見出し画像

「「時代のプリズム」展行ってきました!!これを見れば日本の現代アートがわかる?!!

こんにちは。
今回は久しぶりに美術展レポートです。

先日、国立新美術館で開催されていた以下の現代アートの美術展に行ってきました。
「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現1989-2010」


1. 展覧会概要

まずは展覧会概要です。国立新美術館の逢坂館長は以下のように述べられています。

日本の現代美術史を多角的視点で再考、再検証するグループ展を、海外のキュレーターとともに構築する(本展の方向性)

日本のアーティストたちはどのようなオリジナリティを模索して多様な表現を発信し、国際的な認知を獲得したのか。また海外から来日したアーティストたちはどのように日本から刺激を受け咀嚼し、作品に反映したのか。
本展では年代順に追うという概観的な方法論ではなく、この時代の特徴的なテーマをあえて絞り、国内外の約50人のアーティストによる作品と、当館が所有するANZAIフォトアーカイブの写真で構成することを試みた。

そして当美術展を開催するにあたっては国立新美術館だけでなく、国外の視点も組み込むことを主眼として、パートナー美術館、香港のM+との協働キュレーションとなったようです。

次に、実際に見た順番で、どんな現代アーティストとその作品があったのかを書いていきましょう。
また、ガイドブックから、展示されていた代表的な作家の略歴も併せて載せておきましたので、その作家に興味がある方は参考にしてください。

2. プロローグ

美術展に入ると、最初のコーナーがこの「プロローグ」となります。ここでは本展の序章として、1980年以降から来日した国際的アーティストと国際展に参加する日本人アーティストの動きとして、アーティストたちの往来や、それを従えたスペース、展覧会に焦点を当てたANZAIフォトアーカイブを中心に振り返ります。

トーマス・シュトゥルート(プロローグ 0-1)
『嶋田家、山口1986年』(1986年)

クリスト(プロローグ 0-2-2)
『アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト』(1987年)
『アンブレラ、日本とアメリカ合衆国のためのジョイント・プロジェクト』(1988年)

3. イントロダクション:新たな批評性

続いてのコーナーである「イントロダクション」では、いよいよ代表的な日本アーティストの作品を見ることができます。そして本展では1989年から2010年という年代に焦点を絞っていますが、その時代には、このような出来事がありました。

1989年11月 ベルリンの壁崩壊
1989年1月 天皇が崩御して昭和が終わり平成となる
1992年 長期にわたる経済的衰退の時代が始まる
2010年 世界第2位の経済大国の座を中国に奪われる

こうした時代を感じて作品を生み出した代表的な日本人アーティストの紹介と作品を展示しています。

森村泰昌(イントロダクション 1-1)
1951年大阪府生まれ。京都市立美術大学美術学部卒業。1980年代末、ピカン、マネ、レンブラントといった画家たちによる美術史上の有名作品中の人物に扮する写真セルフポートレイトの連作で国際アート界に鮮烈なデビューを飾った。
『肖像(双子)』(1989年)
『ボデゴン・壺』(1992年)
『ボデゴン・鳥』(1992年)

椿昇(イントロダクション 1-2)
1953年京都府生まれ、兵庫県在住。京都市立芸術大学美術専攻科西洋画科修了。
1980年代後半から色鮮やかなFRPによる有機的形状の巨大な彫刻を発表する。1980年代の関西ニューウェーブを代表するアーティストの一人。
『エステティック・ポリューション』(1990年)

村上隆(イントロダクション 1-4)
1962年東京都生まれ。1993年東京藝術大学大学院博士課程修了。
日本画科に在籍するも1990年頃から現代美術の制作を始め、プラモデルを用いた〈TAMIYA〉シリーズでデビュー。日本の大衆文化、戦後史、現代社会に潜む様々な矛盾を突いた作品を制作する。
1992年レントゲン藝術研究所での「アノーマリー」展で、大がかりな機構の無意味さを突き詰めた立体作品《シーブリーズ》を発表。
以降、集団での絵画制作を活動の根幹に据えるとともに、アートワールドでの評価そのものをパロディ化するような活動を展開する。
『ランドセルプロジェクト』(1991年)
『ポリリズム』(1991年)

柳幸典(イントロダクション 1-5)
1959年福岡県生まれ。1985年武蔵野美術大学大学院造形研究科修了。
インスタレーションやパフォーマンスなど当時の一般的な美術館の制度に収まらない作品に関心を持ち、1987年には栃木県立美術館「アートドキュメント’87」で優秀賞。
1993年、第45回ヴェネチア・ビエンナーレのアペルト部門で《ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム》を展示(スウォッチ賞)。
2000年には蔡國強とともにアメリカ人以外で初めてホイットニー・ビエンナーレに出品する。
『ザ ワールド フラッグ アント ファーム 1991-アジア』(1991年)

