What more can I give
走る電車の窓から、とても大切な景色を垣間見ることがあって。
あー、こんなに大切な景色なのに、なぜ今なのか。止まって見たいのにと。
だけど、止まってたら世界はこんなに綺麗な景色は見せてくれないようになっているんだろうな。
Lessons learned
振り返ってて一番反省していることは、いつも周りにも自分自身にも「申し訳なさ」感じてしまったこと。
謝ることはないって自分が一番わかってたけど、自分がやりたい分には全然届いてないんだもん。大好きな人が言った、「それ(回ってない状態)を是として進むんだよ」というみたいに、受け入れて凛とできたらいいけど、悔しさは消せない。毎日楽しく頑張ったので悲観はしないけど、「保育園行かない、お仕事行かないで〜」と泣かれた日々は、仕事に行くことを心底罪悪感にも恐怖にも感じたし、あの時の娘の表情や泣き声は、この先も脳裏に張り付いて忘れられないんだろうな。
4月になってクラスが変わり私も早帰りを増やしたことでかなり行き渋りが軽減した今だからかけるけども笑。
やり方次第とかは何度も聞いたし、自分なりに色んな方法を試した。
だけどもっとやる度に、もう片方の方にごめんねごめんね、ともっとやりたいのにね、と申し訳なくなった。螺旋階段みたいにいっ時は「うまく回ってるな」と思っても、常にunfinished listがあって、やるほどに、挑戦なんてしなきゃよかったとも思った。
そんな一年だった笑
・
だから、一生懸命なんてしないと決めた。全部にフルベットなんて当然しない。だけどやり抜くし、自分に誇りを持ってみせる◎
・・・
答えはわかっていて、自分の中の優先度は、もっと娘といたいんだなぁと心の声は知ってる。そこに折り合いつけないと、凛となんてしてられないんだろう。
娘が朝泣く度、お散歩を長くしてから通ったり、一緒にいる時間を増やしたり、家で仕事や携帯もやめたり、いろんな工夫をしたけど、どれも小手先のその場しのぎみたいで
「何がなんでも預けて仕事しなきゃっていうお母さんじゃないと難しいんですよ」と言ってくれる先生がいて、そうかもなって思った。
・・・
リスペクト!
救われたことに、最近レッスンのご兄弟やマンションのお隣さんと遊ばせてもらうことが増えて、瑠璃の行き渋りもイヤイヤも元気の良さも全部知ってくれてる、そんな中で大丈夫よ。根気強く伝えるしかないわねぇと一緒に向き合ってくれたりした。
レッスンしてて大きなの恵みだと思うのは、幼稚園〜中学生まで色んな年齢の子供たちと、親御さんの関わりをみることができること。
同じ境遇の「わかる〜」を沢山共感できて、さらにフルタイムの共働きだったり、ご兄弟がいたり、頭では理解していたつもりのどのご家庭の輝きも苦労も身近に感じられて、「あー甘ったれてたな。」とちゃんと自分の強みも弱みも認めることが出来た気がする。
同世代の周りの人の方が余程忙しいし、何より娘ともっと遊びたいだろうに朝早くから夜遅くまで一生懸命働いてくれる旦那さんのおかげでこんな贅沢な悩みが言える。保育園で娘と向き合ってくれる先生方、私に仕事で関わってくれる方々におんぶにだっこだとよくわかった。わがままを言っていたことに反省。大変だぁ、の気持ちを共感してもらい、笑い飛ばせるようにするぞ。
ネガティブケイパビリティ
春の間に読みたかったネガティブ・ケイパビリティの本を流し読みして、今は少し自分への期待を下げて、全部は出来ないって開き直れた。どんなに横が楽しそうに見えても、私には要らないなって思えた。これで仕事で自分の価値が下がるかな、レッスンに不満がでるかな?と心配して全部叶えようとしたけど、頑張った分で手にできなかったものは仕方がない。それ以上をかけて追いかける価値はない。
絶対一番大事な瞬間を理由をつけて失わない。自分の中の軸を確固ともたないと、あっというまに大切な時間は終わる。娘が思春期になったり、何かトラブル起こしたり色々あるだろうけど、それでも毅然とするためには、ちゃんと今自分の声に耳を傾けて向き合う。そのためには、ちゃんと自分にも他人にも厳しくNoを言えるように構えてないとだめ。
キャパが狭い分、一番大事なものだけは順番を見失わないできた。これだけは強みだ。絶対間違わない。
・・・
What more can I give
関係ないけど、タイトルのマイケルジャクソンの911の曲まで書いて、大学の英文学部で読んでたセオドア・ドライサーのSister Carrieを思い出した。"What More Can Carrie Want?"とという批評があって、"もっともっと"求めるうちに、ある時目が "glow"「白熱して」、 最後には燃え尽き"burn out"ていく登場人物たち。
あのナチュラリズムの作品を読んで、「人間なんて生まれてから死ぬだけの、それだけで意味がない」meaninglessだ、と始まる生意気な感想を書いたけど、大塚先生が書いてくれたのは、「そうですね」と
あって、笑えた。30位の英文批評をのめりこむように読んで、すごい悟った。どうせmeaninglessなら、なんでもやりたい・やってやると思ったあの時だったけど、もういらない。”more”の呪縛から抜けた。代わりに、娘といくら一緒にいたってもっと居たかったと大人になったら思うんだろうな。
(GWに殴り書きでも書き切ろうと思ったのに結局連休のタスクは半分も終わらない笑)
Tips for 2025
-お世辞とか曖昧に優しさとかなしに、自分にも他人にも厳しくなる
-伝えたいことがあった時に、言葉じゃなくてどう伝えるか
