FIRE生活の落とし穴は洗濯ものだった①──パンツを忘れて気づいたこと
◆ 大切なパンツを忘れた
今日、ジムへ行ったがパンツを忘れた。 普段はトレーニングの格好(スパッツ)で行き、風呂から上がったら持って行った替えのパンツを履く。 その“当たり前の手順”を、今日はすっぽり忘れた。
年をとると、人の名前や曲名が出てこなくなる。 会話の中で「それそれ」「あれがさ」と言いながらつなぐことが増える。 これは、いわゆるアルツハイマー型の物忘れだろう。 深刻なら専門医に相談するしかない。
しかし今回の忘れ物は、それとは別の種類だ。 ジムへ行く準備の最中に、別のことをしてしまい、手順が抜け落ちたケースだ。
◆ 過去の忘れ物
過去には、ジムに行く際に、リュックを忘れて行ったことがある。
僕はいつも、ジムへ行くときは、靴やパンツなどの着替えをリュックに入れ、そのリュックを背負って自転車を15分走らせる。 リュックを自転車のカゴに入れないのは、揺らしたくないからだ。背負った方が揺れないと信じている。
その日は、出かける直前に家庭菜園への水やりを思い出した。玄関にリュックを置き、水を蒔き、そのまま自転車でジムへ向かった。
ジムへ行く最後の交差点で赤信号に止まり、 いつものようにサングラスをリュックの左ベルトにつけているケースにしまおうとした瞬間、ケースが無いことに気づいた。 確認すると、リュックそのものが無かった。玄関に置いたままだった。しばらく、呆然としてしまったが・・・。
◆ 会社員時代の「割り込み禁止ルール」
会社員時代、朝の時間は一秒も無駄にできない。起床→口をゆすぐ→コーヒーを入れる→牛乳をホイップする→トマトジュース+青汁+プロテインをシェイクする…… この一連の手順に割り込みが入ると、抜けが出る。
髭を剃り忘れて会社へ行く、などはたまにあった。だから家族には「この手順の最中は、余計なこと言わないで」と宣言していた。
最近調べてわかったのだが、僕が肌で感じていたこの“手順の脆さ”は、どうやら正しかったらしい。 朝のルーティンは前頭葉ではなく、基底核で処理されている。 そこに割り込まれると、前頭葉で考えながら行う手順に切り替わり、抜けが発生する現象だと思われる。
つまり、リュック忘れも、水やりさえしなければ起きなかったし、パンツも余計なことをしなければ忘れなかった。
詳しくは、これらの記事ね↓↓↓
◆ FIRE生活の「ハッピーアワー」
FIRE生活をしていると、夕方に余裕がある。午前中は株価を眺めたり、取引したり“している風”に過ごす。午後はジム、ウォーキング、書店、食べ歩き、図書館、病院などを巡り、16時くらいからは完全にFIREの天下だ。ハッピーアワーである。
昔、モルジブの小さな島で過ごした一週間を思い出す。夕方になるとハッピーアワーでバーが欧米人で満杯になる。天井のないバー空間で、夕日を眺めながら1日を振り返りビールを飲む。あれは極上だった。
今は夕日こそ眺めないが、心の余裕という意味では、まさにあの時間帯だ。
午後3時が背徳感の境界線(ハッピーアワーの始まり)だ↓↓↓
◆ ハッピーアワーの落とし穴
しかし、この幸せ満タンのハッピーアワーにも落とし穴がある。
洗濯ものの取り込みと、葉っぱ(バジル、ルッコラ)の収穫だ。
洗濯ものの取り込みは、夕方に行う。葉っぱの収穫は鮮度を保つため、暗くなる直前に行う。
これを忘れると、とんでもないトラブルに巻き込まれる。
「暇なのに、なんで洗濯ものを入れないのか」
「暇なのに、なんで葉っぱを収穫しないのか」
──と、家庭内監査が入る。
なお、これを忘れたことに「アルツハイマー気味なので」という言い訳は通用しない。 やって当然の行為だからだ。「忘れた」「忘れない」の話ではない。
夕方の忘れは、僕にとって大きな謎であり、解決すべき課題だ。
◆ なぜ夕方に忘れるのか(考察)
忘れる理由は二つ考えられる。
・ 楽しいハッピーアワーに夢中になってタスクを忘れる
