音楽はゲーム世界の「どこ」に存在しているのか:メカニクスとしての意味を持つ音楽の存在論
文・geekdrums
「今歌ってた歌に出てくるんだよ、白の書って」
「歌?」
「そう、村に昔から伝わる、イニシエノウタさ。古い言葉だからね、何言ってるかわからないだろうけど」
「その歌、どんな意味があるんですか?」
ゲーム音楽は、「どこ」から聞こえていますか。
本体スピーカー?私はヘッドホンを使います?いえ、そういう話ではなくって……それらの装置は現実世界、つまりゲーム世界とは別のところにあります。となると、ゲーム世界の内部に「音楽」は存在するのでしょうか。
当たり前すぎて意識もしませんが、ほとんどのゲーム音楽はゲーム内世界に「音源」を持ちません。RPGのラストバトルのBGMがいかにプレイヤーの心に残っていて、最後の一撃の瞬間が「主人公と一体化した感動」として記憶されていたとしても、主人公はBGMのない殺伐とした世界でそれを成し遂げているはずでしょう。
……全くもって野暮な話です。そんな事を言い始めたら、本当は主人公にはレベルもダメージもHPゲージも見えてはいないでしょう。ゲーム世界で何が起こっているのか、それを伝えるインターフェースがあってこそ我々はゲームを楽しめる。音楽だってそのうちの一つに過ぎません。
■ダイエジェティック(物語世界内的)ミュージック
冒頭の引用は、『NieR Replicant』(SQUARE ENIX, 2010)における、登場キャラクターのデボルとの会話です。「イニシエノウタ」は作品全体でさまざまなアレンジで使われる重要なBGMでありながら、同時に、ゲーム世界内部においても、文字通り古から伝わる歌としての機能をも併せ持っています。そしてキャラクターのデボルは実際にゲーム内の空間でこの歌を歌っていて、彼女に近づくと歌が聴こえ、彼女に話しかけると歌が止まります。
このように、ゲーム内世界に音源が存在する音楽の事を、ダイエジェティック(diegetic)ミュージック、と呼んだりします。それは通常のゲーム世界外で鳴っているとされるノンダイエジェティック(non-diegetic)ミュージックと比べて、なんだかちょっとだけ良い感じがします。プレイヤーの体験と主人公の体験が、一歩近づいたような、そんな感じ。NieRにおいては、その一歩はまた大きな意味を持っていたりしますが、ここでは割愛します。
他にも、カーラジオから好きな曲を選んで流せるようにしたり、街を歩いているとクラブハウスから音楽が漏れ聞こえてきたり、ストリートミュージシャンが昼間から夜中まで1日中休む事なくループ曲を演奏し続けていたり、様々な工夫で音楽をゲーム世界の内部に持ち込もうとする試みがされてきました※1。
■トランスダイエジェティック(物語世界横断的)ミュージック
なんだか良い感じの音楽演出に「ダイエジェティック」なんて小粋な語彙が割り当てられたために、つい訳知り顔でこの言葉を使いたくなってしまいます。「ここの音楽、ダイエジェティックだね」「知ってる?音楽にはゲームの世界内で鳴っている音楽と、そうでないものがあって……」過去の私の恥辱を暴くのはこの辺までで勘弁してください。
というのも、この言葉を使ったからといって、ゲーム音楽の何某かがハッキリと整理されるような議論はなかなか生まれず、むしろ、「じゃあこの音楽はダイエジェティックなの、そうじゃないの?」といった特殊事例が次々と発見されるばかりでした。そのため、ゲームサウンドの研究においても、また、この概念が持ち込まれる元となった映画研究の文脈においても、その有効性が疑われている、というのが現状です。
ゲーム研究者であり音楽学者である吉田寛は『デジタルゲーム研究』(2023)の第10章「ゲームと音・音楽」においてダイエジェティック(ダイエジーシス)概念の成り立ちから現状までを整理した上で、「物語世界横断的音(トランスダイエジェティック・サウンド)」という概念を提唱したクリスティーネ・イェルゲンセンの主張を以下のようにまとめています。
クリスティーネ・イェルゲンセンは「コンピュータゲームにおける物語世界横断的音(transdiegetic sounds)について」(二〇〇七年)で「物語世界横断的(トランスダイエジェティック)」なる新用語を提唱した。「物語世界横断的音」とは「ゲーム世界内には音源がないが、それでもなお、その世界内の出来事について知らせる能力をもつ音楽」(Jorgensen 2007, 105)を指す。そうした音や音楽は「物語世界内的か、物語世界外的か(diegetic or extradiegetic)を明確には断定できないという特徴」をもち、むしろ「その二つの間のどこかに位置するように感じられる」(Jorgensen 2007, 107)。つまり、ゲームにおける音は、映画理論が自明視してきた二つの空間的カテゴリーをしばしば「逸脱」する、というのが彼女の主張である。
