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権力犯罪と#MeToo 映画「Black Box Diaries」その2 西廣弁護士の裏切り

最初に「Black Box Diaries」を見たとき、すぐ理解できずに見返したシーンが二つある。一つは車内ではしゃぐラストシーン。もう一つが西廣弁護士との電話のシーン、その中の「ホテルが止めに入るかもしれない」という言葉である。(私には「ホテルが抑えに入るかもしれない」と聞こえたけれど) それを聞いて、西廣弁護士が激怒したのはこの言葉なのだと直感した。

実は映画ではもう少し長い会話があるのだが、伊藤詩織は声明で「ホテルが止めに入るかもしれない」という言葉だけ取り上げて、確認が抜け落ちたと謝罪している。それは嘘だ。確認が抜け落ちたのではない。伊藤詩織は確信犯でこの言葉を映画で使ったはずだ。西廣弁護士の裏切りへの怒りをこめて。


ホテルの障壁

西廣弁護士は通話を録音されたことや、依頼人と弁護士の方針が食い違うかのように切り取られたことに抗議している。それに対して伊藤詩織は、西廣弁護士が抗議しているのはこの部分なんでしょと言わんばかりに「ホテルが止めに入るかもしれない」という言葉だけを謝罪した。怖い人である。もし修正版が作られるならば、この言葉は削除される。しかし、伊藤詩織はあえて声明文に盛り込むことでこの言葉を残そうとしたのだろう。そうとしか考えられない。

「ホテルが止めに入るかもしれない」というのは奇妙な懸念である。どんな商売であれ、施設内で客同士のトラブルがあれば目撃者として施設の職員が証言するのは普通のことである。施設側が職員に証言するよう求めることはあっても、証言するなと止めに入ることはあまり考えられない。それが当然のように語られること自体おかしいのだ。おそらく伊藤詩織と西廣弁護士の間ではホテルが非協力的であるという共通の認識があったのだろう。

著書「Black Box」の中でも随所で伊藤詩織はホテルの対応に不信を感じている様子がある。映像の提出だけでなく、ロビーで止めてくれなかったのか、居室階に防犯カメラは無いのだろうか、といった疑問を書いている。防犯カメラ映像に関しても、映画製作以前から公開を望んでいて拒否されたと声明文の中で書かれている。伊藤詩織は自分の告発に対してホテルが大きな障壁となっていることを感じていたはずである。そして「ホテルが止めに入るかもしれない」という発言を見ると、西廣弁護士もホテルが非協力的であるという懸念を抱いていたはずなのだ。

しかし、西廣弁護士は映画の製作にあたってホテルの側に立って、防犯カメラ映像を使用しないよう求めてきたという。そもそも奇妙な話なのである。映像使用に抗議するのなら、それはホテルが直接行うべき話であるはずだ。ホテルは公式には映像の使用を良いとも悪いとも言っていない。それなのに西廣弁護士がホテルの側に立って、先走って映像使用中止を求めてくる。一緒に誓約書に署名したとはいえやり過ぎの感は否めない。

伊藤詩織は、このような西廣弁護士の態度を裏切りととったのでは無いかと思う。今まで障壁として存在していたホテルが、映画製作にあたってもやはり壁になっている。しかも自分を助けてくれるはずの西廣弁護士が、ホテルの代理人のようになってふるまっている。だから伊藤詩織は「ホテルが止めに入るかもしれない」という言葉を映画に入れたのだ。それはホテルの防犯カメラ映像を使用しないように求める西廣弁護士への伊藤詩織からの強烈な拒否回答だった。

本当の障壁

ここで疑問なのは、何故ホテルがそこまで頑なに非協力的であったのかと言うことである。なぜ防犯カメラの映像公開を拒むのか、その理由が分からない。誓約書があるというが、そもそも何を守るために異例の誓約書をとったのか。映像は加工されていてホテルや客のプライバシーには配慮されている。係争中の案件に関わりたくなかったのかもしれないが、裁判で決着はついてしまっている。そもそもホテルの意向にそこまで西廣弁護士が振り回される必要があるだろうか。誓約書があろうが、伊藤詩織が暴走して映像を使ってしまったのならば仕方ない。ホテルに対して自分は関わっていません、使わないように言いましたと言えばそれまでだろう。そもそも誓約書の存在自体が公になっている話でもないのである。

