【小説】ホームズ #1
《プロローグ》
薄暗い部屋に、換気扇の音が響く。
椅子に座らされた男から少し離れたところに、いくつもカメラが設置されている。「広報担当」のワッペンをつけた大勢の警察官がカメラのうしろで息を潜め、やがて男が顔を上げたと同時に、画角の中に「探偵」がやってきた。
「みなさん、お揃いですか。」
いかにもな服装に身を包んだその探偵の前に、濃い顔の刑事たちが頭を下げる。
「ええ。フクシマ探偵、お待ちしておりました。この者が、被疑者となります。ただ、どうしてもこいつが被害者を殺したトリックが掴めずじまいでして…」
「なるほど。では、あとは私におまかせを。」
探偵の顔にカメラが寄る。
「被疑者はこれを使ったんですよ。」
いつの間にか、探偵の手にはボールペンが握られていた。
「ええー!?そんなもので!?」
刑事たちはありえないという顔をする。
「ボールペンの芯を使って殺害後、芯を戻した。」
おおお、と、歓声が上がる。
「なるほど!芯を戻せば凶器だとバレることはない!」
探偵はボールペンをカチカチとしてみせた。トリックが暴かれた瞬間であった。
「おい、どうなんだ。」
刑事に凄まれ、座らされていた男──被疑者は観念したように顔を上げた。「くっ..私がやりました…」
「なぜこんなことをした!」
「そ、それは…」
「それは私が説明しましょう。」
探偵は男の肩に手をやる。照明は暖色に変わり、カメラは探偵と男、二人を画角に収め始めた。
「この男は犬を飼っていました。だがある日、犬は殺されたんです。….隣人によって。」
男の顔が、苦悶にゆがむ。
「隣人は度々あなたとトラブルを起こしていた..今回はそれがエスカレートした上で起きた、悲しき復讐劇だったんです。」
カメラの後ろのスピーカーから、ワン、ワンと犬の鳴き声が流れ始める。
「…シロ!シロなのか…!?」
男は亡き犬を探すように頭を振りかぶる。だが残酷なことに、探偵はそのまま続けた。
「シロは死にました。そしてあなたは…隣人をボールペンで殺害した。」
探偵は嘆息し、そしてカメラを向いた。
「シロを思うあなたが、この事件の中では《クロ》なのがあまりにも悲しい。」
涙を誘う音楽が流れ始める。男はうなだれ、手錠を求めるように腕を差し出した。犬の鳴き声はもう、しなかった。
代わりに「はいカット!」という声がした。
◯
「探偵」がブランドとして確立したのはもう10年も前のことだ。
警察志願者が年々減少していく状況に対して、国は警察の仕事をアピールするために、「探偵」という役職を作った。
全国に30万人といる警察の中から、厳しい審査基準を満たした者が探偵となる。
探偵は、刑事の捜査が済んで、犯人逮捕となったらいよいよ仕事が始まる。被疑者を大衆の面前に晒し上げる。そして、探偵は被疑者の罪を暴いていく。シャーロック・ホームズのように、はたまた、金田一少年のように。事件で逮捕された者は「New司法取引」を行う。探偵劇への参加をすることで罪を軽くすることができるのだ。台本を作り、演技をして、探偵が事件を解決しているように見せかける。
その努力は制度施行から5年で実を結び、あらゆる媒体で放映される、まるで推理小説のクライマックスのような寸劇は、警察志願者数を5年連続で倍増させた。
今、探偵としてマスコットとなっているのは、福島という男だった。顔立ちがよく、素直で、扱いやすく、演技力がそこそこあった彼は、「厳しい審査基準」と銘打たれた審査を経て探偵となった。
彼はいまやアイドルを超える人気ぶりであり、シールやキーホルダーとして商品化され、警視庁のマスコットキャラクターは彼をデフォルメした「フクシマくん」へと変更された。
小学校では「探偵ごっこ」が流行り、子どもたちはその存在に熱狂した。多くの評論家やご意見番は、この一連の流れを稚拙で幼稚だと切り捨てた。子どもたちも、成長していくにつれて探偵が直々に捜査しているわけではないと気づき始める。
だが、それでよいのだった。サンタクロースの正体が親だと気づくように、年端もいかない子どもたちに探偵という「夢」を抱かせることが、何よりの目的だからである。
◯
福島武雄はアラームの音で飛び起きた。
窓からさす日差しが、彼の頭に遅刻の2文字を浮かばせる。手早く準備を済ませ、警視庁直轄の「探偵事務所」へと走る。
既に事務所内には、宇治川警視庁幹部とその側近が到着していた。ボサボサの髪のまま、彼は応接間の下座に座った。
嘆息した宇治川が背もたれにもたれかかると、側近が慌てて口を開いた。「君、理由を説明し給え。何時間待たせるんだ」
既に時刻は正午を迎えている。そもそもこの会議自体、早朝に組まれていたものだった。
「申し訳ありません、昨夜はスカイツリーの方でイベントがありまして..」「たるんでいるな。全く。」
武雄は謝りながらも内心不思議だった。宇治川は多忙であり、1日スケジュールはびっしりだ。なぜこんなに長くここで待っていたのだろうか?