大竹伸朗(イントロダクション 1-6)
1955年東京都生まれ。
『網膜(ワイヤー・ホライズン、タンジェ)』1990-93年

中原浩大(イントロダクション 1-7)
1961年岡山県生まれ。1986年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1980年代から彫刻と絵画を発表し、「関西ニューウェイブ」の一端を担う。
『レゴ』(1990-91年)

4. 過去という亡霊

次のコーナーでは、戦後生まれのアーティストたちが過去の戦争や核のトラウマ、さらには植民地支配の記憶といった課題に取り組み、歴史の読み直しを行った作品が展示されていました。こうした日本の戦後史と向き合う彼らの表現は終戦から80年を経た現在もなお続く社会、文化、人々への影響を示唆しているとのことです。それでは展示アーティストと作品を見ていきましょう。

宮島達男(過去という亡霊 2-1)
1957年東京都生まれ。
『Slash』(1990年)

照屋勇賢(過去という亡霊 2-2)
1973年沖縄県生まれ。1996年多摩美術大学美術学部卒業、2001年ニューヨーク・スクール・オブ・ビジュアル・アーツ修士課程修了。以降、ニューヨーク、ベルリン、沖縄を拠点に活動。自身のルーツである沖縄の文化や歴史を背景に、日常的な事物をポップに用いながら植民地主義、消費社会や環境問題など現代社会が直面する問題を考察する作品を発表している。
『結い、You-I』(2002年)

奈良美智(過去という亡霊 2-3~5)
1959年青森県生まれ。1987年愛知県立芸術大学大学院修士課程修了。
1988年ドイツに留学、10年余りを過ごして2000年に帰国。1990年代後半から国際的に作品を発表。大きな頭と瞳で、キュートではあるがどこか不安を掻き立てる眼差しで鑑賞者を見つめ返す子どもたちを描いたアイコニックなポートレイトで知られる。
『Agent Orange』(2006年)
『Agent Orange in Disguise』(2006年)
『Dead Flower』(1994年)

風間サチコ(過去という亡霊 2-6,7)
1972年東京都生まれ。
『危うし60階(奇襲するプリズン・ス・ガモー)』(2007年)
『汽笛一声(満鉄人現る)』(2007年)

山城知佳子(過去という亡霊 2-8-1~3)
1976年沖細県生まれ。1999年まで沖縄県立芸術大学美術工芸学部で油画を学ぶ。
UCA芸術大学(イギリス)を経て、2002年沖縄県立芸術大学大学院造形芸術学科修了。
生まれ育った沖縄の歴史、社会、文化をコンテクストに多彩な身体表現やフイクションを用いて抑圧されてきた存在の声を伝える映像作品やパフォーマンスを制作している。
『〈オキナワTOURIST〉より《日本への旅》』(2004年)
『〈オキナワTOURIST〉より《I Like Okinawa Sweet》』(2004年)
『〈オキナワTOURIST〉より《墓庭エイサー》』(2004年)

ヤノベケンジ(過去という亡霊 2-9-1~3)
1965年大阪府生まれ。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(イギリス)への交換学を経て、1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。在学中より「現代社会におけるサバイバル」をテーマに、サブカルチャー的想像力を現実化させた機械彫刻を制作。ベルリン滞在中の1997年には、自作の放射線感知服を着用しチョルノービリ(チェルノブイリ)の放射線汚染地域を訪れる「アトムスーツ・プロジェクト」に着手する。ポップな黄色の防護服を自ら着込み現実の廃墟に乗り込むという批評的手法は、作家の原風景である大阪万博跡地へと場所を移し、2003年の《太陽の塔 乗っ取り計画》へと結実する。
『アトムスーツ・プロジェクト:タンク・チェルノブイリ』(1997年)
『アトムスーツ・プロジェクト:保育園1・チェルノブイリ』(1997年)
『コンタミネイティッド・アトムスーツ』(1997年)

サイモン・スターリング(過去という亡霊 2-10-1,2)
1967年イギリス・エプソム生まれ、デンマーク・コペンハーゲン在住。
1990年までノッティンガム・トレント大学で写真を学び、1992年にグラスゴー美術学校で修士号を取得。コンセプチュアルなプロジェクトを世界各地で実施し、映像、写真、膨刻を制作している。
『仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)』(2010年)
『仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ):牛若の面(アトム・ピース/ニュークリア・エナジー』(2012年)

