家族と共に生きたい、と思った夏の終わり
夏休み中のお盆前、夫が人生初めての海外出張に行き、2週間ほどいなかった。
お盆は姉家族たちとワイワイ過ごし、それが終わると、夏休みの予定もひと段落。
夫不在につき、自分の予定は何も入れてなかった。
子どものごはんやら送迎やらはあるけれど、
やっと本当の夏休みがやって来た。
久しぶりのたっぷりとした時間。
本を読んで、noteを書き、仕事の整理も少し。
漫画を大人借り、ドラマを追いかけて。
特に今回は漫画が面白くて、その世界にどっぷりハマってしまい、登場人物の人生に感情移入して、そのまま自分の人生のことまで考え始める。
そして、妙に感傷的になってしまった。
急に涼しさが感じられる夏の終わりがそれを助長した。
夏はわたしにとって1年の中で1番ワクワクする季節。
毎年、子どもたちと海に山に川に川に川…と
クタクタになるまでいっぱい遊ぶ。
今年はちょっと遊び足りない。
段々と、子どもたちみんなの時間が合わせられなくなっているし、
誘ってもノリが悪くなっている。
それもあって最近、「わたし家族との時間がすきなのかも」と実感することが増えた。
子育ては、長期間終わらないし、4人もいると、まだまだ長い行き先を思いうんざりすることも。
あれこれと悩みも尽きず、「もっと一人でいたい」と思う日も多い。
でも、
終わってほしいけど、終わってほしくもない…
何とも言いきれない複雑な気持ち…
子どもたちが大きくなって、家から1人ずついなくなっていく。
あと1年ほどで、これまで当たり前だった家族全員で暮らす時間は終わってしまいそうだ。
そんな日が近づいていることにすっかり気づいてしまった。
私はもしかしたら、「家族のために生きたい」というより、
「家族と共に生きたい」と思っているのかもしれない。
私は自分の人生も大切にして生きたいと思う。
今は仕事もしたいし、これから先も面白いことをしていたい。
だけど、人生の中心にあるのは、どうやら
「家族と一緒に生きている」ということなのだろう。
6月に仕事の関係で「小児逆境体験(ACE)」の講演会を聴き、わたしの心に何か腑に落ちるものがあった。
自分の中で「どこにでもある大したことない過去」としていた子ども時代の経験は、少数派のものであること。
あの頃の自分が背負うには、少し荷が重かったこと。
だけど、愛情を感じながら成長することができたことで、今の幸せがあること。
改めて自分の過去を振り返った時、そこで欠けていたもの、
それを今、取り戻そうとしていることを実感した。
私が7歳のときに父が病死し、その翌年、母が癌になった。
そして翌年くらいから、私は小児喘息がひどくなって、入退院を繰り返していた。
あの手この手で中2くらいにはほぼ治ったが、中3の時、2世帯同居していた祖父が自ら命を絶ち亡くなった。
その時々で、当時の自分には、人の死や病というものの本質が理解できなかった。
周りの反応と自分の感情が重ならない。
平然と、日常は進む。
それらを受け入れたわけでもなく、何となく分からないまま抱え続けていた、という方がしっくりくる。
母はそのずっと後にはなるが、今から10年ほど前に3度目の癌で亡くなった。
当時のわたしは、まさに3人の子育て真っ最中の頃だ。
わたしは30代で、祖父母を含む身近な血縁者をみんな亡くしてしまった。
幸い、仲の良い姉が2人いて、年に何度も会える距離に住んでいる。
母を亡くした時、もちろん悲しかったのだが、うまく悲しめない自分に驚きもした。
わぁ~んと泣くことができないまま、喪の作業はすべて終わってしまった。
時々ひとり静かに涙を流す。
これがわたしの悲しみ方のようだ。
わぁ~ん、え~んと涙をいっぱい流せたら楽なのに、と思う。
心の底の澱はなかなか消えない。
でも、母が亡くなった時、
「これで親の目を気にせず、子育てとこれからの自分の人生に集中できる」
とも思った。
思うように、生きたいように、好きに生きなさい、と言われているようだった。
時間はかかったが、悲しみは少しずつ癒えていき、日々は今の自分の家族のことで過ぎていく。
家族の死や病気と身近に生きてきたわたしは、いつか必ず訪れる「死」をなんとなく、常にほんのり感じながら生きている。
だからなのか、頑張りすぎてしまうことも多い。
あれもこれも、経験したい、良い自分でいたい、どんな風に生きれば自分は満足して、死ねるだろうか。
夫がいない夏休み。
予定を詰め過ぎず1人の時間ができたからこそ、色んなことを感じ考えた。
まぁ子育ては大変だし、毎日がバタバタ。
お金はかかるし、子どもたちは思うようには育たない。
自分のことを一番大切にしたいけれど、実際は後回しになることもやっぱり多い。
でもたぶん私は、家族と共に生きたい。
自分だけの家族を持つことができたから、
子ども時代に経験できなかった家族との時間を
今、夫と子どもたちと過ごしている。
家族全員で暮らす時間はあと少しだけれど、これからも家族の時間は続く。
この家から出て行ったり、帰ってきたり、家族が増えたりしながら、どんな未来があるのだろうと、考える。
母を亡くしてから生まれた末っ子が、来年小学生になる。
毎日わちゃわちゃと子どもたちにまみれて暮らしていた日々は終わり、
次のステージへ進みはじめたことを、実はしっかりと感じている。
そしてわたしは過去の自分に「大変だったね」と、
やっと心からのひと言をかけてあげられたのかもしれない。
その経験があってこそ、
今の幸せを噛みしめられるし、この家族を大切に育ててきたのだと思えた。
ある人から聞いた、
「ない」という状態が、一番「ある」ことを感じられるから、その人の人生のテーマに合わせて「ない」状態になるんだ、と。
それも今、そういうことか、と思えるのである。
