸)、
我々は、この地上に
存在するだけで穢れているし、
呪われている・・

と、考える事が出来ます。

そういった
ちょっとしたひねくれた諧謔を
ポルトガルファドという音楽の
サウダーデ(喪失と悲喜劇の感情)
で歌った作品が
今回の詩[通夜]なのですが、
この作品には、
もう一つのテーマがあります。

それは、
死んだ者の死体を警備する為に、
死者と一晩過ごす
ユダヤの通夜の儀式である
[シェミラ]です。

この作品は、全体的には
店じまいした後の(カーサ・デ・ファドの)店内で
人生とは[シェミラ]の様なものである・・
と主人公が語っているものです。

ポルトガルは、
ユダヤ亡命と迫害の深い歴史があるので、
その隠された悲しみは
ファドとも無縁ではありません。

いずれにしても、
何か影と傷を背負った者達が
社会から[穢れ]として
迫害され、追放された時に、
我々は
それを救えなかった罪
を、誰もが多かれ少なかれ
背負っているので
(誰かの犠牲の上に
したたかに生きる罪)
その生きる事の罪
このファドは歌うのです。

どんな生き方をしようと、
我々は、この痛みの地上(通夜の様な地上)で
呪われているのである・・

それが、この作品のテーマです。

とはいえ、
それすら笑いながら生きる事が
神への反逆であり、
生きる者の逞しさでもあり、
愛と信仰でもある・・

(つまり、そんな痛みの中でも
救いはあるのではないか?)
という哲学で
最後は締めくくられるのですが・・

ちなみに、
詩の随所で引用されているラテン語は、
主に旧約聖書からのものですが、
最後の引用だけは
2世紀ローマの
マルクス・コルネリウス・フロント
の書簡からのものとなります。



「通夜」
黒実 音子


閉店した
[裏地(バッシュドリス)]という酒場で
私は生まれた者の責務
[自分の死を待つ事]
を全うする。

放置されたギターラが
まるで旧約に登場する
小動物の死骸の様に
横たわる店内で・・

【QUIDQUID AUTEM PINNULAS ET
SQUAMAS NON HABET,
REPTILIUM VEL QUORUMLIBET
ALIORUM ANIMALIUM,
QUAE IN AQUIS MOVENTUR,
ABOMINABILE VOBIS】
【水や川に住むもののうち、
鱗の無いものは皆、
忌むべきものである】


見たまえ。

奏者のいない割れたギターラ・・
机の上に置かれた果物の死骸・・
籠の上の死んだセモラ鯛・・

皆、死骸だ・・
運命に見捨てられた者達。
ならば今夜は
死体を見張る通夜(シェミラ)。
私は不機嫌な墓守となる。

ああ、
こんなに重い湿度の夜だろうと、
恋人達の陽気な夜だろうと、
ファドは奏でられるべきだ。
それは生きる者の務めだから・・
冷たい机上に置かれた
レンガ色の貝
チフィネルス・ラビアトゥスの様に
固い嗚咽と苦しみは
生きる者の特権だから・・

【VIDENTIBUS OCULIS TUIS ET DEFICIENTIBUS
AD CONSPECTUM EORUM TOTA DIE】
【お前の目は
腐りながらも彼らを見つめる】


そうだ。
死者の分際で真昼に嫉妬し、
無駄に血を流し、
誰もが魂の痛みに苦しむ。
我らは羨望に目を背ける事を
許されない。

胴枯れ病(アネモフォリア)や、
赤錆病(ティ・オフラ)に
罹患しながら
永遠の命に浸る事を
許されない。

横たわるセモラよ。
腐汁と腐臭がお前を包み込み、
乾いた黄土色の葬儀を
執り行うまで、
私はその
見張り番(ショメレト)となろう。

貧困と飢えと破壊を
その身に受け、
それでも陽気な猫の様に笑う
寡婦の誇りを
私は知っている。
神よ、なぜ貴方は
哀れさをいつも
夜の中に見失うのか?

ああ、
鱗の無い
水の中の者達に哀れみを!!

教えてくれ・・
ヌタウナギよ。
死んだ魚にも歌はあるか?
泥の中にも救いはあるか?

【ET QUICUMQUE MORTICINA
EORUM TETIGERIT,
POLLUETUR ET ERIT IMMUNDUS
USQUE AD VESPERUM】
【そして
彼らの死体に触れる者は、
夕方まで穢れるであろう】


おお、この世は
死体の山(シャルニエ)だ!!
虚しい霊安室だ!!

強き者よ・・
神に見捨てられた魔女よ。
ああ、私は知りたい。
死んだセモラ鯛の秘密を・・
ユダヤの秘儀を・・

しかし、
それは恐らく
悲しみで出来ているだろう。
かつてのユダヤが
そうであった様に・・
おお、
その悲しみを
分かち合おうとすらせずに、
我々は、
旧約の民を見棄ててしまった・・
よって、寡婦は子供達を連れ、
姿を消してしまった・・

キリストは今も
十字架に架けられたまま・・
籠の上には
セモラ鯛が死んだまま・・

皆、死骸だ・・

だから、
それが罪と孤独って事さ。
私達皆が、自分でしでかした事だ。
それだけは私は知っている・・
だから従うんだ。
神の呪いを受け、誰もが
従わざるを得ないんだ・・

【PROCEDO JAM,
BABAE, NEQUE DOLEO JAM
QUICQUAM NEQUE AEGRE FERO】

【私は進んでいく・・
悲しみや、痛みに嫌悪し・・】


それでも笑って、
逞しく生きる事は
通夜の夜に
祝宴を繰り広げる事と同じでは?
ああ、そうだ。
その様な陽気で反骨的な
神(ファド)との対話を
皆、去っていく
この通夜の様な地上でこそ
私は大笑いしながら望んでいる。





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