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上町筋、谷町筋その3 生國魂神社~愛染堂

 大阪の街中を南北に通る上町筋と谷町筋。ほんの300mほどの距離を取って平行に5kmちょっとを通る道を歩いたレポートの「その3」です。

 近鉄日本橋駅を降りました。東京はニホンバシですが大阪のソレはニッポンバシと読みます。紀州街道その2でも同じことを書きましたが。
 駅には文楽のポスターが貼られています。そして駅を出てすぐ目の前には国立文楽劇場があります。ここに来る前(その2で)お墓に手を合わせた近松門左衛門の活躍もあって人気を博した文楽。三味線の伴奏で太夫が語って人形が演じる人形浄瑠璃です。

ユネスコ無形文化遺産です。無形かどうかは微妙ですが。
これは曾根崎心中の一場面ですかね
とっても立派な劇場です

 文楽劇場の前に「二ツ井戸」の碑と説明板とレプリカがありました。かつて道頓堀の東に2本並んで掘られた珍しい井戸があって名所になり、その近くには銭座があって寛永通宝など多くの貨幣がその水で鋳造されたんだそうな。明治になって都市計画の為に撤去される事になり、宝暦2年(1752)に創業した粟おこし屋の津の清(つのせ)が払下げを受けて店舗の場所に移設し、店舗が移転した後も新たに掘られてその水は町人たちに愛されたのですが平成12年に姿を消したんだとか。大阪銘菓の粟おこしを今も販売するその会社は「二ツ井戸津の清」の屋号を名乗っています。

二ツ井戸舊蹟。なぜか少し小さめのレプリカ

 千日前通を東へ向かって松屋町筋を過ぎると谷町筋。さらに東の上町筋にたどり着いて北へ折れた所にある誓願寺には井原西鶴のお墓があります。「好色一代男」などの浮世草子の作者として有名な西鶴ですが、元々は俳諧師で、42歳の時には住吉大社の社前で一昼夜かけて23,500句を詠んだんだとか。よくそんなに言葉が出てくるものですねぇ。クレイジーです。でも後で見てみたら「これはアカンわ」っという句も多いんでしょうね(笑)

実印みたく額縁いっぱいに文字が彫られています

 谷町筋に戻りその西に鎮座する生國魂神社に向かいました。なんだか凄い文字の社名はイクタマと読みます。神武天皇が即位前に上町台地の先端(今の大阪城の場所)に創建したという社伝によれば2700年もの歴史があることになり、大阪最古の神社っということになります。もちろん平安時代のリスト延喜式神名帳に記載されている式内社で格の高い明神大社、それも祭神の生島大神と足島大神の2座とも明神大社のタイトルホルダーです。

西の鳥居と「大阪最古の神社」の看板

 北門の前の参道は真言坂と呼ばれています。かつては神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊というお寺がこの辺りに並んでいて、その全てが真言宗であった為にそう呼ばれたんだとか。明治の廃仏毀釈のせいで今ではこの坂には1坊も残ってはいないのですが。

北門の前の真言坂

 大阪最古で明神大社2座というだけでなく、生國魂神社には色んな見所があります。 北門を入ってすぐには織田作之助の銅像があります。作品の中でこの神社が描かれたっという事だけではなく、この近所で生まれて育ったんだとか。子供の頃この境内で遊んでいて、はまったという話が書かれている蓮池も復元!っとまでは出来なかったのでしょうが、一応ハスが植えられていました。

オダサクさん
池はありませんがハスは植えられています

 井原西鶴の銅像もあります。かなりリアルな銅像ではないかっと思います。会ったことはありませんが(笑)

西鶴です。落語家ではありません

 浄瑠璃神社という摂社もあります。よく文楽の関係者が参拝されるんだそうです。

文楽の人気がもっと上がりますように!