・ そもそも「洗濯ものの取り込みは僕の仕事じゃない」と思っている
どちらも、日常の感覚としてはよくわかる理由だ。
ただ、もう少しだけ自分の生活を振り返ってみると、 これらの理由の“奥”に、もう一段深い仕組みがあるようにも思える。
夕方になると、どうも脳の中で「今日の業務はもう終わりです」という空気が流れ始める。代わりに“自分の時間を楽しむ回路”が前に出てくるような感覚がある。
そうなると、ハッピーアワーに夢中になるのも自然だし、「これは僕の仕事じゃない」という気持ちが顔を出すのも不思議ではない。
夕方のゆるんだ時間に、家庭内タスクが記憶の端へ追いやられるのは、怠けでも病気でもなく、ただそういう“時間帯の癖”なのかもしれない。
◆ 科学的知見を集めてみると
夕方に忘れ物が増える理由について、専門家ではないながらも調べてみると、 どうやらいくつか“それっぽい”知見があるようだ。
どれも生活の実感とつながるので、参考として紹介しておく。
1. 夕方は「意思決定の燃料」が切れやすい
脳の前頭前皮質(判断・注意・計画を担当)は、長時間の活動で疲れやすい。いわゆる 意思決定疲労(decision fatigue)という現象だ。
・ 午前:判断力が高い
・ 午後:徐々に低下
・ 夕方:注意力が散りやすい
夕方になると「業務終了」のような空気が流れるのは、この疲労と関係しているのかもしれない。
2. ルーティンは基底核が担当し、割り込みに弱い
ルーティンは 基底核 が処理する。決まった順番・決まった環境で強く働くが、割り込みには弱い。
会社員時代の僕が朝のルーティンで「割り込み禁止」を徹底していたのは、 まさにこの性質と一致している。しかし、今回の夕方に忘れ物が増える現象は、これではない。
3. 報酬系(ドーパミン)は“楽しい時間帯”を優先する
夕方は、脳の報酬系が働きやすい時間帯でもあるらしい。
楽しい・リラックス・自分の時間
── こうした要素が強くなると、家事や雑務の優先順位が下がる。
僕が感じていた「夕方のモルジブの記憶が蘇る」ハッピーアワーは、この報酬系の働きに近い。
4. 家事は「自分のタスクではない」と脳が判断しやすい
脳は、自分が決めたタスクを優先する。
逆に、「自分の役割ではない」と感じるタスクは、優先順位が下がるらしい。
「洗濯ものの取り込みは僕の仕事じゃないと思っている」という感覚は、脳科学的にも自然だと思う。
◆ まとめ
今回の忘れ物の話をたどっていくと、ひとつの線が見えてくる。パンツを忘れることは、決まった手順を崩したことで起こりえるもの。夕方に洗濯ものや葉っぱの収穫を忘れてしまうことは、「手順を崩したこと」「老化(アルツハイマー)」だけでは説明しきれない。
午前〜午後は、前頭葉が主導する脳の活動で生活が回っている。しかし夕方になると、前頭葉の集中力が落ち、報酬系が前に出てくる。いわば、脳の中で「今日の業務は終了しました」という空気が流れ始める。その結果、家庭内タスクの優先順位が自然と下がり、視界からスッと抜け落ちる。
これは、科学的知見をいくつか調べてみても、どうやら人間の脳が持つ“夕方の癖”のようなものらしい。専門家ではないので断言はできないが、少なくとも僕の生活では、この説明がいちばんしっくりくる。
夕方の忘れ物は、FIRE生活のゆるやかな幸福の副作用でもある。けれど、家族のために少しだけ工夫すれば、その副作用とうまく付き合っていけるかもしれない。
工夫の一例として
・ 玄関に洗濯カゴ、収穫用のハサミを置く(視覚トリガー)
・ 夕方のルーティンを作る
・ 洗濯→収穫→ハッピーアワーという“ご褒美を得られる順番”にする
── こうしたことで、退勤しかけた脳をもう一度呼び戻すことができるかもしれない。
忘れ物は、暮らしの余白が生んだ小さな揺らぎ。
でも、家族のためなら、そのその揺らぎに少しだけあらがってみてもいいかもしれない。

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