さらに不可解なのは、誓約を破って映像を利用することで、他の性加害事件の証拠集めに支障が出るという理屈である。「防犯カメラの映像は性加害の証拠なのだから公益性を考えて出すのが当然である」「外国ならホテルに対して映像公開しろという圧力がかかったはずだ」そういう意見に私は同意する。映像使用することで制裁のように他の性加害者に不利益を与えるという脅迫のような話は、どう考えてもおかしい。仮に一つのホテルがそのような対応をしたとして、他のホテルや施設が追随すると考えるのもおかしい。そもそも最初から弁護士にまで誓約書を要求した行為自体が異例なのである。そのような話に従って必死に映像公開を止めようとする弁護団も含め、何もかもおかしいのである。

おそらく本当の障壁はホテルではない。考えられる障壁はただ一つ、警察である。性加害事件があれば、警察は防犯ビデオ映像のみならずあらゆる証拠を集めるだろう。そして民事裁判になった場合には、起訴不起訴に関わらず被害者に協力してくれるはずだ。しかし、警察がその気になれば、証拠公開の危険性を理由に民事裁判の被害者や弁護士に協力しないということもできる。警察が直接そう言わなくても。「防犯ビデオの公開みたいなことがあると、警察は民事裁判の証拠提出に協力できなくなる」と誰かが言うだけでも十分脅威になる。そうやって防犯カメラの映像を公開させない圧力をかけることができる。

ホテルが防犯カメラの映像を拒む理由が分からないと書いた。では警察には映像公開して欲しくない理由があるだろうか。警察にはある。それはこの性加害事件が警察にとって捜査が捻じ曲げられてしまった汚点であり、権力犯罪だからだ。いくつかの冤罪事件で分かるように、警察は間違いを認めるのを極度に嫌う組織だ。ましてや捜査ミスとかではなく警視庁刑事部長、後の警察庁長官が強姦を結果的にもみ消してしまった事件。警察は何としてもこの事件が広く知られることを阻止したいはずだ。

前に権力犯罪の側面が伝えられない偏向報道について書いた。実際、金平茂紀が報道特集でこの事件を報道したいけどできないと嘆いたことがある。大手マスコミは山口敬之と中村格の問題をまったく報道できなかった。マスコミだって安倍政権相手ならスキャンダルとして追及できただろう。しかし警察が相手となれば話は別である。マスコミとて記者クラブで警察から情報をもらっている商売である。大手マスコミほど警察と喧嘩をするのは難しい。だからこの事件の権力犯罪の側面は報道されなかったのだ。

伊藤詩織の裏切り

伊藤詩織から見れば西廣弁護士がホテルの代理人のように振る舞うのは裏切りに見えただろう。だから「ホテルが止めに入るかもしれない」という一言を映画に入れたのだと解釈している。しかし、裏切りというのは多面的であり、お互い様でもある。そもそも裏切りとはそんなに悪いことなのだろうか?

前にこの事件の権力犯罪としての側面と#MeTooとしての側面を区別しなければならないと書いた。その理由がここにある。西廣弁護士は事件の性被害の側面、#MeTooとしての側面のみを支援した。権力犯罪としての側面には関わらなかった。関わることができなかった。西廣弁護士だけでなく弁護団の他の弁護士たちや多くの支援者も同様である。みな権力犯罪の側面には踏み込もうとしなかった。山口敬之の性加害を追及する裁判では、権力犯罪追及の側面も#MeTooとしての側面も一体となって動くことができた。しかし、そこから伊藤詩織が権力犯罪追及に踏み込んで、道が別れてしまったのだ。