 淀殿が崇敬したという鴫野神社という摂社があります。元は大坂城の東の辺りに鎮座していましたが明治10年(1877)に生國魂神社の境内に遷座されました。 悪縁切り・良縁結びのパワースポットと言われているんだそうで、この日も2人の女性が割と長い時間をかけて祈っているのを後方で待ったのでした。心という字にカギがかかっている提灯や絵馬がありました。心に固く念じるっという事なのでしょうか?心を閉ざすようにも思えますが。そもそも淀殿にあやかって幸せになれるのかどうかも疑問ですが。 あ、いや、純粋な感想でしてディスっている訳ではありません。バチを当てたりしないようお願い申し上げます。。。

心にカギ?カギに心? そのココロは?

 境内には「上方落語発祥の地 米澤彦八の碑」というものもあります。江戸時代中頃、生國魂神社境内では色んな芸を見せる芸人たちがいて、そこで彦八が上方落語を始めたっと言われています。その彦八の功績を讃えて1991年からこの境内にて上方落語協会が「彦八まつり」を行っています。落語はもちろん、大喜利大会や噺家による相撲、住よし踊りや地車囃子の奉納などが行われ、屋台も出ます。 江戸落語の「圓朝まつり」は彦八まつりを参考にしたものなんだそうです。

ここで上方落語が生まれました
そしてメインの社殿。立派です

 北門から入って多くの摂社にも参って色んなものを見て、東の大鳥居(正面)から外に出ました。この鳥居を奉納されたのは鳥井信治郎氏。あのサントリーの鳥井さんです。

鳥井さん奉納の大鳥居の脚

 大鳥居の前には水戸藩士川﨑孫四郎健幹と笠間藩士島男也の碑が並んでいました。川﨑は水戸藩家老安島帯刀に取り立てられてましたが、安政の大獄によって安島が切腹させられ、桜田門外の変の後に大坂挙兵を図るも幕吏に追われて変の首謀者である高橋多一郎親子を逃がすために斬られて致命傷を負って生國魂神社の社前にて切腹しました。島は大坂挙兵の談合の際に幕吏に捕らえらえて江戸で死去しました。っという事が説明板に書かれていました。このお2人は申し訳ないことに存じ上げなかったのですが。

川﨑さんと島さん

 生國魂神社から南へ歩くとお寺が立ち並ぶエリアが現れます。その中の1つ増福寺には薄田兼相のお墓があります。読み方が分かりにくい字ですがススキダカネスケと読みます。薄田隼人正兼相は大坂の陣での城方の高名な武将でしたが、冬の陣の際、担当していた砦を離れて遊女とイチャイチャしている間にその砦が陥落させられるっという失態をやらかしてしまい「橙武者」のレッテルを貼られてしまいました。お正月に鏡餅と一緒に飾られる橙(だいだい)は見栄えが良いだけで特に役には立たないっという事からそう呼ばれたのです。それで夏の陣では冬の汚名を返上するべく勇敢に戦って(藤井寺市・羽曳野市辺りで繰り広げられた)道明寺の戦いにて華々しく討死を遂げたのでした。 お墓の背中側を見てみると文化11年(1814)に薄田兼實という人が建てたと彫られていました。なかなか大きな五輪塔です。兼相の子孫の薄田兼実さんは幕府の旗本になったのでしょうか?いや貧乏な旗本ならこんな立派なお墓は建てられないかもしれません。この近くで庄屋(豪農)として薄田家は存続したのかもしれません。

墓石が橙色に見えるのは気のせいでしょう

 生國魂神社の500mほど南東、谷町筋沿いにある吉祥寺には浅野内匠頭(たくみのかみ)や赤穂浪士のお墓があります。谷町筋を通ったことのある方なら、このお寺のダンダラ模様の壁は記憶にあると思います。(でも境内に入ったことのある人は少ないのではないかっと思います)