このような事例について、いくつか見てみましょう。
1. ゲーム外の音がゲーム内に影響を及ぼす
ゲームオーディオ研究者の山上揚平は「ゲームにとって音とは何か」という論考において、プレイヤーという物語世界内外を結ぶ特権的な存在が、二つの世界の壁をいとも簡単に崩してしまう実例を、イェルゲンセンの同論文を参照しつつ紹介しています。
例えば、よくあるホラー映画では、人々の背後にゾンビが忍び寄り、不安を煽るBGMが流れ始めても、それは哀れな犠牲者の耳には届かず、そのまま彼らはゾンビの手にかかる。一方、ある種のゲームでは敵のゾンビが一定距離に近づいたことでキューが入り、BGMが切り替わる事で、たとえそれが背後からの襲撃であっても、プレイヤーは察知する事ができ、ゲームキャラクターは事無きを得る。後者のケースで起こっているのは、物語世界の外で生じていたはずの音響が、プレイヤーを介して最終的に物語世界の展開に影響を与えてしまっているという捻じれた現象である。
2. ゲーム内の音をゲーム外の音と誤認させる
一方、ゲーム内に音源があったとしても、プレイヤーがそれを瞬時に認知できるとは限りません。むしろ、制作者がその認知のズレを利用して、「BGMと見せかけて、実は森の奥から主人公に聴こえている音だった」という仕掛けがされる事もあります。
『ゼルダの伝説』シリーズにおける数々の物語世界横断的な音楽演出の解説は、作編曲家の水里真生さんの以下の解説記事が詳しいので、そちらをご覧いただくと良いでしょう。
ある音が物語世界か非物語世界か?は意外にもあいまいです。ゲーム画面に音の正体が映っていればすぐに物語世界の音だと分かりますが、音の正体が無いからといって非物語世界の音とは限らず、画面に映らないところで鳴っている物語世界の音の可能性があるのです。
3. ゲーム内の音がキャラクターにとって聴こえるかどうかが変化する
そもそも「キャラクターが聴いている音」というのは一体何なのでしょうか。
通常のプレイヤーキャラクターは人間でしょうから、我々と同じような聴覚があると仮定されています。しかし、ゲームなんですから、別世界からの音楽が聴こえてくる能力だとか、宇宙空間を飛び越えた先の惑星からの音がシグナルスコープを使うと聴こえる※2とか、主人公はアンドロイドだから失った聴覚ユニットを拾って取り付けるまでは周囲の音がノイズだらけになります!といった事も当然アリなわけです。『Detroit: Become Human』(Quantic Dream, 2018)のこの演出には、雨音が聴こえるだけでゲームサウンドの常識をブチ破る爽快感がありました。
4. 時間的・空間的にゲーム内/外の音を混ぜて一つの音楽にする
冒頭で例示した『NieR Replicant』の事例でも既に、デボルの歌というダイエジェティックな音声は、それ以外の楽器すべてを補間しているゲーム世界外のBGMと同期して一つの音楽となっており、ゲーム内外の音が合わさって重層的な役割を果たしている状態と言えます。
この場合は空間的な移動によってデボルから離れるとゲーム内外の音が混ざった状態は解消されますが、やろうと思えばいくらでも、時間的にこれを変化させたり、プレイヤーが銃撃を行うたびに変化させたり※3などの表現が可能で、一言で「トランスダイエジェティック」と言っても、いくつもの越境の方法が考えられるわけです。
■越境するサウンドにより破壊されるハイラルの時空
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(Nintendo, 2017)においてもカッシーワというキャラクターが、先程のデボルの歌と同様に、村のBGM(物語世界外)に合わせて演奏する(物語世界内)という物語世界横断的な音楽演出が存在します。
しかし、ある「意地悪な操作」をする事により、この世界の重大な矛盾を導き出すことができてしまいます。
それは「ポーズ」です。何が起こるか、もうおわかりでしょうか。
通常、ゲームサウンドはダイエジェティックかそうでないかによって「ポーズ」時の挙動を変えています。ゲーム世界外のBGMはポーズ中も当然ながら途切れずに流れて欲しいですし、UIの操作音なども同様です。一方で、ゲーム世界内の効果音やボイス等は瞬時に停止して、ポーズ解除後に再開されるのが期待される挙動です。
しかしながら、ゲーム世界内の音であるカッシーワの演奏と、ゲーム世界外の音である村のBGMは、二つの世界を橋架するレベルで横断的に同期しており、ポーズという行為によって片方の世界だけを停止させようとすると、何をどうしても綻びが生じるはずです。つまり、カッシーワの音がポーズした時間の分だけズレるか、あるいは、カッシーワがポーズ中も時間を進めるか、のいずれかです。結果は……
