【短編小説】レモンと猫の爪
コッシーさんとみくまゆたんさんの企画に参加させていだきます。
素敵な企画をありがとうございます!
【短編小説】レモンと猫の爪
瀬戸内で採れたレモンを使用しました。
たまたま点けたテレビで干菓子を特集していた。紹介されていた専門店の通販ページにあったのは、白いカモメの形の、レモン味の和三盆だった。
まつりは一目見て気に入った。形もかわいらしいが、やはりレモンというのがいい。和三盆の穏やかな甘さに、ほんのりと爽やかな酸味が混ざり合い、ほろほろと口のなかで溶けていくのを想像する。さっぱりと優しく、きっと冷たい緑茶がほしくなる。
一箱6個入り、およそ千円のそれをカートに入れるのをまつりは一瞬ためらった。お菓子にしては高級品で、そういくつもためらいなく食べていい代物ではない。
しかし日持ちはするようだし、何か特別なことがあったときにつまめばいい。ご褒美というのは日々の潤いのために必要だ。自分は毎日、社会の荒波にもまれて頑張っているのだから、このくらいの贅沢は許される。
まつりはそう言い訳して、ベットで寝る体勢になったままひとつをカートに放り込み、そのまま決済画面に進んだ。名前と住所とカード情報を入力し、無事認証されてあっさりと手続きは完了する。店によれば、最短で3日後に発送されるらしい。
ほっとしながら、まつりは操作の終わったスマホを充電ケーブルに接続し、代わりにベッドサイドに置いたペットボトルの炭酸水を体を起こしてひとくち流し込んだ。しゅわっとした空気の粒々が口内をぱちぱちと刺激する。口のなかで少し遊ばせ、炭酸が和らいだところでごくんと飲み込む。ぬるい液体と気泡が喉から空っぽの胃に落ちていき、人の消化器官というのはひとつの管であることを実感する。そういえば、これもレモンの味が付いていた。
疲れて何を食べていいか分からないときは、決まったものを飲むんだよ。
教えてくれたのは湖宇だった。湖宇は大学時代、よくこれを飲んでいた。卒業研究に行き詰まったり、逆に捗りすぎて忙しくなったとき、自販機で真っ先に選んだのがこれだった。炭酸の刺激がスカッとして、気分が少しは晴れるのだという。まつりもそれを知っていたので、何度か差し入れたし、その隣で自分も飲んだ。
湖宇とは4年付き合った。5年目に入る少し前に、お互い仕事が忙しくなり、すれ違いもけんかも増えて、別れることを選んだ。
まつりは、ほんとは俺のことそんなに好きじゃなかったよな。
湖宇が部屋を出ていく日、彼はそう言った。そうだったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。そのとき、まつりはそうだとも違うとも言えないほど、自分の気持ちが分からなくなっていた。今でも分からない。分からないが、彼の残したものをこうして嫌がることなく今でも受け継いでいるのは、彼をまだ好きであるという証拠になるだろうか。
窓にかかったカーテンの端をそっとめくると、白み始めた東の空に、猫の爪のような細い月がうっすらと浮かんでいる。
三日月って、猫の爪に似てないか。
そういえば、湖宇は研究の息抜きに上った校舎の屋上でそう言い放った。自分と同じことを考える人がこの世に存在するんだとまつりは感動して、告白してきた彼と付き合うことを決めた。
すべては過去だ。終わったこと。昔話。思い出。懐かしいあの頃。まつりは今さら彼とどうこうなる気はないし、彼からそう言われることもないはずだ。だけどこうしてふと彼のことを思い出すとき、ほんの少し胸の奥がきゅっとなるのはどうしてだろう。
まつりは頭まで毛布に包まった。今からならあと3時間は眠れる。朝日を浴びればこの悲しみは霧散する。朝になれば。レモンが消えれば。
まつりはそう信じて一度だけ鼻をすすり、夢の中に沈んでいった。
終
