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“西”瀬戸内海を一周する⑥

□ 色々と興味深く、味のある城へ。


■ 絶品🤤関あじ関さば午前、いや御膳や😒

 時刻にして10時前。
 いよいよ大分市街地に向けて、アクセル全開にするところだが、その前に、腹が減ったな😒

 大分のグルメといえば、とり天。
 それもそうだが、折角ここまで来たんやから、“関さば”か“関あじ”を頂きたいものである。
 『二の丸館』を出発する前に、Googleマップでめぼしいお店を探す。

 日出からほど近いところに、いかにも目を惹く名前のお店を発見。
 『関あじ関さばの郷 佐賀関食堂』なる、いかにもワタクシ行堂の心をくすぐる店名が飛び込んできた(゚Д゚)
 アナタに決めたぁ ( ̄+ー ̄)フフフ☆︎

 開店は10時。
 その5分ほど前に到着したが、すでに行列ができている。
 「さすがゴールデンウィーク真っ只中😅」と言いたいところだが、昼飯時にはまだ全然早いので、思ったほどではない。
 店内は広く、座席も多いので、行列の最後にいたワタクシ行堂も開店と同時に席に着けた。
 『りゅうきゅう丼』にとり天定食、海鮮丼など、魅力的なメニューがいっぱいあって、迷いそうに・・・、ならない😒
 オレは、関さばと関あじを食べに来たんや😈

 おあつらえ向きに、ちょうど良いメニュー発見😎
 アナタに決めたぁ ( ̄+ー ̄)フフフ☆︎

関あじ関さば御膳

 関さばのお造りの、ネットリとした食感がクセになる🤤
 関あじのフライの、肉厚でサクサクした食感に、この1枚では足りないくらいです。

 あっという間に食べ尽くしたくなるのを堪えて、じっくりとその旨味を堪能。
 これでこそ、一晩中ろくに眠りにつかず、早朝からフル活動し続けてきた甲斐があったというものだ😎

■ やっぱり最高のドライブコース😎

 ここからは国道10号線をひたすら南+東進する。
 別府市内は片側三車線で、とにかくクルマが多い。
 海沿いには高級ホテル・旅館が並び、その間に『さんふらわあ』のターミナルなどもある。
 クルマの往来、賑やかさだけ見れば、別府が大分最大の都市と錯覚してしまいかねない😅

 別府市街地を抜けると、再び雄大な別府湾が左側に広がる。
 しばらくすると『うみたまご』こと、大分マリーンパレス水族館が左手に目に入る。

 でも、昼前にもなると駐車場は満車で、なおも入ろうとする車列で大渋滞。
 本当なら、立ち寄ってセイウチやトドなどを見てみたいものだが、今回の旅のテーマではないので、また近々訪れよう😄
 『うみたまご』前を通過すると、大分市街地はもうすぐ。

■ 思った以上に。

 大分県は、割に見どころのある、お城が多い県だ。
 有名どころだけでも、杵築城(通過のみ)・日出城(さっき訪問)そしてこれから訪れる府内城に臼杵うすき城、さらに佐伯さいき城(今回訪れず)など。

 そして、ただいま到着した府内城
 別名・大分城などとしても有名である。
 今では、『大分城址公園』として市民の憩いの空間となっている。

 石田三成の妹婿・福原長堯ながたかによって築城が始められるも、七将襲撃事件による三成失脚後に長堯自身も改易されてしまう。
 その後、竹中半兵衛の甥・竹中重利が豊後府内藩2万石の初代藩主として入封し、府内城を完成させる。

 先日訪れたばかりの高松城と同じく、大分川の河口という、海に大変近い場所に築かれた府内城。
 ただ、今となっては、その周囲を歩いてもその面影は全く感じられない。
 大分川に限らず、川は上流から下流にかけて、水だけでなく川砂も運んでくる。
 長期間にわたる土砂堆積と明治以降の市街地化によって、大分城は少しずつ河口そして海岸線から遠ざかっていった。

大手門
お城の櫓門で、切妻屋根なのは珍しい😐

 そして現役時代は、大手門を入った内側にさらに内々堀があった。
 だから、下の写真のように広々としていなかった😈
 明治以降になって、城内に大分県庁、戦後に入ると大分文化会館が建てられ、その過程で堀などが埋められ、今に見る、いわば殺風景な様子となった。

天守台から望む大分城内郭
お城の中にクルマを停められるのは、少しテンションが上がりますが😐
この駐車場の場所に、2013年まで大分文化会館が存在した。

 また、現役時代から残っているのは、人質櫓と宗門櫓のみ。
 大手門ほかの建物は、戦後になって外観復元されたもの。
 戦後に復元された建物は、大分空襲で喪われたものである。
 日本本土を焼き尽くしたB29などによって、数多の人命だけでなく、数百年来の建築物や文化財も永遠に喪われた。
 大分市も、その例外ではなかった。