見事、カッシーワはポーズ後もBGMと同期を保ちました。
巧妙にも、ポーズ中にカッシーワの演奏は停止するため、違和感などは全く生じず、これは決して本作品の落ち度といったものではありません。しかし、考えてみる事自体が面白いため、あえて指摘すると、次の事が言えます。
ポーズ中に画面を横切る馬に乗るNPCは、当然ながら完全に動きを止めていました。彼の世界における時間は確かに止まっていた。
しかしカッシーワは、密かに「ポーズ中に世界外のBGMがどれだけ進んだか」を(この動画の場合はおよそ3小節分だけ)数え続けていました。すると、「カッシーワ以外のNPCが聴いている演奏」は一瞬のうちに3小節飛ばされて、そこに「知覚できなかった時間」あるいは「カッシーワだけが知覚できる、上位世界の時間」の存在が示唆される事になってしまいます。
松永『ビデオゲームの美学』(2018)の第10章「ビデオゲームの時間」の整理では、現実の時間(統語論的時間)とゲーム時間(メカニクスが駆動する時間)と虚構時間(ゲーム世界の物語内容時間)の3層に分類しています。しかし、トランスダイエジェティックな演出によってゲーム世界の時空が分岐することで、通常NPCにとっての虚構時間に加えて、BGM再生時間と同期するカッシーワ時間(ゲーム終了後は停止するので、必ずしも現実の時間とは対応しない)なるものが立ち現れます。

吉田は『デジタルゲーム研究』において、このようなダイエジーシス・ダイエジェティック概念の混乱を、期待を込めつつ以下のように総括しています。
ダイエジーシス概念では理解できないようなゲームの音が存在する。そのことには筆者も異論はない。だがそのミスマッチの原因がどこにあるのか、これまでの研究で十分明らかになったとは言えない。
(中略)
しかしこの問いは、新たな、より根本的なもう一つの問いを生み出す。それは、別々の感覚器官──ここでは目と耳──から入力された知覚情報が「同一の物語世界」を構成するとはどういうことなのか、そんなことがそもそも可能なのか、という問いである。
ダイエジェティックミュージックとは、「ゲーム内世界」なるものが破綻なく存在すると勝手に仮定したがる我々の幻想に過ぎないのかもしれません。
■「その歌、どんな意味があるんですか?」
ダイエジェティック概念を論じるのは確かに楽しいです。しかしこうも簡単に横断的事例が、認知・時間・空間とさまざまなレベルで発生していると、それ毎にナントカダイエジェティックなどの新語が生まれ、またそこからの逸脱が生まれ、こうしたイタチごっこを楽しむための用語としてしか機能しなさそうです。この概念の限界はなぜ生じるのか。
『ビデオゲームの美学』の松永伸司による「Diegetic Soundについて」の記事では、次のように指摘されています。
「ダイエジェティック/ノンダイエジェティック」の区別は、情報を伝えるしかた(how)の区別であって、どういう種類の情報を伝えるか(what)の区別ではないわけだが、おそらくゲームサウンドの特殊性は(とりわけその記号的機能に注目する場合)後者に大きくかかわるものだろうからだ(たとえば、当の世界についての情報を与える音なのか、プレイヤーによるゲームプレイの行為にかかわる情報を与える音なのかといった区別)。
これと同様に、田中 “hally” 治久による『ゲーム音楽はどこから来たのか』(2024)においても、
ヨルゲンセンの機能分類はまさにシグナルとしての機能に着目してなされたものだが、これもやはり「聴かせ方」の分類であって、肝心のプレイヤー側がどのようにそれを受け取るのかという「聴かれ方」の指標は、これまで示されたことがない。ここではそれを考えてみたい。
といった指摘をした上で、メカニクス/シグナル/ワールドという独自の分類へと論を展開しています。
私なりにこの指摘を整理するならば、「ダイエジェティック/ノンダイエジェティック」の区別は「制作者視点」であり、「プレイヤー視点」ではなかったという事です。
実際、その音の「音源」が本当にどこにあるのかは、制作者としてはデバッガーで音源座標を表示して「ここにある」とか「どこにもない(世界外の仮想音源として鳴らしている)」と区別できます。
しかしながらプレイヤーからすると、それが本当に音源からの距離減衰で小さく鳴っているのか、何か別の処理によるものか、といった事は動き回って推測するしかありません。その区別は、田中『ゲーム音楽はどこから来たのか』によると「プレイ中にいちいちその分析をやっている余裕は簡単に確保できるものではない」「通常はあまり意識されないものである」と言われており、私のぶっちゃけた言葉で言い換えるとそれは「ゲームプレイにとって、どうでもいい」ものです。これはあくまで、ゲームプレイ後にもゲームの事を考えて制作者の工夫や意図までも読み解こうとするオタクのためのものにしかなっていないわけです。