米田知子(過去という亡霊 2-11-1~7)
1965年兵庫県明石市生まれ。1989年イリノイ大学シカゴ校芸術学部写真学科卒業。
1991年ロンドン・ロイヤル・カレッジ・オブ・アート芸術修士課程修了。
フォトジャーナリストや考古学を踏まえ主観性を最小限に抑えることで可能な限りリアルであろうとし、鑑賞者自身の解釈の余地を可能な限り残そうとする点が特徴。
『〈Japanese House〉より《ポツダム宣言受諾時の首相、鈴木貫太郎の娘の家(青田・台北》Ⅱ』(2010年)
『〈Japanese House〉より《日本統治時代に設立された台湾銀行の寮、後の中華銀行職員の家(齊東街・台北》』(2010年)
『〈Japanese House〉より《蒋介石政権時代の参謀総長であった王叔銘将軍の家(齊東街・台北》Ⅰ』(2010年)
『〈Japanese House〉より《ポツダム宣言受諾時の首相、鈴木貫太郎の娘の家(青田・台北》Ⅰ』(2010年)
『〈Japanese House〉より《蒋介石政権時代の参謀総長であった王叔銘将軍の家(齊東街・台北》Ⅴ』(2010年)
『〈Japanese House〉より《蒋介石政権時代の参謀総長であった王叔銘将軍の家(齊東街・台北》Ⅱ』(2010年)
『〈Japanese House〉より《蒋介石政権時代の参謀総長であった王叔銘将軍の家(齊東街・台北》Ⅲ』(2010年)

下道基行(過去という亡霊 2-12-1~5)
1978年岡山県生まれ、香川県在住。武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業。
生活のなかに埋没して忘却された物語や、些細で明確に意識されない日常的な物事を、写真やイベント、インタビューなどの手法によって表現する。2001年から05年にかけて日本各地に残る軍事施設跡を調査・撮影した写真のシリーズは、書籍『戦争のかたち』(リトルモア、2005)としても刊行されている。
『〈torii〉より《サイパン、アメリカ》』(2006-12年)
『〈torii〉より《サイパン、アメリカ》』(2006-12年)
『〈torii〉より《台中、台湾》』(2006-12年)
『〈torii〉より《巨文島、韓国》』(2006-12年)
『〈torii〉より《サハリン、ロシア》』(2006-12年)

高嶺格(過去という亡霊 2-13)
1968年鹿児島県生まれ。1991年京都市立芸術大学工芸料業、1999年情報科学芸術大学院大学卒業。
京都芸大在学中よりダムタイプのプロジェクトに関わり、1993年から《S/N》、《pH》、《OR》に出演。自作では自らの身体を用いて政治的な抑圧を浮かび上がらせる映像作品を制作し、身体障がい者の性を主題にした《木村さん》(1998)やアメリカの帝国主義をアイロニカルに批判する《God Bless America》(2002)を制作。
『God Bless America』(2002年)

会田誠(過去という亡霊 2-14-1,2)
1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。
絵画、立体、映像、パフォーマンス、小説など活動領域は多岐にわたり、戦争やエログロといった主題でしばしば強い反響を呼ぶ。
『美しい旗(戦争画RETURNS)』(1995年)
『題知らず(戦争画RETURNS)』(1996年)

小泉明郎(過去という亡霊 2-15)
1976年群馬県生まれ。 『若き侍の肖像』(2009年)

5. 自己と他者と

次に進むと「自己と他者と」というコーナーに出ます。ここでは当時国内および海外で活動する国内外のアーティストたちに「新旧の要素の融合」というテーマを題材としたことを取り上げます。特にジェンダーやナショナリティといった慣習や規範に挑戦するテーマを持つ作品から再解釈された日本文化を映し出す作品まで「自己と他者と」の眼差しの交換の中で様々な角度からアイデンティを問う試みが生まれました。
それでは展示アーティストと作品を見ていきます。

森万里子(自己と他者と 3-1)
1967年東京都生まれ。『巫女の祈り』(1996年)

長島有里枝(自己と他者と 3-2-1~14)
1973年東京都生まれ。2015年武蔵大学大学院人文科学研究科博士前期課程修了。
1995年から99年にかけてアメリカに住み、カリフォルニア芸術大学芸術修士課程修了。
1993年、本人や家族のヌード写真でパルコが主催する「アーバナート#2」を受賞し注目を集める。長島の写真は1990年代のユースカルチャーのイメージを発するものであり、日本社会の現状を反映した連作〈empty white room〉が好例である。
『〈empty white room〉より』(1994年)
『〈empty white room〉より《Self-portrait with colleagues(at McDonald’s on Center street,Shibuya)》』(1994年)
『〈empty white room〉より《Ako in white dress with fireworks》』(1994年)
『〈empty white room〉より《Tokiko sitting at a coffee shop in Shibuya》』(1994年)
『〈empty white room〉より』(1994年)
『〈empty white room〉より《Kumiko fixing her lip colour》』(1994年)
『〈empty white room〉より《Junko with a flight cap》』(1993年)
『〈empty white room〉より』(1993年)

