空から落ちてきた少女が俺に世界の敵と言った 第15話「世界の敵」
第15話
気が付くと。
そこは、
ルナが足を止めた場所だった。
忘れてはいけない気がすると言った場所。
夕暮れは消えている。
カイはそこに立っていた。
周囲の景色は曖昧だった。
人の声も街の光も遠い。
まるで世界そのものが薄い膜の向こう側へ移ったみたいだった。
胸元に小さな違和感が走る。
カイは無意識にペンダントを握った。
冷たい。
だが。
微かな振動だけは、確かに伝わっていた。
そしてその奥で、何か“思考のようなもの”がカイに呼びかけていた。
言葉ではない。
だが確かに意味だけが流れ込んでくる。
(――観測開始)
カイは違和感の正体に気づきかける。
このペンダントは、ただの鍵じゃない。
何かを呼び起こしている。
そんな感覚だけが頭を満たしていく。
その瞬間。
映像が流れ込む。
朝の食卓。
紗那の笑顔。
幼い少女の声。
そして。
「今日は早く帰ってくる?」
「当たり前だろ」
帰れなかった約束。
カイは目を閉じる。
約束をした。
その記憶だけが胸を締めつける。
その先だけが、
どうしても思い出せなかった。
ゆっくり息を吐く。
一つの考えが胸をよぎる。
「……俺は死んだのか」
それなら。
今ここにいる俺は何なんだ。
ルナは黙ったまま頷いた。
否定しない。
その沈黙が、何より苦しかった。
カイは空を見上げる。
夜空だった。
けれど。
その奥に、もう一つの空が重なって見えた。
ただ、それが何かは分からなかった。。
その瞬間。
ペンダントが微かに反応した。
景色が崩れる。
赤茶けた大地が広がる。
その先に。
巨大な透明ドーム群が浮かび上がる。
無数の灯り。
人々の暮らし。
人類が地球を離れ、築き上げたもう一つの世界――
そこは火星だった。
ルナもまた、
その景色を静かに見つめていた。
ルナが静かに言う。
「あなたは、ここを守ろうとした」
カイは黙って見つめる。
見慣れた街。
変わらない人々の暮らし。
自分が生きてきた世界。
それが、そこにはあった。
ルナは続けて言う。
「だから私は」
「あなたに世界の敵って言った」
胸の奥が揺れる。
ただ、この光景を見たあと、それが大事な何かだということだけは、確かに感じた。
それでも――なぜ自分が「世界の敵」と呼ばれるのかは、まだ分からなかった。
カイはルナを見る。
言葉が詰まる。
ルナは小さく笑った。
泣きそうな顔のまま。
「嫌だったから」
「だって私」
「お父さんの娘だから」
その瞬間。
世界の音が遠のいた。
娘。
今、確かにそう言った。
ルナは静かに頷く。
「未来の」
「お父さんの娘」
カイは言葉を失う。
知らないはずなのに。
だが。
胸の奥が痛いほど揺れる。
失っていた何かが。
少しずつ戻ってくる。
そして。
ようやく絞り出す。
「……お前が娘?」
ルナは笑う。
涙を浮かべながら。
「うん」
短い返事だった。
それだけなのに。
胸の奥が締め付けられる。
ルナは続ける。
「止めたかった」
「未来のお父さんを」
カイは黙って聞いている。
「でも」
「それだけじゃなかった」
「思い出してほしかった」
「お母さんが信じ続けていた」
「本当のお父さんを」
カイは顔を上げる。
ルナは涙を堪えながら笑う。
「だってお父さん」
「何も覚えてないんだもん」
その言葉に。
カイは何も返せない。
ルナがなぜ最後まで離れなかったのか。
なぜ思い出してほしかったのか。
ようやく分かった気がした。
だが――
自分自身のことは、
まだ分かっていなかった。
ペンダントが、今度は強く光る。
火星の空が揺れる。
景色の向こうへ、青い光が滲む。
地球だった。
二つの世界が重なって見える。
ルナは静かに言った。
「今度は」
「思い出して」
世界が静かに軋む。
そして。
本当に大切な記憶だけは、まだカイの手には届いていなかった。