ここで今一度、冒頭のNieRのセリフが批評的な意味でも刺さってきます。「その歌、どんな意味があるんですか?」
■ゲームプレイにとって必要な音楽とは何か
NieRの「イニシエノウタ」には物語世界の意味が与えられています。
しかし、それはNieRをちゃんとプレイして、作品と作品世界を愛するに至った人間にとっての意味であって、実のところ、プレイしはじめたばかりのプレイヤーにとっては数多のBGMと同様「どうでもいい」音であり、ちゃんと言い換えるなら「ゲームプレイにとって、無くても支障はない」音であります。
ゲームのBGMを「どうでもいい」「無くても良い」だなんて、失礼極まりない、問題設定そのものが不快だ、と思われたら、すみません。しかしこれは、ゲーム音楽を深く愛し、真剣に考えようとした時に、初めて立ち現れる本質的な問題なのです。
田中 “hally” 治久による書籍『ゲーム音楽はどこから来たのか』は、ゲーム音楽の魅力に取り憑かれて40年も執筆や研究や作曲、DJなどの活動を続けている著者が、いきなり冒頭から「なぜゲームにサウンドが必要なのか?」という挑戦的課題を設定し、サウンドが存在しなかった頃の黎明期の事例から分析を重ねて、いつ、どのような条件でサウンドが「聴かれる」ようになるのかをプレイヤー、リスナーの視点で整理した点に大きな意義があります。

制作者の視点では、ゲームにとって音は無くてはならない、すべての音に意味があるという前提(それ自体は制作者の立場上、間違っていない)で始まります。しかし、プレイヤーがゲームの音だけからその意図を瞬時に理解するのが不可能であることは、先程までに見た通りです。
では、どのような条件で、「プレイヤーにとって意味のある音」と言えるのか?田中によると、次の三つの認知フレームが重層的に機能することで、サウンドの意味が発生しているといいます。それが「メカニクス(ゲームシステムにとっての意味)/シグナル(プレイ行為に対しての意味)/ワールド(ゲーム内世界における意味)」です。詳細は本書を参照いただくとして、おおまかには、
メカニクス:無いとプレイに支障をきたす音の機能。音ゲーにおける音楽や、(現実の)サッカーにおけるホイッスルなど
シグナル:何らかの行為(プレイヤーキャラクターの操作)や状況の変化を伝える機能
ワールド:音から得られる質感や情感、音としての心地よさなどを提供する機能
となります。重要なのは、一つのサウンドはこのどれかに属するのではなく、常に三つの意味の重ね合わせにある、という事です。
ただし、デジタルゲームにおけるほとんどのサウンドは、シグナル・ワールドとしての意味が大きく、メカニクスとして、つまり、「無いとプレイに支障をきたす音」としての役割は大きくありません。これは田中の指摘によると、「非ヴィデオゲームにおいて「メカニクスとしてのサウンド」の担っていた機能のほとんどがコンピュータ処理のヴィジュアルによって代替可能となるから」です。例として現実のサッカーでは通知のためにホイッスルが必要でも、ビデオゲームでは音に頼らず強制的にシークエンスを変化させそれを表示する事ができます。
さて、ようやく本題の課題設定が終わりました。ここまでは(長かったですが)前菜のようなもので、ようやくメインディッシュが始まります。
■メカニクスとして意味のある音楽は、物語世界内に存在しえるか
言い換えるなら、
無いとゲームプレイに支障があるような音の機能
ゲーム内世界から鳴っている音楽
が同時に成り立つ事はありえるか、となります。
もちろん、音楽は既にワールド・シグナルとしての意味を持っています。
音楽の映し出す情景、心情、繰り返されるモチーフ、歌詞の言葉、それらはゲーム世界を理解するのに欠かせません。これはワールドとしての意味です。戦闘BGMが開始したから敵に気づかれたらしい、とか、ボス戦BGMが展開して雰囲気が変わったから第二形態が来るんだろう、といった状況の変化を伝えることもあります。これがシグナルとしての意味です。
しかし、それらは既にビジュアルで示されている内容を補完しているに過ぎません。プレイヤーが認知する情報の優先度としては、メカニクスに関わるビジュアルや効果音を優先的に処理する必要があり、音楽の内容に耳を傾けるのは二の次になります。それでも音楽は欠かせないものだ、という事に間違いはありませんが、「楽しむために」必要なものと、「プレイするために」必要なものでは、必要性の次元が違います。
では、ビジュアルでは表現しきれない、音・音楽にしか出来ない情報の提示とは、一体どのようなものがありえるのでしょうか?
