南欧の墓地を調べるクラシック作曲家のお仕事
こんにちは。
「墓の魚ユニバース・オーケストラ」
の作曲家です♪

■あるイタリアの墓地の話

さて、
この二日間程、墓の魚ユニバースの作品の為に
北イタリアのベルガモの、ある区画の、
100年ほど前まで残っていた墓地の記録
(墓地は現存してない)など改めて調べてました。

記録によると
このベルガモのヴァルテッセ市に存在した
墓地は、1942年頃に取り壊され、
小麦畑にされました。
19世紀初頭にベルガモには
サンタ・ルチア
バルヴェルデ
サン・マウリツィオ
ヴァルテッセ
という4つの墓地があったそうです。

しかし、衛生面などの理由から
これら複数の墓地は廃止されて統合され、
現在の
ベルガモのモニュメンタル墓地
Cimitero Monumentale di Bergamo
が造られました。
ヴァルテッセは観光地ではありません。
無名で静かな土地です。
しかし、今は無き、
このヴァルテッセ墓地は、
建築家サンドロ・アンジェリーニのスケッチや
詩人ヴィットリオ・ポーリの詩など、
色々参考になる資料が現存していて
本当に面白いのです。

墓地には最早、誰も埋葬されていない為、
本当の死が始まる。
草が荒れ狂い、
緑トカゲ(ramarri)や、小トカゲ(lucertole)が走り回り、
緑の穂が肥沃な土壌を支配する・・
Vittorio Polliの詩より
イタリアにおいて、当時は
建築家が墓地などの文化遺産を記録する事は
歴史的に見て一般的でした。
1910年代~1920年代は、
第一次世界大戦後の復興期にあたり、
戦争で亡くなった人々の
追悼や記念碑の建設が盛んでした。
これらの墓地のスケッチや詩的記録は、
このような追悼文化の一環として
作成された可能性もあります。
ちなみに
サンドロ・アンジェリーニは、
20世紀初頭のイタリアの建築家で、
ベルガモを中心に活動していましたが、
イタリア史の中では、
そこまで有名な人物ではありません。
本当はどんな無名の土地にも歴史はあって、
その多くは記録にも残らずに
消えていってしまうのでしょうね。



私は、クラシック音楽の作曲家です
(死が専門ですが)
時々、話題になる
クラシック音楽の定義・・・
それは、私はよくわかりませんが、
私にとってクラシック音楽とは、
この様な南欧の文化に触れあい、
それを制作し、
その感覚の中で生きる事です。

なので、それは
歌とか演奏に限らず、
絵であり、詩であり、信仰であり、
言語学であり、民俗学でもある筈なのです。

さらに私の場合、
そこに自分の作品のテーマである
南欧(や南米)の
[海洋生物と漁師の世界]が加わり、
ウニ飼育や、熱帯植物の栽培も
音楽活動とリンクしていきます。


「貝殻という死骸・・
命の悲惨・・
巨大なアナナス・・
死者の記憶との邂逅・・
神々の楽園・・」

墓の魚ユニバースの墓地の作品は、
いわゆるゴシックとは、若干違っていて、
「墓地的リアリズム」
あるいは、
死の生活主義(Thanatological realism)
と呼ばれるものです。
ゴシックの様な
[都会の視点から憧れる墓地]ではなく、
貧困過ぎて、
死や墓地の土が
生活の中に入り込んでいる
土埃の舞うラテンの世界・・

