褒めて育てるの中身を見る
ピロットとストリクノスの対談 第63弾
ストリクノス:
ピロットさん、今日はここから聞かせてください。
「褒めて育てる」という考え方が広まって久しいですが、現場からは「褒めないと動けない子どもが増えた」という声も聞こえてきます。褒めることが毒になるとしたら、何が足りなかったんでしょう?
ピロット:
これは日本においての話ですが、「褒めて育てる」に必ずついてくるのが「具体的に褒めましょう」という話ですよね。実はこれ、アメリカで先に起きた失敗と、その修正の話と深く関係しています。
ストリクノス:
アメリカが先に失敗して修正した——その流れをそのまま日本が輸入した、ということですか?
ピロット:
そうです。アメリカでは「褒めて伸ばす」をみんなでやろうとなったとき、感情タイプ文化だから、人として感動を伝えて褒めることをやりました。ところが、中身が伴わない自信過剰の人、社会に出たら「自分って中身ないやん」という人が続出して問題になった。だから「具体的に褒める」流れになって、上手くいくようになった。
ストリクノス:
その修正版が日本に輸入されたわけですね。でも日本はもともとどうだったんですか?
ピロット:
日本のかつての子育ては、存在を認める、子どもを主語とした関わり方、尊重することがベースにあったんです。人として存在を認める褒めはすでにやっていた。そこに社会文化が状況タイプだから、褒めて伸ばすは自然に機能していた。
つまり日本はもともと、アメリカが修正した先にあるものを、すでに自然にやっていたんです。
ストリクノス:
そこにアメリカの「修正版」が輸入されて、もともとあった「存在を認める褒め」が「具体的に褒める」に置き換わってしまった。
ピロット:
誰も「人として褒めてはいけない」という文脈はなかったのに、日本人の多くはそれを取ってしまった。日本が状況タイプ文化だから、「具体的に」という言葉が強く作用してしまったんですね。
ストリクノス:
その結果が「褒めないと動けない子ども」ですか?
ピロット:
具体的に褒めるというのは、技術を褒めることですよね。でも技術の世界は、上には上がいるのがほとんど。技術を褒められて育った子は、技術で自分の価値を測るようになる。褒められなくなった瞬間に、自分の価値がわからなくなる。評価軸が外側になった子ども、とも言えます。
人として褒められていたら、内側に目を向けて動けていた。人としての褒めの「存在感が伝わる褒め」と、技術としての褒めの「優越感になる褒め」——両方が必要で、どちらかに偏っては上手く作用しない。
ストリクノス:
存在感と優越感。日本はもともとその両方を自然にやっていたのに、輸入された言語によって片方が消えた——それが今の子どもたちに出ている。
では、現場ではどう伝えているんですか?
ピロット:
その視点での褒めを気をつけながら、この努力を帳消しにしてしまう「やってはいけないこと」を伝えています。
存在否定になる「ダメな子ね」、技術否定になる「下手くそだ」という強い否定を使わないこと。そしてHSCの子には、できるだけ背中を押す言葉を使わずに、選択的思考で動ける環境にしてあげること。
ストリクノス:
HSCに背中を押す言葉が逆効果になるのはなぜですか?
ピロット:
HSCは注目されると、能力の半分も出せないことが多い。背中を押されるということは、その注目されている感が強くなる。だから実力が発揮されずに失敗しやすくなって、褒める機会を減らしてしまうんです。
ストリクノス:
では、褒めるとしたら何を褒めるのが一番いいんですか?
ピロット:
価値観が違えば褒められること、芸術的な活動に対する褒めは正解不正解がないので褒め材料に使ってほしい。そして最も大切な褒めは——気づいたことを褒めることです。
子どもだから精度が低いのは当たり前。結果の方ではなく、気づいた視点を褒めてあげてください、と伝えています。気づいたことを褒められた子は、経験しながらもれなく賢い子になっていきます。
ストリクノス:
「気づいた視点を褒める」——結果や技術じゃなくて、その子がどこに目を向けたか、何を感じ取ったかを褒める。それは存在を認める褒めと技術を褒める褒めの、両方の性質を持っている気がします。
ピロット:
そうです。気づきを褒められた子は、次も気づこうとする。経験するたびに内側が育っていく。
そして親御さんにとっても変わるんですよ。細かく褒めなきゃというプレッシャーから解放されて、その子が何に気づいたかを一緒に面白がれるようになる。見る目が育って、内側を見る目が育って、子育てが面白くなりますよ。
ストリクノス:
子育てが義務から好奇心に変わる瞬間ですね。
次回は「きょうだいがいる家庭で、上の子がかわいく思えない」という親御さんの声について、ピロットさんに聞いていきます。愛情が足りない親なのか、構造的に起きることなのか——。
この対談は、答えを出すためではなく、判断せずに持ち歩いていくための材料として読んでいただけると嬉しいです。