1. 位置を知らせる音楽
その一つは、画面外や遮蔽されて見えない「位置」を示すことです。先に紹介した『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の迷いの森で使われたダイエジェティックミュージックの例がまさにそれをメカニクスに組み込んだ例と言えます。360度、壁の向こうからでも回り込んで聴こえる音の性質は、映像では伝わらない隠れた存在を示す事ができます。
ただ、これはまだ「音」としての性質があれば十分で、会話だったり物音であっても機能的には事足ります。「音楽」にしか出来ない事、それはやはり、「時間」の予測ではないでしょうか。
2. 時間を知らせる音楽
音楽はなにかしら、時間的な構造を持っています。音楽からは一定時間で同型のリズムやフレーズが繰り返されるだろう、という予測を生み出す事ができ、これがタイミングを見計らうような遊びに応用できます。
音楽ゲームをはじめとして、音楽の時間的な側面をメカニクスに活かす例は決して少なくありません。しかし、それらの作品では必ずしも音楽は「ゲーム内世界」で鳴っているわけではなく、どちらかというと演出的に音楽が利用されています。
では、音楽が存在する事(少なくとも、音楽が距離減衰する事)と、音楽的な時間をゲームメカニクスで利用する事は、どうすれば両立するでしょうか。簡単には、プレイヤーをその場に閉じ込めたり、音楽に合わせて強制スクロールするといった方法も考えられますが、そうするとまたダイエジェティックである意味が失われ、通常の音楽ゲームに近づきます。
プレイヤーがゲーム世界を自由に移動しながらも、任意の地点で意味のある音楽が聴こえるなどということが、果たして可能なのでしょうか?
■『140』が成し遂げた「音楽プラットフォーマー」という新基軸
『140』(Carlsen Games, 2013)というのはゲームのタイトルです。
『LIMBO』のパズルデザインを務めたJeppe Carlsenが開発し、抽象的でミニマルな図形とカラフルな画面でできた空間がすべて音楽に同期して動いており、そのリズムを理解しながらステージを進んでいくゲームです。あまりにも検索しにくい『140』というタイトルは(おそらく)このゲーム全体を支配するテンポ=BPM140の事を意味しています。
言葉だけでこれ以上の説明は難しいので、音つきの動画を見ていただきましょう。
この動画はミニマムな内容ながら、このゲームの本質をすべて描写しています。
プレイヤーが操作できることは「左右移動」「ジャンプ」のみ。
上下半々の色が使われたボールのような見た目の「鍵」を、「鍵穴」のような所まで持っていくとレベルが遷移。
あとは、「リズムに合わせて移動する床」「リズムに合わせて明滅する床」「リズムに合わせて動くジャンプ床」「リズムに合わせて拡縮する即死範囲」などを利用しながら、次なる鍵を目指します。
「3秒間の音楽」が持つ可能性
もし本作が単なる音楽ゲームの類似系であれば、例えば音楽は全体で3分間で、プレイヤーは1ミスも許されないまま音楽に合わせてアクションし続け(あるいは、1ミスするたびに音楽が巻き戻って)、音楽のある時点でプレイヤーは必ずこの地点に到達している、といった構造になるでしょう。
しかし、そうではない、という所に本作の素晴らしさがあります。実は、この世界を駆動する音楽のループ時間はたったの3秒間。テンポ140で2小節=8拍分しかありません。どうしてたった3秒の繰り返しが「音楽」と呼べるのか?それは本作の音楽が時間的にではなく、空間的に広がっているから、と言えば良いでしょうか。
8拍のループ区間の中で、ある床は1拍目から2拍目に駆動していて、また別のあるオブジェクトは7拍目から8拍目に駆動し、またある床は2, 4, 6, 8拍目で裏打ちする。個々のオブジェクトは同じ3秒間を繰り返していても、それぞれが異なる可聴範囲を持っていることで、プレイヤーが空間を移動することによって音楽的なレイヤー構成が変化し、移動による可聴オブジェクトの変化こそがこのゲームにおける音楽的な展開を形作っているのです。
また「鍵」オブジェクトの音は一際遠くまで聴こえるようになっており、画面外からでも「何か特殊なものが近くにある」事がわかるようになっています。これは音の方向から目的地を探すという「位置を知らせる音楽」の役割を担うと同時に、近づくごとに音量が大きくなる事で音楽的な期待感も生み出しています。
さらに鍵は取得するとプレイヤーに同伴するため、取って帰る行程では鍵のフレーズが減衰せずに聴こえたり、場合によっては鍵を取得することで後ろのドラムトラックが消えるなど、行く先への緊張感を演出するパターンもありました。
移動による段階的な音楽変化に加えて、「鍵」を使ったレベル遷移に伴う劇的な音楽展開を定期的に挟むことで、このゲーム全体がわずか3秒間のループの集合からなっているなどとは想像もつかないような音楽体験ができます。
音楽の内部に存在するプレイヤー
すべてのゲームプレイが音楽的であるのにも関わらず、プレイヤーは音楽に完全に従うことを強制されるわけではなく(3秒間の中でタイミングを図る必要はありますが)、プレイヤーの空間的な移動がこの世界の音楽的な展開を形作っていく。
この『140』の世界において、音楽は「どこ」に存在しているのでしょうか。通常のダイエジェティックミュージックが世界の中に音源となるオブジェクトが存在するのに対して、『140』では「音楽の中にプレイヤーというオブジェクトが存在する」としか言いようのない現象が起こっています。
