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すべてを忘れ、走り去った....イヌイットの散文詩から

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カール・セーガンの『科学と悪霊を語る』を読んていると、こんな詩を見つけた。

二人の男が歩いていると、空に穴があいていた
担ぎあげてくれと、一人がもう一人に言った
穴のふちから外を見ると
天はあまりに美しく
男はすべてを忘れてしまった
引っぱりあげてやると約束した相棒のことも
そして一人走り去った
輝きわたる天のなかへ

 ― イグルーリック・イヌイットの散文詩より

たった数行なのに、読んだあとも何日も頭から離れなかった。何がそんなに引っかかったのか、自分でもうまく言葉にできないまま、何度も読み返してしまう。そういう詩がある。

最初はきっと誰でも、約束を破って走り去った男の薄情さに目がいくと思う。担ぎあげてもらっておいて、相棒を置き去りにするなんて、と。でも読み返すたびに、私はだんだんそこが本題じゃない気がしてきた。この詩が描きたかったのは、たぶん裏切りでも心変わりでもない。

"男はすべてを忘れてしまった"…..ここに尽きる気がする。

すべてを忘れるというのは、なかなか起きないことだ。日常のなかで、私たちは大抵何かを覚えたまま生きている。約束も、義理も、体裁も、後先も。頭のどこかにちゃんと居座っていて、それを踏まえたうえで次の行動を選ぶ。でもこの男は、穴の縁からちらっと空の向こうを覗いただけで、その全部がふっと消えてしまった。相棒への義理も、自分がどこに立っているかも、その先どうなるかも。

これは薄情というより、もっと圧倒的な何かに出会ってしまった、ということなんだと思う。美しさに殴られる、というと物騒だけど、感覚としてはそれに近い。見とれる、というレベルじゃない。立ち止まって鑑賞する余裕すらなく、気づいたら体が動いていた。走り出していた。だから彼は、天をぼんやり眺めていたわけじゃなくて、たぶん顔をくしゃっとほころばせて、目をらんらんと輝かせながら、我を忘れて駆け出したんじゃないかと思う。子どもが何かに夢中になって、呼ばれても振り返らずに駆けていくときの、あの感じ。

私たちの日常にも、ごくたまに、そういう瞬間が紛れ込む。旅先で偶然見上げた空、誰も言葉にできないまま立ち尽くした景色、理由もなく涙が出た瞬間。そのときだけ、スケジュールも、体面も、さっきまで気にしていた小さな悩みも、噓みたいにどうでもよくなる。あとから振り返って「あのときの自分、何かに取り憑かれてたな」と苦笑いするような瞬間。この詩は、そういう記憶の断片をぎゅっと凝縮して見せてくれる気がする。

穴のあいた空、というイメージも好きだ。日常の空にぽっかり穴があいていて、その向こうに、いつもとは違う天がある。私たちの生活にも、ふとした瞬間にそういう穴が開くことがある。そこから何が見えるかは、たぶん人それぞれなんだと思う。

短い詩なのに、何百年も口伝えで残ってきただけの重みがある。読むたびに、自分がこれまで何かに、すべてを忘れるほど心を奪われたことがあっただろうか、と考えてしまう。もしまだなら、その瞬間はきっとこれからやってくる。そのときは、相棒のことなんか気にせず、思いきり走り去ってしまってもいいのかもしれない。


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