見出し画像

直感の声と思考の声

思考が働かない状況が続いている。
前はしんどくなると情報を集めたり、外の答えを求めに動きがちだったけど、それも封じられるようになってきた(突然猛烈な眠気に襲われるみたいなのとか)


その中でやけに存在感を増してきた声がある。
こうしろああしろ、これはするな、これは心配しなくていいけどこっちは心配しろ、みたいなことを言ってくる。


大抵思考が働かなくなったぼんやり状態の時によく聞こえる。
思考がうるさい時には聞こえにくいけど、実はずっと語りかけられているようだ。
静かだけど迷いがなくてとても強い。


直感の声?高次の存在?
私的にはなんというか…現場監督っぽい。


ということで、監督。


監督の声には妙に説得力があって、返ってきた答えには「そ、そうか」と納得してしまう。
頭が働き出すとまたかき消されてしまうけど、迷いのなさが心地よくて「とりあえず監督に聞いてみるか」となる。
自分で考えている感がないからとにかく楽だ。


怪しさに加えて堕落の不安もあったけど、監督は甘くはない。
あれこれの指示に共通するのは全部「行動しろ」なのだ。
いや、「こうと決めろ」かな。
逃げる選択肢は潰してくる。


「決めろ、動け、できるからやりなさい」


そう言ってくる。
責任も自分で取ることになる。


でもそれこそが自由で、そんな生き方ができると信じてくれている。
監督の声にはそんな、存在ごと肯定される安心感がある。





よく言われることだけれど、自分の答えはやっぱり内側にあるように思う。
それを現実に落とすにあたって、いつ、どこで、どんな形でか?を決めるのに環境との相互作用が必要になるけれど、その核になるものははじめから自分の中にある。
直感の声こそが、その人をその人たらしめる証であり、意思決定を司るものなのだと思う。


一方で思考は有能な現実の盾。
本来はこの意思決定を守るためにあるのだと思う。
力を持ちすぎると意思決定に介入してしまうけれど、思考には何かを決める力はない。
過去に安全だと明らかになっていること以外は危険と見なしてしまうから、前に進めなくなるのかもしれない。


現実に色々あると思考は力を持ちがちだ。
決して悪ではなく、自分を守るために膨れ上がって慣れない仕事まで背負ってくれていたのだ。
心地よく自分を生きるには、それぞれを本来の役割に戻す必要がある。


ちなみにこの直感の声、巷ではもう少しキラキラした形で説明されているように思う。
そこへ持ってきて私の感覚が「現場監督」というのは、らしいというかなんというか…。

いいなと思ったら応援しよう!