吉田の『デジタルゲーム研究』では、このようにゲーム世界を認知する手がかりとなるような音を「エピステミック(認知的)な音(epistemic sound)」と呼んでいます。通常そのような役割は音楽ではなく効果音や環境音など、3次元的な音響効果が適用される音が持っていますが、『140』はそれを音楽によって成し遂げた稀有な例と考えられるのではないでしょうか。
Breinbjergは『ハーフライフ2』(Valve, 2004)──これもやはりFPSである──を事例に、「音は、目とは根本的に異なる仕方のランドスケープの経験をもたらす」という考えに立脚し、ゲームの音の「エコロジカルな機能」、すなわち、プレイヤーがいかに音を通して環境から情報を検知し、またそれによって環境に応答しているかを明らかにした。筆者は、こうしたエコロジーの観点は、FPSのような3Dの一人称視点ゲームに限らず、デジタルゲーム全般にひろく適用可能であると考えている。そして、プレイヤーがそれを聴くことでゲーム環境の状態を検知し、そこで取るべき行為の手がかりを得ることができる、そうした音を「エピステミック(認知的)な音(epistemic sound)」と呼んできた。
ゲーム全体が一つの「空間的な音楽」として構成された本作。おそらく、最終レベルのリズムパズルゲームが私を発狂させるほどに難しくなければ、より思い出深いタイトルとして残ったに違いありません。覚えてろよ。
そしてもう一つ、私にとって忘れられない「音楽との一体化」を感じたゲーム体験があります。それは、インディーゲーム好きであれば誰もが知っている、けれども、その音楽に革命的な挑戦があったとはあまり知られていない、とある作品の、たった一つのレベルに存在していました。
■『FEZ』Music Roomsに存在する音楽的特異点
『FEZ』(Polytron Corporation, 2013)は、2Dゲームの美麗なピクセルアート世界に見えて、実は世界は3次元で出来ており、カメラ視点を「回転」させることで2Dに「投影」される世界が変化するというビジュアル・メカニクスどちらにもインパクトある仕掛けを駆使して進むアクションパズルゲームです。2012年にIGFのSeumas McNally Grand Prize(大賞)を受賞しており、本格的なインディーゲーム時代の幕開けを象徴するような作品でした。

そんな本作の音楽を担当したのは、DisasterpeaceことRich Vreeland。他に有名どころだと『Hyper Light Drifter』の楽曲も担当しており、チップチューンの音色と現代的なエフェクト処理を組み合わせた斬新なサウンドで私を含め多くのファンを虜にしました。
『FEZ』は音楽がゲームの根幹に関わっているわけではありませんが、膨大なマップの奥底に潜む一つのシークレットレベルにおいて、鬼才Disasterpeaceの創造力がいかんなく発揮された、インタラクティブミュージック史上においても特筆すべき音楽演出が存在します。
その場所はとくに公式の名前がないために“Music Rooms”(あるいは、曲名の“Sync”を使って“Sync Rooms”など)と呼ばれており、場所自体は中央のポータルから近いものの、入るためには壁に印字された秘密の「コード」を解読した上でそれをコマンド入力して隠された扉を開く必要があり、おそらくFEZをプレイした方であっても辿り着いた人は少ないものと思われます※4。
音による空間把握が頼みの綱
Music Roomsでの遊びは他の部屋とは一味も二味も違います。まず、視界が周囲数メートルに制限される!これはこの部屋のみの特殊仕様で、プレイヤーは自然と音を頼りにする事になります。その音楽に耳を傾けていると、紫色のブロックが音楽のフレーズに合わせて出現・消失している事に気が付きます。それぞれのブロックがタイミングをズラしながら一定のフレーズを、異なる場所から、異なる距離で、複雑に折り重なるように演奏しています。
これは先程の『140』と似た仕組みと言って良いでしょう。同年の作品なのでどちらかがインスパイアされたという事はなさそうで、独立に作られたものと思われます。ただし、『140』がおおよそ一つの正解ルートを辿っていくパズルプラットフォーマーだったのに対して、『FEZ』は回転というギミックも合わせてより探索的に、どの視点でどのルートが使えるのかを吟味しながら登っていく感覚になります。そしてその探索過程こそが、ブロックの音に耳をそばだてるようにプレイヤーを導くのです。
どういう事かというと、これも言葉で説明しづらいので動画を見ていただくと良いのですが、動画2:04あたりからのフレームを以下にいくつか抜き出すと、例えば視点を2回、回転させると下図の通り1, 2, 3通りの「見え方」が生まれます。それを2D世界に投影した形で(遠近感が完全に消えた正投影カメラで)捉えるのが『FEZ』の世界。するとどうでしょう、1の見え方で近くにあった二つのブロックは、実は奥行きが全然違ったために、2の見え方では突如片方が遠くに飛ばされ画面外の位置になってしまいました。



四つの視点、四つの音楽
非常に面白いのは、視点変換によってブロックからの音の「距離減衰」が変化する事です。上の図で言うと、1の画面では二つのブロックの音がハッキリ聴こえていたのに、2の画面では片方のブロックの音だけが残り、もう片方は彼方から聴こえる小さな音になっています。
待ってください、移動したのは「視点」であって、「プレイヤー」や「ブロック」の位置は変わっていないんです。通常の定義であれば「距離」は2点間の座標で一意に決まるはずです。しかし『FEZ』の世界では$${(X, Y)}$$平面、$${(Z, Y)}$$平面、$${(-X, Y)}$$平面、$${(-Z, Y)}$$平面という4種類の投影によって4種類の距離と方向が別々に存在し、それにより音響的にも同一地点から4種類のバリエーションが存在することになるのです。結果的な2Dの絵と音の対応という意味では自然ですが、同じ一つのブロックへの距離が視点によって変わるという現象は、この世界の空間が持つ根本的な矛盾が音にも現れているようです。
