【シロクマ文芸部】 波の音
「波の音」――
また父を思い出してしまった。
子どものころ、父は会社の社員旅行でサイパンへ行った。
お土産に買ってきてくれたのは、渦巻きの貝殻だった。
とてもうれしかったことを、今でも覚えている。
父はその貝殻を私に渡しながら、
「耳に当ててごらん。波の音が聞こえるから」
と、言った。
けれど私は、うれしかったはずなのに急に怖くなってしまった。
貝殻から海の音が聞こえるなんて、子どもの私には不気味で仕方がなかった。どこか遠くへ連れていかれてしまうような気がして、どうしても耳に当てることができなかった。
きっと父は、遠い南の島の海を私にも感じてほしかったのだろう。そんなロマンチックな思いは、幼い私にはまだ少し早かった。
それからどれだけの年月が過ぎたのだろう。
いつしか「聞いてみたい」と思うようになった。
恐る恐る貝殻を耳に当てると、「ゴーッ」という低い音が聞こえてきた。最初は、その音を長く聞いていられなかった。本当に波の音なのか、それとも耳の中や周りの空気が響いているだけなのか。不思議な音だった。
その音を聞いていると、胸の奥がギュッとなるような、懐かしいような、切ないような、言葉では言い表せない気持ちになったことを覚えている。
そして今日、また貝殻を耳に当ててみた。
「ゴーッ」という音とともに、父が見せてくれたサイパンの写真が浮かんだ。
「今度は家族で行こうね。」
そんな父との約束も、一緒に思い出した。
※お父さん、なんだか私のnoteに出てくる割合多くて笑ってしまった(笑)
画像はチャッピー作です。
