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【書評】 『ヤルタからヒロシマへ』 : ベルリンの闇市、略奪の嵐、そしてヒロシマ….冷戦が産声を上げた瞬間の体温を求めて

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1945年のあの2月から8月までの6カ月間、世界がどうやって今の形になったのか、教科書で数行しか書かれていない出来事の裏側に、これほどまでに生々しい人間の体温と、凍りつくような冷徹さが同居していたなんて、この本を読むまで想像もしていませんでした。マイケル・ドブズの『ヤルタからヒロシマへ』は、関係者たちの証言がまるで寄木細工のように積み重ねられた、圧倒的な臨場感を持つ物語です。出口治明さんがHONZの書評で「神は細部に宿る」と書いていたけれど、読み進めるうちに、まさにその通りだと震えるような思いがしました。これまで点と点でしかなかったヤルタ会談、ポツダム宣言、そして原爆投下という歴史の断片が、この本を読み込むことで、血の通った「知的肉付け」をされていく感覚。それは、歴史の目撃者としてその場に立たされるような、贅沢で、少し恐ろしい体験でした。

物語の幕開けは、1945年2月、クリミア半島のヤルタです。死の影が忍び寄るルーズヴェルト大統領が、専用機「聖牛(セイクリッド・カウ)」でマルタ島から飛び立つシーンから始まります。迎え撃つのは、ソ連の独裁者スターリン。このヤルタでの3巨頭の出会いが、その後の世界の運命を決定づけることになりますが、その裏側で繰り広げられていたインテリジェンスの攻防には、言葉を失うしかありません。スターリンは、アメリカやイギリスの代表団が宿泊する部屋を徹底的に盗聴していました。ベリア率いる秘密警察が、オフィスや個室、さらには屋外の会話まで拾える指向性マイクを使って、彼らの本音をすべて握っていたのです。スターリンは、ルーズヴェルトが国務省の専門家の助言を無視していることまで知っていて、それをほくそ笑みながら見ていました。この情報の格差が、その後の交渉をどれほど歪めていったか、考えただけでも恐ろしくなります。

実際には、せいぜい5フィー卜7インチしかなく、小さな胴体にひょろっとした足が付いていて、左手は萎えていた。二重あごに注目が集まらないように、首を伸ばしたまま頭をぎこちなく回した。血色の悪い青白い顔と、くぎのようなオールバックの頭髪は、英国代表団の一人に「戸惑ったヤマアラシ」を思わせた。幼少期の天然痘感染の名残であり、タルク粉の塗り重ねでは部分的にしか隠せないあばた面に、西側の人びとは強い印象を受けた。セイウチを思わせる両端を切り落とした口髭が、黒ずんだ捻転歯を隠すのに役立っている。最も目立つ特徴は黄ばんだ目で、それは部屋中をせわしなく見まわしていた。目は彼の気分を推し測る最良の手掛かりになり、ある時はいたずらっぽく輝き、チャーチルが美辞麗句を並べ立てる間は天井を凝視。何かが彼の癇にさわると突然、細く狭くなった。

スターリンという男のこの描写を読んで、私は背筋が寒くなりました。彼は人間的な感情が欠落した、冷徹な政治的計算の塊のような存在です。娘のスヴェトラーナですら、父の中には人間的感情はなく、すべてが政治ゲームに取って代わられていたと語っています。彼にとって第二次世界大戦は、軍事的な衝突である以上に、どこまで行っても地政学的な「政治的闘争」だったのでしょう。だからこそ、彼は自国の兵士がどれほど死のうが、全く意に介しませんでした。赤軍はベルリン占領だけで7万8000人以上の死者を出しましたが、スターリンにとってそれは目標を達成するための不可避なコストに過ぎなかったのです。

一方で、アメリカやイギリスのリーダーたちは、自国の兵士の犠牲をいかに減らすかという問題に必死でした。ルーズヴェルトがスターリンに対して甘い譲歩を繰り返したのも、すべては日本との戦争にソ連を引っ張り込み、アメリカ兵の命を救うためでした。この「自国民の命を何よりも重んじる国」と「人的損失を歯牙にもかけない独裁国家」という、あまりにも対照的な価値観の激突が、この6カ月の悲劇を加速させていきます。ルーズヴェルトは、自分がスターリンを説得できるという楽観主義に陥っていましたが、それは大きな間違いでした。スターリンの背後に黒幕がいるのではないかとチャーチルたちが疑っていたというエピソードには、思わず失笑してしまいましたが、それほどまでに彼らはスターリンという男の正体を見誤っていたのです。

この本が描く赤軍の進撃の様子は、正視するのが辛いほど残酷です。ドイツ軍がアメリカやイギリスの軍には進んで投降するのに、ソ連軍に対しては死に物狂いで抵抗したという話は、単なる戦術の差ではなく、赤軍が通り道に残していった凄まじい略奪と強姦の嵐が原因でした。スターリンは、ドイツ兵が西側にばかり投降するのを見て、「西側とヒトラーが裏で取引しているのではないか」と本気で疑い、被害妄想を募らせていきます。皮肉なものです。自分たちの残虐さが生んだ結果を、同盟国の裏切りの証拠だと思い込むなんて。