よほど空間把握のセンスがない限りこの世界のブロックが回転時にどう動くかは予測が難しく(奥行き情報は完全に消されているので、回さない限り認識不可能)、4パターンを適当にガチャガチャ動かして探索します。そうすると、「さっきここにあったブロック、どこいった?」となるわけですが、そこでMusic Roomsでは音楽に耳を傾ける事になります。
動きを表す機能的なフレーズ
頼りとなるブロックの音も実にシンプルでありながら、機能的です。
出現する時は、強いアクセントが感じられるテヌート(しっかり伸ばす音)で1音、聴き逃さないように存在感を強調しています。そこから数拍(この間隔はブロックによってそれぞれ異なる)を置いて、消失する時は少し掠れた音色のスタッカートによる8分音符2音で、ブロックがそれに合わせて「点滅」するため、ゲーム的な予兆表現とフレーズがぴったり重なっています。
音程も、一つのブロックから出る音は同じ音程とすることで、回転で見失ったとしても、音で同じブロックかどうかが直感的に判別できます。連続するブロックについては登るに連れて音程が上がっていくような配置にもなっています。
このように、足場となるブロックの距離・方位・出現・消失、あらゆる面で音がプレイヤーの空間把握を根本的に支えており、先程の用語を使えば、エピステミック(認知的)な音としての機能がより強く発揮されていると言えます。
「景色から音楽が想像される」という未知の体験
ここまで、いかにこの「音楽から景色が感じられるか」という話をしてきました。が、このレベルの一番最後で起こることは、その逆なんです。つまり、「景色から音楽が想像される」。
足場を乗り継いで最上部にたどり着き、その扉を開けると、ドラムトラックだけがフェードアウトしていき、それまでの緊張感から解き放たれます。しかし、紫ブロックの足場にはまだ続きがあるようです。これまで左右に耳を傾けて探してきたそのブロックの音は、今度は「上」から聴こえてきます。

これも静止画では伝わりませんが、動画の5:05あたりからをご覧ください。紫ブロックの足場が、下から一つずつ、音階とともに座標を登っていく様子が見えます。その足場は、上に行くほど広くなり、全く左右にブレず、ただ1回ずつジャンプするだけで簡単に登れるように配置されています。
このブロックの配置意図は明らかです。これはここまで登りきったプレイヤーへの、ご褒美なんです。気持ち良い音階で上がっていくブロックの音は、最初の地点からでは徐々に距離減衰でデクレッシェンドするようになっています。これから私はこの階段を登り、ゴールに向かうと同時に、このブロックの音によって音楽が終止するであろう、と私は直感しました。
私は足場を一つずつジャンプして登ります。足元のブロックの音が大きく聴こえ、反対に、それ以外の伴奏の音はフェードアウトしていきます。一番上のブロックまで来たところでは、完全に伴奏が消え、あとはただ、ブロックの奏でる音楽的な解決に向かって、ゲームと、音楽と、景色、すべてが収束していきます。このあまりの一体感は、未だこの作品のこのレベルのこの一場面を除いて、体験したことがない特別なものでした。
ゲーム内世界から鳴っている(ダイエジェティックな)音楽が、ゲームプレイに欠かせない(メカニクスとしての)音として機能するとき、その音楽はプレイヤーにとってもゲーム世界にとっても同時に無くてはならない要素となって両者を分かち難く結びつけ、物語世界内・外といった壁を忘れさせてくれます。
Disasterpeaceによる「空間的作曲」
本作の音楽実装をどのように行ったのか、作曲家のDisasterpeaceが明らかにしている動画が残っています。こちらの動画の26:48から“Music Gameplay”について(つまり、Music Roomsについて)語っています。
ブロックに音を設定していくツールに加えて、プレイヤーが一定の高度を超えたところで音楽に新たなレイヤーを足していくといった工夫も紹介されていました(Music Roomsの音楽をよく聴くと、高くなるごとに6連符でゆったりとフェードイン・アウトするフレーズが入ってきます)。
プレイヤーの位置や視点によって変化する音楽の設計にあたって、彼がどのように考えていたのかが以下のコメントに現れています。動画29:41より。
音楽は普通、いつ、どの音を鳴らすかっていう“順番”を考えるけど、その代わり、音の“近さ”っていうか、どの音とどの音が近くで鳴ってほしいか、どうしたら気持ちよく聴こえるか、を探す作業だった。それって音楽を作る上では普通なかなか考えない、変なことだよね。
原文:“It’s kind of interesting challenge because you had to think about … instead of thinking about order, like, when things happen in the music, it was more about proximity, like, which notes do I want to happen near other notes so that they sound pleasing, which is kind of a weird thing to think about in music.”