「まあいい。それよりも福島くん。これは私直々の要請なんだが」
探偵ブランド全体を取り仕切る宇治川直々に?武雄は血の引いていた顔に熱が灯りだすのを感じた。
「はっ。ワタクシ福島、なんでもさせていただきます!」
「ああ。頼むよ。おい。」
促された側近は、顔写真を2枚置いた。一方は、5歳くらいの少年。もう一方は、どこかの制服をきた女の子だった。中学生くらいだろうか?
「…これは?」
「私の息子と娘だ。」
あっ子供…武雄は心のなかで反芻する。そして、寝ぼけた頭は急激に爆発した。
「子供ですって!?」
宇治川たちが帰ったあと、事務所長の岩村さんが声をかけてきた。
「僕は先に聞いていたんだけどねぇ。まあなんだ、どんまいって感じだねぇ」緊張感のない声が武雄を苛つかせる。宇治川警視庁幹部といえば、昔、若手の頃にとんでもない交際トラブルを起こしたことで有名だ。そのとき、彼は記者陣に
「二度と女性と関わりは持ちません!」
と宣言していたのである。隠し子の存在など、絶対にバレてはいけないはずだ。
「道理で、早朝からずっと居座ってたのか…」武雄はさっきの会話を思い出していた。
「私の子供を、しばらく子守してくれないか。九州のほうまでいってくれ。」「そんな、探偵業はどうなるんです。」
「撮り溜めた分がある。しばらくは休め。私の側近が付いて回るから、彼の指示に従うように。」
有無を言わさぬまま、宇治川は去っていった。早速来週から九州の、しかも宮崎まで行けという。事実上の左遷。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。思えば、増えてきた白髪、痛くなってきた腰、などなど、探偵をクビにされる理由はいくらでもある。
賞味期限切れか──。
にしてもなぜ、隠し子と抱合せなのだろうか?一瞬浮かんだそんな考えは、すぐたち消えた。久しぶりの休みだからだ。
武雄は事務所を後にし、早速《旅行》の準備を始めた。
◯
真島警視庁幹部はテレビで流れる映像をじっと見つめた。部下は恐怖でおののきながらただ沈黙を耐えていた。
「これ、元の事件はなんだ」
「はっ。隣人トラブルが殺人事件に発展したものです。」
「凶器はボールペンなのか。」
「いえ、まだ判別はできておりません。小型の鋭利なものだろうと。」
「犬の話は本当か。」
「いえ、加害者が犬を飼っていたという事実はありません。」
真島は深いため息をついた。
「どんどん杜撰になるな。」
真島にとって、この一連の流れは面白くもなんともなかった。警視庁幹部として長年警察志願者数増加を試みてきたものの、目立った成果は挙げられなかった。そこに幹部に昇進してきた宇治川が探偵ブランドで志願者数を伸ばし、真島の出世コースに暗雲が立ち込めたのである。だがそれも、今年で終わりだ。
歳を重ねた福島武雄はもうじき引退が勧告されるだろう。そうなれば次の探偵を決める必要がある。幹部からの推薦状がなければ、候補生は探偵の審査にも通してもらえない。今の警察組織において最も影響力のある探偵というブランドを、自分の支配下に置くこと、
すなわち宇治川一強の時代を終わらせ、自分がイニシアチブをとること。それこそが、かつて狂犬と恐れられた真島秀一が密かに計画を進める野望なのであった。
テレビには、武雄のキメ顔がでかでかと映し出されていた。
◯
羽田空港。帽子を被り、マスクを付け、サングラスを装着した武雄が空港内に滑り込んできた。当然の変装である。
「遅い。君、また遅刻じゃないか。」
宇治川の側近こと、石田は本当に嫌そうな顔をして言った。
「すみ、ません、電車が、その、遅延してまして…」
武雄は息を整えながら深々と謝罪する。石田と武雄は、搭乗ゲートへと走った。
「お子さんはまだ来てないんです?」
席に座るやいなや聞いた武雄に対して、石田は何も答えず、スマホを寄越した。アプリなどはいっていない、連絡用としてのみ使える特注品だ。
石田のアドレスは登録されているらしく、メッセージが表示されていた。
『今後子供の話を口に出すな』
『え?なぜですか』
『尾行されてる』
武雄は目を見張った。少し身を傾け、後方を振り返る。機内には大勢の客が座っている。
『子供はもう3週間前から宮崎にいる。とにかく今は、素知らぬ体で座っておけ。』