「この寄生虫連中はなんと豊かな生活をしていることだろう!」と、ロシア軍大尉ポリス・イーテンベルグはドイツから妻宛てに書いている。「廃墟となった家屋、打ち捨てられた家具、きちんと植栽された舗道、誰も読んでいない新本を備えた図書館、そして信じがたいほど豊かな生活を示すそのほか多数のちょっとしたしるしを僕は見た。君がまだ無傷の家に入ったら、椅子や長椅子、洋服ダンスといった物を目にして驚くことだろう。彼らはそれほどいい生活をしていたんだ。なぜさらに多くを必要としたのか? 彼らは戦争を望んだ - そして、それを手にしたってわけだ」。ジューコフ麾下の将校ドミートリー・シチョゴレフも物事を同じように見ている。以前、ドイツの鉄道職員が住んでいたベルリン郊外のアパートに宿をあてがわれ、彼は4月28日の日記に書いた。食料貯蔵庫に十分蓄えられた「保存処理をほどこした肉、缶詰の果物、イチゴのジャム。ドイツの中に深く入れば入るほど、いたる所に発見する物の豊富さに、われわれはいっそうむかつく。……この瓶や缶の列にこぶしをぶち込んでやりたい気分だ」

ソ連兵たちのこの嫉妬と怒りの混ざり合った感情こそが、あの略奪の原動力だったという指摘は、非常に鋭いと感じました。貧しいソ連の農村からやってきた若者たちにとって、敗戦国であるはずのドイツの豊かな生活は、許しがたいものだったのです。彼らは復讐という名目で、時計や家具、そして女性たちの尊厳までも奪い去りました。この惨状を目の当たりにしながら、スターリンは「兵士の戦う意欲を維持するため」として、略奪を事実上容認していたのです。

やがて物語は、舞台を焼け野原となったドイツのポツダムへと移します。ルーズヴェルトは亡くなり、歴史の表舞台にトルーマンが登場しました。ポツダム会談の最中に核実験成功の報を受け取ったトルーマンは、それまでの下手に出るような態度を一変させ、強気な外交を展開し始めます。しかし、スターリンは既にスパイを通じてその事実を知っていたため、少しも動揺しませんでした。このあたりの、腹の探り合いの描写は、下手なスパイ映画よりもずっと緊張感があります。そして、チャーチルは会談の途中で選挙に敗れ、舞台を去ることになります。ロシア人たちは、勝利の英雄であるはずのチャーチルを国民が選挙で落とすという民主主義の仕組みが理解できず、本気で困惑したというエピソードには、両者の間の埋めがたい溝を感じずにはいられません。

冷戦の始まりはいつだったのか。その答えは、ベルリンの闇市にあったのかもしれません。アメリカの資本主義とソ連の指令経済が、ベルリンという一つの都市で不気味に混ざり合い、タバコが通貨代わりになるような異常な状況。西側がドイツの経済再建を急ごうとする一方で、ソ連は賠償としてあらゆる機械や設備を根こそぎ奪い去ろうとしました。このドイツの戦後処理をめぐる決定的な食い違いこそが、世界を二分する「鉄のカーテン」を生み出したのです。

「スターリンは2つの間違いを犯した。彼はヨーロッパにロシア人を、ロシア人にヨーロッパを見せてしまった」。ロシア人の残虐さについての話は、ポーランド人、ドイツ人、ハンガリー人の心に悪印象を与えた。少なくとも本国の状態と比較したときの、西側の繁栄の証拠を目にし、ロシア人は自国の政治体制に関する不都合な質問を発することになった。

このジョークが物語るように、スターリンの野望は、皮肉にも自分たちが「見てしまった」世界の豊かさによって、内側から綻び始めていたのかもしれません。しかし、その綻びを埋めるために、彼はさらに強固な独裁体制を敷き、東ヨーロッパを自らの支配下に閉じ込めようとしました。この6カ月間の激動の果てに、私たちは広島と長崎への原爆投下という、人類史上最も重い決断の瞬間に立ち会うことになります。トルーマンは、ソ連が対日参戦して日本での発言力を強める前に、戦争を終わらせようと焦っていました。ヒロシマとナガサキは、スターリンにアメリカの力を見せつけるための犠牲でもあったという側面は、日本人として重く受け止めなければならない事実です。

最後に、この本は私たち日本人に、北方領土問題という現在進行形の課題を突きつけてきます。日本のインテリジェンス能力の低さが、あの敗戦直前の土壇場でも露呈していたことに、私は暗澹たる気持ちになりました。ソ連に終戦の仲介を頼むという、あまりにも甘い幻想にすがっていた日本。一方でスターリンは、1904年の日露戦争の屈辱を晴らすために、着々と領土の奪還を狙っていました。歴史の正当性を主張する日本と、戦争の結果としての既成事実を突きつけるロシア。この「代数」と「算数」の噛み合わない議論は、まさに1945年のあの時、スターリンの領土観によって決定づけられたものだったのです。

マイケル・ドブズが描き出したこの6カ月間のドラマは、今の世界がなぜこうなっているのかを知るための、最も刺激的で、最も残酷な教科書です。私たちは、あの時、指導者たちが何を語り、何を見落としたのかを、いま一度学び直す必要があります。この圧倒的なボリュームの一冊を読み終えた時、あなたの目に見える世界地図は、きっと今とは違う色に塗り替えられているはずです。それほどまでに、この本が持つ真実の重みは、私たちの想像を遥かに超えているのですから。


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