という訳で、
本日は私の「墓の魚ユニバース」の中での仕事や
暮らしの写真のご紹介でした♪
これからも
「墓の魚ユニバース・オーケストラ」を
よろしくお願いいたします~。
■以下、
詩人Vittorio Polliの
【ヴァルテッセ墓地】より
“Scompaiono anche i cimiteri: i morti, le lapidi, i cespugli sempreverdi; e dove un giorno eran le tombe si ritrova un terreno arato.
Da quando nel cimitero non si sotterra più nessuno, incomincia la vera morte. L’erba devasta; corrono ramarri e lucertole, signoreggiano cespi di verde sulla terra grassa; le arenarie si sfaldano, le parole gemono colore sul marmo bianco, il muschio si abbarbica alle pietre, i ferri diventano rossi di ruggine, l’oro delle corone volge al vecchio.
Croci sbilenche, ferri storti, cancelli aperti, muri scrostati: resiste il silenzio, non c’è segno di passo umano…”
“Gli angeli tagliati nella lamiera, battuti nel ferro per le sepolture dei fanciulli lasceranno cadere di mano il violino, le lunghe trombe e così sarà spenta la musica loro dedicata… Le parole incise nella pietra per i morti sono le stesse che vorremmo per noi, rimpianto e ricordo, quando saremo passati di là.”
“Curiosi e accesi per la novità del sito, venimmo a Valtesse; stupiti dall’atmosfera ritornammo a guardare le croci e a leggere le lapidi…”
“Il mondo di Valtesse è finito, non può più tornare… Il cimitero era fatto d’un perfetto ottagono col muro di cinta coperto di coppi… Quando fu completo non raccolse più nessuno; vegetò dimenticato coi suoi morti…”
“…C’era un cippo storto che faceva un riassunto con queste precise parole:
‘Porgete la mano a noi, poveri morti’.
Ma loro continuavano a dormire il sonno del giusto: tutta gente da paradiso.”
“…E speriamo che questa memoria sia cosa opportuna; perchè se qualcuno ci chiedesse d’accompagnarlo a Valtesse, potremmo mostrargli soltanto un tratto d’erba più rigogliosa sul luogo del campo santo.”
ヴァルテッセの墓地は、墓石も、常緑の低木も消え去り、
かつて墓だった場所はただ耕された大地として残っている。
誰も埋葬されなくなったとき、
それが「真の死」の始まりであるかのように。
草は荒れ放題に伸び、緑トカゲや、小トカゲが走り回り、
石材は崩れ落ち、文字は白い大理石に色を落として嘆くように呻き、
苔が石にしがみつき、鉄は赤錆に覆われていった。
朽ちた十字架や歪んだ鉄柵、開かれた門、剥がれ落ちた塗り壁――
静寂だけがそこに残っていた。
人間の足跡は無く、恐怖や夜の火の玉が人を遠ざけていた。
土地を浸食するのは風と水と錆、
そして死者と共に土中に眠る動物たちだった。
死者への追悼は、
やがてただの雨のしずくとなって碑文を黒く濡らし、
子どもたちのために打たれた鉄の天使やトランペットは
やがて手から落ちて、献げられた音楽は消え去ってしまう。
墓碑に刻まれた言葉は、死んだ者が眠るその姿を思わせる。
名前、年齢、家族のつながり、そして永遠の安らぎ――
それを静かに読むと、
死がかつて人々の暮らしの一部であった時代の気配を感じる。
ヴァルテッセの死者には、家族の中で自然に死を迎えた人々が多く、
突然の戦いのように命を奪われたり、
政治的な処刑に至った者はほとんどいなかった。
それは19世紀の人間らしい死であり、
家族が見守る中で息を引き取るという自然の営みだった。
私たちは好奇心に駆られてヴァルテッセ墓地へ足を運んだ。
その雰囲気に驚き、十字架を見返し、碑文を読み返し、
開かれた門の前で立ちすくんだ――
草むらに潜む大きなトカゲを見ると恐怖さえ感じた。
そこにはもはや「誰それ」という個人の影はなく、
時代そのものが滅びたように感じられた。
墓地は朽ち、やがてただの草地へ変わっていった。
その場所には、かつてのネオクラシック様式の整然とした墓石や礼拝堂、
丸や角の飾りがあったが、それらは次第に消え去ってしまった。
かつてそこに眠っていた夫婦や子ども、
教師や友人、画家、詩人――
すべては静かに土となり、記憶としてだけ残されるようになった。
そこに刻まれていた碑文のひとつには
「我ら貧しき死者に手を差し伸べよ
Porgete la mano a noi, poveri morti」
とあり、
死者はなお安らかに眠り、
その周囲にはそっと根を張る
草や新しい命の痕跡が育っていった。
やがて墓地は廃墟となり、
私たちの訪問もままならなくなった。
しかし、そこを訪れたことは、
死者と共に生きるという感覚を深く刻んだ。
そしてこの記憶が失われないよう――
そんな想いがこの文章に込められている。
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