少しづつ状況が見えてきた。これは、粗探しだ。宇治川にとって、今後も発言力を維持するためには、次の探偵を宇治川の推薦で決める必要がある。そのとき、隠し子の存在がバレれば、宇治川は失脚する。
さらに、宇治川の息のかかった自分が、なんらかの不祥事を起こせば、同じようにゲームオーバーだ。
(そうか。これは…事が収まるまで身を隠せということか。)
『了解です石井さん。やります、やれます。』
『石田だ。』
◯
宮崎空港からバスで市内を突っ切り、レンタカーで郊外に到着した。廃倉庫の中を歩き続けていると、前方に2階建ての一軒家が見えてきた。周囲は工場や倉庫で囲まれ、外からはその存在を認識できない。家の屋根は他の工場と同じ材質であり、空撮してもバレなそうだった。
「ここでひとまず2週間、暮らしてくれ。」
石田に促され、武雄は家の中にはいる。どこにでもあるような家だった。玄関から最初のドアを開けると、リビングがある。その先にはキッチンが、キッチンの隣のドアを開けると洗面所と浴室が、洗面所の、キッチン側でないほうのドアをあけると、廊下があり、その廊下は途中で折れ曲がってリビングへと通じていた。廊下にはトイレのある小部屋と、2階への階段がある。
「いいとこですね。」
「子どもたちは2階にいる。まあなんだ。節操のないことはするなよ。」
「任せてくださいよ。」
「それから、宇治川さんとかには連絡するな。完全に遮断するんだ。いいな。仕事関係の電話が来たら適当に言い訳をしろ。」
石田は近くのビジネスホテルにいるという。定期的に物資を渡しに来るから、家から出るなとのことだった。出たとしても周囲は鉄の壁で、庭は荒れた土なので、特に面白くもなんともない。
武雄は早速、子どもたちと対面を果たすことにした。階段は途中で折り返し、1階の廊下部分は、やはり2階でも廊下だった。3つドアがあり、まずは右から攻めた。ノックしてみる。
「はい!」
元気そうな声だ。ドアが開くと、果たしてそこには写真にあった5歳位の少年がいた。どことなく宇治川に似ている。
「わあ、福島探偵だー!」
目を輝かせた彼は、健太と名乗った。
「健太くん。元気してるか?」
「うん!ここマジ楽しい!」
健太を連れて、次は2つ目の部屋である。ノックしても返事がない。健太が「ねえちゃーん?」と声をかけたがドアは開かない。仕方なくドアを開けてみると、ヘッドホンをつけたあの写真の女の子がいた。
「!」
鬼気迫る表情になった彼女はすぐさまヘッドホンを外し、こちらを睨みつけてきた。
「…だれ」
「あー、福島武雄っていいます。ほら、探偵の。」
「ああ。」
彼女は途端に小馬鹿にするような顔をした。
「あの子供だましの。」
はは、と苦笑交じりに返す。
「今日からいっしょに暮らすことになったから。名前教えてくれたりする?」
「舞。」
「舞か。いい名前だね。ごめんよ邪魔して。とりあえず、よろしく。」
踏み込む必要などない。仲良くなる必要もない。上司の子だし。武雄はドアをゆっくりと閉め、3つ目のドアを開けた。
「ここ、福島探偵の部屋だよ!」
さっきからずっと裾をつかんでついてくる健太が言った。
「おおありがとう。じゃあ、ちょっと休ませてもら…」
「ねえねえ!いつもなんであんなにトリックがわかるの!?」
ベッドに座った武雄に、質問が飛んできた。そこからは長かった。ダムが決壊したように、しばらく健太は解放してくれなかった。
◯
夜。舞はキッチンにいれてくれず、舞の料理が振る舞われた。ひとことも喋らない舞と、喋りまくる健太と食事をし、健太を寝かしつけた。探偵帽がほしいとせがったのでくれてやった。
「ふう…..」
とりあえず石田さんに報告しよう。そう思ってスマホを持った時、違和感に気づいた。
「これ、石田さんにもらったスマホじゃない…」
そういえば石田は、この家についてから一度荷物を置いていた。そのときスマホを取り違えたのだ。
明日も来ると言っていたし、まあいっか。そう思ってスマホをおいたそのとき、通知が来た。
『首尾はどうだ?こちらは..』
通知として表示された文章は先は読めなかったが、それよりも武雄が驚いたのはその相手だった。
真島秀一。
武雄の知る限りでは、真島秀一は宇治川に真っ向から対立している派閥のトップオブトップである。
なぜ真島と石田が連絡を──?
そして、疑念が浮かんだ。さらに、いいようもない不安が心を支配した。ここは安全なのか?もしかしてここは──監獄?
