矛盾は最大のエネルギー
キリスト教の世界も、なかなかオモロいなあ。
組織や個人のありようを、そのまま表現しているようにも思えてきた。
キリスト教の一派に「ユニテリアン」というのがあって、三位一体や世界の終末、終末時の復活、イエスが神であることなどを否定するか、あるいは懐疑的な態度を示す派閥らしい。
また仏教その他異教に対しても寛容で、相互に認め合う姿勢なのだそうだ。
じつは明治時代に日本にも入ってきており、かの福沢諭吉も好意的に接していて、日本の近代化にかなり影響を及ぼしたらしい。
ユニテリアンは一般のキリスト教からは異端視されることも多く、もはやキリスト教ではないとする人も多いそうだ。
イエスを神ではないとしてしまったら、それはもうキリスト教ではない、というわけである。
ユニテリアンの本で「クリスチャンの友へ ユニテリアンからの38信」を読んでみた。

そしたら、けっこう面白かったのである。
とても納得した。
クリスチャンではないボクがキリスト教について感じる矛盾がほぼ網羅されていて、その矛盾について、いちいち解説してくれる。
その帰結が、結局は三位一体の否定だとか、イエスを人間として扱うことにつながるわけで、とても論理的で無矛盾な体系になっていると感じた。
つまりとても「筋が通っている」わけで、他宗や科学への寛容性も高く、現実的で道義的な側面も強く、かなり高度な思想体系だと思った。
が、とてもフシギなのである。
現在では、日本ではもはやユニテリアン系の教会はほぼ存在しない。1980年ごろにはほぼ終焉を迎えたとされている。
世界的にもかなり数が少なくなってきていて停滞~縮小傾向にあるらしい。
ユニテリアンのような合理的な思想こそが、むしろ現代の合理的傾向に合致しそうなものなのに、なぜか組織としてはどんどん減っていってしまっているのである。
そこでヘーゲルの「弁証法」を思い出したのである。
運動は存在する矛盾そのものである
これを拡大解釈すると「矛盾こそが存在の原因」もっと言えば、矛盾は生命そのものとさえ言えるのかもしれない。
つまり、矛盾がないと「止まる」「壊れる」「死ぬ」。
そういえば、健康でおおらかな人ほど、心の中に相反する指向性を持っているそうだ。自分の中で「反証」を繰り返しているのである。
何かを考えたとき、それを肯定するばかりでなく、自分で否定する。心の中で肯定と否定を繰り返しながら、双方の存在価値を認めていく作業をやっているそうだ。
だから他の人の指向性についても同様の作業が行えるわけで、反論も一概に否定しない、まず聞いてみる、歩み寄ってみるという「おおらかな」心になるそうである。
その結果、極端に走ることもなく、協調性もあって、敵が少なく、ストレスも少なく、心身ともにすこやかになりやすいそうだ。
一般に「矛盾は良くないこと」とされているが、そのじつ矛盾こそが、この世で一番大事なことの一つなのかもしれない。
日本基督教団というキリスト教宗団では、かつてエゲつない抗争があったらしい。怒号と暴力さえ伴う右派と左派の猛烈な争いだったそうだ。
しかし皮肉なもので、日本では現在、日本基督教団こそが最も繁栄していて、教会数や信者数も他の教派に比べて群を抜いている。
またカトリックも歴史的に内部抗争がずっと続いていて、組織の問題が非常に多く、教義的にも決して一枚岩ではなく、矛盾だらけでごった煮のような様相を呈しているそうだ。
しかしカトリックは世界で12億という、世界最大の信者数を誇っている。
どうも矛盾が多いほうが「頭一つ抜けて」繁栄しているようだ。
もともと数が多いから矛盾が多いんだ、ということも言えるが、逆に矛盾を抱えていたからこそ成長した、とも考えられるのかもしれない。
ヘーゲルいわく「運動は存在する矛盾そのものである」だからね。
内部抗争を続けながら、どんどん活動エネルギーを増幅させていったとも考えられるのかもしれない。
矛盾の多い組織こそ「活きている」。
敵対は「生」で、統一と統合は「死」を意味するのかもしれない。
ややこしい国でこそ人口は増えていて、平和な国では人口が減っていく。
ケンカの多い組織は元気だし、ケンカが多い国も元気。
クリエイターは現実と妄想が心の中で日夜ケンカしていて、基本的にあたまがおかしい。
合理的で矛盾のない人の話は、つまらん。
悩む力が強い人ほど、話がオモロい。
プログラムの仕事をしているとどうしても「デバッグ」のクセがついて、矛盾を無くしていくことが大事なような気がしてくる。
でもそれは指向性として「停滞と停止」を意味しているのかもしれない。
だからボクも、人生に「矛盾」をいっぱい抱えていこうと思ったよ。
矛盾を減らしていくのではなく、むしろ矛盾をどんどん追加していこう。
相反する意見をいっぱい聞いて、自己矛盾を大事に育てていこう。
合理的で論理的な思考をするいっぽうで、理不尽で妄想だらけのことをいっぱい考えよう。
利他の精神で慈愛に満ちた行為をしながら、くっそゲスいことをしよう。
聖性に溢れた高尚なことを考えながら、どエロいことを考えよう。
愛に生き、困った人に手を差し伸べながら、いっぱい陰口を叩こう。
いいなあ! すばらしい人生だ。
そして最終的には、
「笑いながら怒る人」
になれば、一種の自己完成といえるのかもしれない。
すこやかな人生は、矛盾だらけの人生だ。
矛盾を「わるいこと」にしてしまったら、ストレスで壊れてしまうよ。