赤穂浪士カラーの壁です
山門を入ってすぐに大石内蔵助さんが

 元禄14年(1701)浅野内匠頭長矩(ながのり)は江戸城の松の廊下にて吉良上野介義央(よしひさ)に斬りかかる刃傷事件を起こして切腹となりました。その後わりと早い時期に安芸の(本家の)浅野家によってここにお墓が建てられたようです。で、翌年の赤穂浪士による吉良邸への討入りの後、安芸浅野家へその報告に向かう寺坂吉右衛門がここに立ち寄って、義士たちの遺髪や遺爪などを供養のために託したんだそうです。

殿様の両脇に大石親子、他の45人が周りに

 吉祥寺には四十七士の(全員の)石像があります。なかなか壮観です。
また、境内には蜂須賀正勝の顕彰碑もあります。秀吉の天下取りに大きく貢献して後に大坂城代も勤めた蜂須賀小六(ころく)正勝は、大坂で死去して吉祥寺の北にあった国恩寺にお墓がありましたが、昭和になってから(正勝の子の家政から明治維新まで蜂須賀家が藩主であった)徳島にお墓が移されたんだとか。で、顕彰碑だけがここに建っているんだそうです。

討入りだよ、全員集合!
小六殿が顕彰されています

 吉祥寺のすぐ南にある鳳林寺は江戸時代に大坂城代の菩提寺となって、米倉丹後守代々、安部(あんべ)摂津守代々のお墓があります。 また、江戸中期の俳諧師上島鬼貫のお墓もあります。鬼貫は伊丹の出身。いま大阪国際空港(伊丹空港)がある兵庫県伊丹市は江戸期には日本一の酒造の町で、鬼貫の実家も酒蔵でした。大坂で死去したのでここにお墓があるのですが、郷里伊丹の墨染寺にもお墓があります。

入れませんがここにオニツラさんのお墓があります

 鳳林寺は六万体交差点の北東にあります。その地名は聖徳太子が四天王寺の周りに6万体もの石地蔵を造ったっという話が由来です。四天王寺の結界っという事なんでしょうかね。
 谷町筋の西側には四天王寺の支院となっている瑞雲寺真光院があります。聖徳太子のパパ用明天皇が死んだ後、冥福を祈る為に太子が7日間念仏を唱えていたところ阿弥陀如来が出現!その後に(覚えているうちに?)太子が彫った阿弥陀如来像を安置したのがこのお寺の始まりですが、ここの地蔵菩薩像は(6万人の代表として?)六万体地蔵尊と呼ばれ、七難即滅・七福即生の御利益がある!っとして有名になったんだそうです。

瑞雲に乗って阿弥陀如来が現れたんだって

 
 地下鉄谷町線に四天王寺前夕陽ヶ丘という長い名前の駅があります。四天王寺さんはすぐ目の前ですが、谷町筋の西側の寺社に寄り道をします。

 勝鬘院(しょうまんいん)というお寺があります。カツラと読む鬘という字はあの頭に載せるカツラです。サンスクリット語のシュリーマーラーを漢字で表したのが勝鬘で、勝鬘経という大乗仏教の経典があって在家の者が仏教を説くのに用いられたその経典を聖徳太子も重要視したんだそうです。でもどうして勝鬘なんていう変わった漢字なんでしょう。勝満でも勝萬でも良いと思うのですが。ハチマキを締めて勝負に挑む時とか、カツラを着けてお見合いに行く時なんかにお参りすると良いお寺さんなのでは?などと連想しながら境内を歩きました。

勝鬘院の赤門
徳川秀忠が再建した金堂

 愛染明王を御本尊とする勝鬘院は一般には愛染堂と呼ばれています。聖徳太子創建のお寺ですが、本願寺と織田信長が戦った石山合戦で焼失し、豊臣秀吉が再建しましたが大坂夏の陣で再び戦火に遭いました。金堂は夏の陣の後に徳川秀忠が再建したもので、金堂の裏にある多宝塔は文禄3年(1594)に秀吉が建てたものです。夏の陣でも大阪大空襲でも焼けなかったこの塔は重要文化財に指定されている、大阪市内最古の木造建築物です。 実はこの多宝塔は日本建築の代表です。っというのも、明治35年(1902)サンフランシスコで万博が開催された際、この塔の模型が日本建築の代表として出展されたのでした。つまり本当に公式に「代表」なのです。