西廣弁護士をはじめとする元代理人の会見はデモンストレーション的な色彩が強いと感じている。つまり「私達はこの映画に反対です」という態度の表明である。誰に対してか、警察に対してである。私などはそこに権力による見せしめ的な残酷さを感じてしまうのだが。西廣弁護士は態度をはっきりさせる必要があった。権力批判をする伊藤詩織の仲間なのかどうか。西廣弁護士をはじめとする元代理人は自分達は権力批判には加担しないと示す必要があった。それが二度に渡る記者会見の意味だったと思う。

性被害者にとって最も頼りになる味方は警察である。性被害者を支援する弁護士も、警察との信頼関係を築き連携を取って仕事をしていく必要があるのだろう。警察との信頼関係が無い弁護士では性被害者を救うことは出来ない。西廣弁護士は警察との信頼関係を守っていかなければならなかった。そこを崩してしまったら西廣弁護士を頼ってくる性被害者を裏切ることになる。だから元代理人の立場を踏み越えてまで伊藤詩織を批判したのだ。

今回の騒動で伊藤詩織の支援者も分断されたと言う。と言うより多くの支援者が伊藤詩織に苦言を呈する側に回った。例えば北原みのりや小川たまかのような人たちである。当然のことだと思う。彼女たちは伊藤詩織の#MeTooの側面を支持してきたのであって、権力犯罪の側面には関わりたくなかったはずだ。そこに踏み込んでしまうと#MeToo運動自体が反権力運動と一体であるかのように受け止められ、余計な敵を増やしてしまう。

プライバシーの問題が指摘される運転手や捜査官からも同じような事情を感じる。彼らは途中まで伊藤詩織を支援し、しかし最後までは付き合えなかった。彼らは権力犯罪の側面も感じてはいただろう、しかし権力犯罪として伊藤詩織と共に闘うことはリスクが大きい。実際、ネットでは捜査官や運転手を嘘つきとして中傷する声が出始めていた。#MeTooだけならば最後まで共に闘ってくれたかもしれない、しかし権力犯罪と闘うことはそう生易しいことではないはずだ。

伊藤詩織が彼らの顔や声を晒した判断はわからないと言うか、映画チームとしてギリギリここまで大丈夫という判断があったのだろう。ただ個人の感想としては、その出し方に最後まで共に闘ってくれなかった恨み節のようなものを感じてしまう。と同時に彼らはどう晒されようが安全だろうなとも思う。彼らは伊藤詩織と共に権力犯罪と闘う仲間とみなされたら、どうプライバシーを隠そうが攻撃される危険はある。しかし、伊藤詩織に一方的にプライバシー晒された被害者であるならば、もはや彼らを攻撃するものはいないはずだ。伊藤詩織がそこまで計算していたわけではないだろうけれど。

権力犯罪の告発だからと言って、誓約破りや、支援者への不義理や、プライバシー侵害が許されるものではない。そういう意見もある。しかし私は許されると思う。と言うより話が逆なのだ。権力との闘いだから、ホテルが異例の誓約を要求し、支援者も証人も逃げていくのだ。それでも闘うと腹くくってしまった以上、もはや止めようがない。後は法廷闘争でも何でも伊藤詩織の責任でやればよいだけだ。

人は弱いから群れるのではない、群れるから弱くなるのだという。伊藤詩織は#MeTooを支援してくれた味方を裏切ったと言って良いだろう。西廣弁護士を裏切って映像使用したのは伊藤詩織だ。しかし、裏切って群れるのをやめたことで強くなった。権力犯罪とも闘うことができる強さを得た。#MeTooを支援してくれた味方と群れたままだったら、防犯カメラ映像を使うこともできなかった。伊藤詩織は味方を裏切ったからこそ「Black Box Diaries」を作ることができたのだ。

ところで、伊藤詩織の権力犯罪との闘いには重要な協力者がいた。その協力者も今回の上映問題では沈黙している。あまり触れる人がいないのだが、権力犯罪との闘いにおける唯一の協力者。週刊新潮である。

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