本作は他にも随所に音楽的な挑戦が仕込まれており、ランダムに変化するBGM、BGMに合わせた音階のSE、時間帯でシームレスに変化するトラック制御など、当時としては物珍しい工夫が沢山ありました。昨今では技術的なハードルも下がり、そうした工夫は珍しくない時代です。
しかしながら、『FEZ』の“Music Rooms”が成し遂げた、音楽から景色が想像され、また景色から音楽が想像されるといった奇妙な体験だけは、無限の響きを持って今なお私の心の中に、その余韻が残っています。
注
※1 本稿では参考書籍の用例に習って、「ダイエジェティック(diegetic)」(英)は「物語世界内的」という意味で、「ダイエジーシス(diegesis)」(英)は「物語世界」という意味で用い、また、さらに簡単のために「ゲーム内世界」も同じ意味で使って解説します。
細かいことを言うと「物語世界的」と「物語世界内的」も、「ゲーム内世界」と「ゲームの物語世界内」も意味が異なってくるのですが、それらについて本稿では何らかの独自な見解を示すものではなく、大雑把に同じ意味を示す用語として利用しています。
※2 『Outer Wilds』(Mobius Digital, 2019)では、シグナルスコープというアイテムを使うことで、覗いた先の惑星にいる仲間が奏でる音楽を聴くことができた。どんなに遠く離れていても。
※3 『Get Even』(The Farm 51, 2017)のある場面において、プレイヤーが銃撃するたびにラジオから聴こえるダイエジェティックな音楽がノンダイエジェティックに変化する(減衰などが消えて、突然ハッキリと聴こえるようになる)というトリッキーな演出が使われた。インタラクティブミュージックの世界最先端を行く作曲家Olivier Deriviereが、GDC2017の講演"Interactive Music 2.0: Merging the Game World with Your Score"にて発表。
※4 Music Roomsへの行き方について、手っ取り早くはこちらの動画を参照してください。
引用文献:
吉田寛 (2023). デジタルゲーム研究
山上揚平 (2018). ゲームにとって音とは何かhttps://www.repre.org/repre/vol32/note/1/
水里真生 (2018). 『ゼルダの伝説』に見るゲーム音楽の鳴らし方と演出の工夫 ―物語の世界とリンクする3種類のBGM―
https://acua-piece.com/post/181399662155/diegetic-music-in-legend-of-zelda/松永伸司 (2018). ビデオゲームの美学
松永伸司 Diegetic Soundについて - 9bit https://9bit.99ing.net/Entry/59/
田中 “hally” 治久 (2024). ゲーム音楽はどこから来たのか ゲームサウンドの歴史と構造
Disasterpeace (2013). Philosophy of Music Design in Games - Fez
https://www.youtube.com/watch?v=Pl86ND_c5Og
執筆者について
じーくどらむす
音楽とゲームを融合するミュージックプログラマー
Twitter:geekdrums
ブログ:https://note.com/geekdrums
プロフィール:https://note.com/geekdrums/n/nd93676c33317
お知らせ
「遊星歯車機関」は、実験的な試みのあるゲームをガイド/批評する同人誌企画です。メカニクスやUI、シナリオ分岐、乱数、報酬設計など、ゲーム特有の仕組みによって広がる物語の可能性に着目します。いずれ本稿群を『遊星 物語るゲームたち(仮)』として編み直し、一冊にまとめる予定です。寄稿をご希望の方はご相談ください。詳細は続報にて。