◯
次の日の朝、石田が訪ねてきた。
「君。スマホ取り違えてたろ」
リビングまであげて、武雄は石田のスマホを差し出した。
「そうなんですよ。はい、どうぞ。」
石田はスマホを受け取り、しばらく画面を眺めた後、顔を上げた。
「なんか見たか。」
「えっ!?いやなにも。外面を見て、あ、これ石田さんのだなって分かったんで。」
ならいい、と石田は立ち上がった。
「いいか、私以外の誰かが来ても絶対に家にいれるな。姿を見せるな。いいな?」
はいもちろんです、と武雄も立ち上がる。
石田を見送り、玄関のドアを閉める。その瞬間、舞が2階から降りてきた。
「ねえ。探偵さんはどっち側?」
一瞬面食らった。なにもかも意味不明だ。
「えっと…どういうことかな」
「今のひと、あのひとお父さんを裏切ってるよ。」
「…なんでそう思うんだい?」
「最初にここに連れてきたときからおかしかった。ずっと誰かと電話してたの。しかもその内容が、『いつでもいいですよ』とか、『もうあとはトドメをさすだけです』とか、すごい嫌な感じだった。」
舞の目は至って真剣だ。いつの間にか健太も舞の後ろに隠れている。
ふたりが石田のいる時は降りてこなかったのはそういうことか。
舞は続ける。
「探偵さんはどっち。お父さんの味方?」
武雄の中でなにかが蠢く。
「もちろんだよ。ふたりのお父さんに、僕は恩があるからね。」
今までの、首輪に繋がれるだけの人生が終わろうとしている予感、そして恐怖だ。
「じゃあ今すぐここ出ないとまずいよ。」
舞の言葉はいやによく響く。
「でも、確定ってわけじゃ…ここが安全だと思うんだけどな」
作り笑いをし、必死に演技で隠す。だめだ。知り過ぎちゃだめだ。右に習えで指示に従わないと。
「これ見て。」
舞が、石田の持ってきた物資をもちあげた。
「この食べ物、私と健太にアレルギー反応がでるものばっかだよ。」
「そ、そんな…」
「しかも探偵さんが寝てる3つ目の部屋には、隠しカメラと盗聴器があった。あと、キッチンと…トイレ。」
舞の顔をもういちどまじまじと見つめる。なんという観察力だろう。それと同時に、感心した。その知っていることをおくびにも出さずに今まで生活してきたのか。
まだ確定じゃない。だが、真島からのメール、アレルギーを引き起こす食品、ただ身を隠すだけなら必要ないはずの隠しカメラと盗聴器。様々な要素が、確定へともっていく。
もし、もし真島が宇治川の秘密の証拠を手にいれようとしたと同時に、宇治川の指示で子どもたちがここに来たとして、真島はそれを利用しようとしているのではないか?
ここに縛り付け、食べ物やその他の、まだ見つけていない手段で、いやこれから始まるのかもしれないが、とにかく子供を弱らせようとしているのではないか?
脱走を試みないようにするためだ。閉塞的な空間で完全に身も心も削りきったところで、
「私達をどうするつもりなのかな。」
舞はそこで初めて不安そうな顔を見せた。
最初から真島の目的が証拠を見つけることではなく、隠し子を人質に脅すつもりなら?
宇治川を失脚させれば容易い。だが、宇治川派閥の者は真島に従わないだろう。だから、宇治川を脅し、探偵ブランドを真島に譲らせるつもりなのではないか?
弱らせ、死に体の子供を見たら、宇治川はまちがいなく真島の傀儡になってしまうだろう。
なら、武雄はどうなるのか?
「ねえ探偵さん、探偵さんはもともとここに来る予定はなかったんだよ。でも健太が子守は福島探偵がいいってごねたから、探偵さんはここに来たの。」
それはつまり、武雄は完全なイレギュラーな存在ということになる。本来なら子供たちを弱らせるはずの家に、武雄がやってきた。
この子達を救えるのは、自分だけなのではないか─?
一瞬浮かんだ考えをすぐに消す。だめだ。まだなにも分かってないのに…
だが、それと同時に怒りが湧いてきた。出世のためとはいえ、まだ年端もいかぬ子供を脅しの道具に使おうとしている真島に対してだ。
「…わかった。ふたりとも、バレないように支度して」
「えっ」
「ここを出よう。」
ハリボテの探偵は、ついに決意を固めた。
◯
「真島さん、福島はどうしましょう。」
スマホを耳に押し当て、石田は相手の反応を探った。
『関係ないさ。そのままとどめておくんだ。いいか、絶対に外に出すなよ。誰であれ、来たるべき精算のとき、必ず役に立つ。』
「はい。おまかせを。」
石田の目が黒く光った。
ホームズ #1 fin.
#2に続く。