戦後に再建された平櫓
“平”なのに、二階建て😅
今なら絶対、城マニアから批判殺到でしょうな😒

 城址公園の北東を囲む帯曲輪おびくるわは、遊歩道になっていて、散策するのが心地良い。
 日出城と違って石垣の高さは低いが、堀の幅はもっと広い。

東の丸の、復元された二階櫓と広々とした内堀
向こうに見えるのは、県庁舎新館。

 内堀の周囲をほぼ半周しかかったところで目に入る人質櫓。
 府内城で数少ない、往時の遺構である。

人質櫓とその案内
ものすごく小ぶりで、ギュッとした造りがカワイイ😎

 人質櫓の隣には、扇状の平面を持った扇櫓が建っていた。
 そんな風変わりな構造なのも、鬼門の方角に面していたから。
 そう、朝に訪れた日出城と同じ謂われである。

扇櫓の案内板
大分城址公園は、こうした案内板が充実していて、ありがたい😎

 もう少し歩くと、松栄神社にたどり着く。
 もともと、ここは北の丸だった。
 ここと西の丸をつないでいたのが、廊下橋。
 この橋を渡ると、スタート地点の駐車場に戻る。

廊下橋
1996年に木造復元されている。

 城内の縄張りが、往時から著しく変わっているため、今の姿から在りし日の雄姿を想像するのは難しい。
 時代の移り変わりによって、お城の持つ役割が変わっていくから、致し方ないところはあるけど、いささか寂しい気がする(。・ω・。)

廊下橋の足元に目をやると・・・。

 最後に天守台に上がってみた。
 わりと足元が不安定なので、お年寄りや子どもは要注意。

天守台

 日出城と同じく慶長七年(1602)に完成した、この天守閣。
 (寛保三年(1743)の大火で焼失)
 興味深いことがある。四層四階建ての構造だったということ。

慶長年間、この時期は全国あちこちで築城ラッシュだった。

この時代にタイムスリップして、あちこちを歩いてみたい😎

 “四”は“死”に通じるので、げんかつぎがちな大名・武将たちが天守閣で四層+四階にするというのは、たいへん珍しい。
 ワタクシが知る限り、この府内城と大洲城(愛媛県大洲市)だけである。
 なんでこんな構造にしたのか、竹中さんに聞いてみたいものである😐

大洲城(2019年に撮影)
天守は2004年に木造復元されたもの。
両脇をかためる櫓は往時のものがそのまま残っている。

 さて・・・、
 大分城址公園の将来的な整備構想が、策定されている。
 概要図を見ると、夢のようだ😎

出典・大分城址公園整備・活用基本計画

 現実問題として、莫大な費用がかかるのは避けられない。
 加えて、様々な有識者・団体が方々から雑多な意見が飛び出してくる。
 それをまとめていくだけでも、一大事業である。

 整備なった府内城を見てみたいが、ワタクシ行堂が生きている間に見られるだろうか・・・。

■ 現代建築の宝庫

 大分城を見て、そのまま次の目的地に向かっても良いのだが、まだ13時になっていない。
 もう一日の終わりに近い感覚やけど、昨晩からまともに眠らずに動き続けているから、時間の間隔が少しおかしくなっているみたいや😐

 まぁ、まだまだ動ける。
 ちょっとだけ、街を歩こう🚶
 府内城のすぐそばに、『アートプラザ』が建っている。
 元々は、建築家・磯崎新いそざきあらたによって手がけられた大分県立大分図書館だったのを改装したもの。

アートプラザ
外壁工事の最中。残念(。・ω・。) 年末まで続くそう。

 さき来た国道197号線を元に戻ると、2015年に開館した大分県立美術館が。アートプラザと違って、キラキラした印象。
 こちらは気鋭の建築家・坂茂ばんしげるによって手がけられた。

大分県立美術館
今回は中までは入らなかった。

 再び大分城址公園まで歩き出す。
 大分市は、良質な近現代建築が集まっている街。
 意外にも、大分市役所に目が奪われた。

大分市庁舎①
右手前は議会棟。
大分市庁舎②
府内城とも違和感ないようだけど、どこか欧州の古城の雰囲気も漂う。
大分市庁舎③
北欧の雰囲気も漂っていると、素人が勝手に言ってます😐

 大手門の正面には大分県庁舎(本館)が。
 1962年に完成したこの建物は、『DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築』に選定されている。

大分県庁本館
側壁はレリーフとなっている。

 いろいろ散策してきた事だし、そろそろ大分最後の目的地に向けて出発しよう。
 旅は、少しずつ終わりへと近づいている。

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