私が日本代表の建築物です

 愛染堂の金堂の右手には「愛染めの霊水」と呼ばれる井戸があります。この井戸水を飲めば「愛染明王の御本誓により愛念を叶え、病癒え、運気を開き給う」のです。説明板によれば。
 井戸の前には有名な「愛染かつら」があります。樹齢数百年といわれるカツラの古木にノウゼンカズラのツルが巻き付いています。その様が男女が寄り添っているように見えるという事で恋愛成就・夫婦和合の霊木として昔から崇敬されています。
カツラ、カズラ、鬘。なんだか複雑に絡み合っています(笑)

愛染明王のパワーが湧き出ています
激しく絡みついています


 愛染堂の隣りには大江神社が鎮座しています。四天王寺七宮と呼ばれる7社のうちの1社です。聖徳太子が四天王寺を創建した際、その鎮守として七宮は造営されました。鎮守を7社も建てるって、6万体の石地蔵だけでは不安だったんでしょうか?
まさに神仏習合、いや大集合です(笑)

無くなった2社も合祀しているので7分の3座です

 大江神社が鎮座している所は夕陽丘町という町名です。往古この上町台地のすぐ西の足元までが海で、この辺りは夕日の名所でした。
 大江神社の脇にある坂は愛染坂と呼ばれています。もちろん坂の上に愛染堂があるのが由来です。この坂を下りたところに大江神社の鳥居がありますが、そこまで海が来ていた訳です。

この石段のところまで波が来ていたのです

 愛染坂を下りて松屋町筋を少し北へ寄り道。
円成院というお寺の前に「植村文楽軒墓所」と彫られた碑がありました。文楽軒は、私財を投じて文楽座を作って人形浄瑠璃の興行を始めたといわれる人なんだそうです。存じ上げなかったのですが。
 すぐ北にある良運院には東儀一族の墓所があるとの説明板がありました。あの東儀秀樹さんの東儀氏、聖徳太子の腹心であった渡来人の秦河勝を先祖にもつ雅楽の名家です。

もちろん文楽のポスターが貼られています

 そしてもう少し北には口縄坂があります。道の起伏がヘビっぽく見えることから、そういう風に呼ばれるようになりました。口縄っというのはヘビのことです。ちょっと粋な呼び方だと思います。
 南北に細長い上町台地の西側には多くの坂があって天王寺七坂と呼ばれています。生國魂神社北門前の真言坂も先ほど下りた愛染坂も、この口縄坂もその1つです。

石畳がヘビのウロコに見えます(笑)

 口縄坂を上って谷町筋に戻りました。あとは四天王寺さんと天王寺公園に寄ると上町筋&谷町筋歩きは完結するのですが、長くなるので、いやその2ヶ所は見所が多いので「その4」に回すことにして夕食へと向かいました。


 天王寺駅に到着し、JRの線路に沿って天王寺公園の南側を西へと歩くと新世界に着きます。通天閣とジャンジャン横丁のあるコテコテに大阪なエリアです。その新世界で観光客のように大阪っぽく串カツを食べに行きました。新世界で串カツを食べるのって20年ぶり位でしょうか。当時はインバウンドなんて言葉も聞いたことが無かったように思いますが、今では外国人の方が多い町になっています。
 数ある串カツ屋さんの中でどこに入ろうか考えた末、ぎふや本家さんに入りました。大正5年(1916)創業のこの老舗に入ったのは初めてでしたが、注文はQRコードを読み取ってオーダーするスタイル。今どき。でも、卓上のソースの壺に「2度づけ禁止」なのは昔ながらでした。

キレイなお店ですが100年越えです
どて焼は甘ったるくはない味付けでした

 よく知っている土地でも改めて歩いてみると新しい発見があります。また、まるで観光客のような行動ができたのもブログを書き始めたお陰です。色々ありがとうございます(笑)

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