薬から離れる

これまで生きてきて、何度か依存症になったことがある。一度目は、中学の頃の拒食症だ。拒食症、過食症というのは常に食事のことで頭がいっぱいなので、以外かもしれないが依存症の一種とされている。
水もご飯も雀の涙ほどしか摂取せず、とりつかれたように体を動かし体重が30kgを切ったころには、文字通り体が骨と皮と化していた。完治したのもつかの間、20代のころはプチOD、それが止んだら、今度は痛み止めの点滴と、依存症は断続的に私の人生に付きまとっていた。自分で何とか試行錯誤してここ5年はクリーンな状態(依存していない状態)を保っているものの、今年1月、2月、酷いパワハラがきっかけでかなり危うい状態まで追い詰められた。今となってはそんなものする必要もないのだが、パワハラ後も私は、相手とlineのやり取りを続けてしまった。今思えば、どこかでパワーハラスメントが間違ったものであってほしいという私の願望がそうさせていたのだ。結果的に酷く傷つき、何度も薬を沢山飲んで眠ってしまい欲望に襲われた。薬から自分を引き離すために、本を読んだり、セルフケアにいそしんだり、友人と話したりして何とか気を紛らわせていたのだが、その後酷い希死念慮に苛まれた。依存症というのは心の痛みに麻酔を打つためにしている側面があるため、患者から依存先を奪うと先には死が待ち受けているのだ。もう縁が切れたと思っていた依存症が、いまだに私の近くでうろうろしているという事を痛感した。
 
そこで、現在、瞑想を習ってお世話になっている倉田めばさん(ダルク大阪のスタッフ)に連絡し、オンラインのNAミーティングを教えていただいた。2度しか参加していないのにも関わらず、さっそく変容があったのでここに記そうと思う。
 
NA(ナルコティクスアノニマス)というのは、薬物依存症の当事者同士の自助グループ。治療を受けるわけではなく、当事者同士で、クリーンでいられるように支えあうことを目的とする。言いっぱなし聞きっぱなしをベースに、過去の言動を見つめ、どのような道筋を歩んできたか整理し、いわゆる人生の棚卸を行う場である。
 
ミーティング内で何を話したかは、口外してはならないため、具体的な内容はかけないのだが、私が感じたことを以下に記す。
 
1,最初のミーティングから自分が受け入れられていると感じられた。
初めて来たと申し出ると、皆が私の名前を呼んでくれてウェルカムしてくれた。冒頭で文献の読み合わせをする際には、読み始める人の名前を、皆で呼び合う。互いに名前を呼び合うことで、暖かい空気が流れていた。
 
2,少し謙虚になった。
ここ5年間、色んな文献を読み漁り、医療以外のことを沢山試行錯誤しながらクリーンな状態を保っている。しかし、このように自助努力を積み重ねた結果、私は深く自己責任論を内面化しているという事に気づかされた。皆が困難を話すたびに「私はこの人であったかもしれない」という思いが立ち上がり、私が辞め続けられているのは自分の力ではなく、本当に「たまたま」だったのだ、という思いが沸き上がった。
 
3,家族への恨みが減った
私の祖父はしょっちゅう酒を大量に飲み、顔を真っ赤にしながら私を怒鳴ってきた。特に重い障害を持つ伯母の具合が悪い時ほど、飲酒を繰り返し借金までこさえて家族を困らせた。祖父が大変なのは頭では理解しているのだが、やはり、私の現在の苦労はあいつのせいでもあると彼を恨んでいた。しかし、驚くべきことに、ミーティングで、皆の苦労を聞けば聞くほど、祖父に同情の気持ちが湧いて来る自分がいた。きっと祖父も話を聞いてほしかったのだろう。助けてほしかったのだろう。好きでアディクションになる人など一人もいないのだ。そう分かったら、祖父への恨みが手放せた。
 
4,話すと楽になった
私が、薬をたまに沢山飲みたくなってしまう事、我慢していたら希死念慮が湧いてしまうことを話していると、画面越しに皆が真剣なまなざしでうなずいてくれていたのが嬉しかった。「また薬を使いたくなったらこうやって言っていいんだってわかりました」と最後に言い残すと、幾人かの人がサムアップしながらうなずいてくれているのを見て、肩の荷が一気に降りた。そして驚くべきことに、言い終わったら薬への渇望が殆どなくなっていたのだ。「薬を使いたい」と話せない状況がより薬への執着心を強めていたのだろう。
 
 
依存症を抱えながらも真剣なまなざしで自分と向き合う証言は、どれも強度があり聞けば聞くほど胸がいっぱいになってしまう。前に進むにはいったん過去を見つめる必要がきっとある。病気からの回復とは、元に戻ることではなく、生きなおしをする姿勢にあるのではないだろうか。
 
「邪悪なものと闘うには一種の異常さを必要とする」と漢文学者の白川静はいう。薬のことばかり話している私たちは、異常な存在なのかもしれない。しかしその空間こそ、薬物依存症と闘うには必要なのだ。まともであろうとすればするほど、裏で私は薬に引き付けられてしまう。NAは私にとって薬に引き込まれないよう、そっと添え木をしてくるような優しい空間となっている。
 
 
 

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