石内都(自己と他者と 3-3-1,6)
1947年群馬県生まれ。
『mother’s #29』(2002年)
『mother’s 25 Mar,1916 #31』(2000年)
『mother’s #35』(2001年)
『mother’s #37』(2002年)
『mother’s #39』(2002年)
『mother’s #49』(2002年)

西山美なコ(自己と他者と 3-4)
1965年兵庫県生まれ。 『ザ・ピんくはうす』(1991/2006年)

シャロン・ロックハート(自己と他者と 3-5)
1964年アメリカ・マサチューセッツ州生まれ。 『Goshogaoka』(1997年)

イ・ブル(自己と他者と 3-6-1,2)
1964年韓国生まれ。
『無題(渇望 赤)』(1988/2011年)
『受難への遺憾-私はピクニックをしている子犬だと思う?』(1990年)

笠原恵実子(自己と他者と 3-7-3~7)
1963年東京都生まれ。
『Pink #1(EK-Oct,1995)』(1996年)
『Pink #2(SK-Jan,1996)』(1996年)
『Pink #3(YK-Feb,1996)』(1996年)
『Pink #5(SK-Feb,1996)』(1996年)
『Pink #6(MS-Feb,1996)』(1996年)
『Pink #8(KO-Feb,1996)』(1996年)
『Pink #9(KH-Feb,1996)』(1996年)

ダムタイプ(自己と他者と 3-8,9,10)
1984年に京都市立芸術大学の学生を中心に結成されたアーティスト・コレクティヴ。美術、デザイン、音楽、ダンス、建築など異なる表現手段を持つメンバーが参加した。作品ごとに参加メンバーと彼/彼女らの役割も変動する。
パフォーマンス、ダンス、ヴィデオ・アートなどを融合して成立する、当時の最先端のテクノロジーを駆使した先鋭的なスタイルのタイム・ベースド・メディアの作品を制作した。
『pH』(1992年)
『S/N』(1995/2005年)
『《OR》ダイジェスト記録映像』(1998年)

ヒト・シュタイエル(自己と他者と 3-11)
1966年ドイツ・ミュンヘン生まれ。日本映画大学とミュンヘンテレビ映画大学でドキュメンタリー映画を学び、2003年にウィーン美術アカデミーで哲学の博士号を取得した。ベルリンを拠点に、映像やインスタレーションを制作、執筆活動を行っている。
『ラブリー・アンドレア』(2007年)

ドミニク・ゴンザレス=フォルステル(自己と他者と 3-12-1)
1965年フランス・ストラスブール生まれ。1987年にグルノーブル国立現代美術センターマガザン校、1989年にパリ造形高等研究院を卒業。インスタレーション、ヴィデオ、写真を用いた作品を手がける。その多くが協働に基づいていることで知られ、文学、映画、建築など複数の領域を参照しながら身体と空間、リアルとフィクションの力関係を探究。初期の実践では自身の旅行に基づき、現代の都市生活の断片を捉えた短編映画を主に制作。
『安全地帯のアンリー』(2000年)

ピエール・ユイグ(自己と他者と 3-12-2)
1962年パリ生まれ。1985年パリ国立高等装飾美術学校卒業。
1990年代以降、展覧会を遊び心に満ちた実験の場と捉え、生物や非生物、現実そして象徴の主体たちが進化し、新たな可能性を生成する複雑なシステムである多孔質で偶然に満ちた状況を創造。
『100万の王国』(2001年)

フランソワ・キュルレ(自己と他者と 3-12-3)
1967年フランス・パリ生まれ。1989年にベルギーのブリュッセルに移住し、ラ・カンブル国立高等美術学校に通う。立体や映像を制作。
コンセプチュアルな探求とユーモラスな表現を両立させる手法が特徴として知られる。
2013年にパレ・ド・トーキョー(フランス、パリ)で個展開催。
2018-19年にグラン・オルニュ現代美術館(ベルギー)で個展開催。
代表作:《ジュラバ Nike、Fila、Adidas》(1998)、《証人 スクリーン》(2002)、『証人 スクリーン』(2002年)

リクリット・ティラヴァニャ(自己と他者と 3-12-4)
1961年アルゼンチン・ブエノスアイレスにタイの外交官の息子として生まれる。
タイ、エチオピア、カナダで育ち、現在はニューヨーク、ベルリン、チェンマイを行き来している。シカゴ美術館附属美術大学で学び、ホイットニー美術館インディペンデント・スタディ・プログラムに参加。異種混交的な文化経験に浸ったことを下敷きに、「関係性の美学」(人と人の相互作用を重視し、アーティストに人的交流を触発する役目を割り振る1990年代の運動)を牽引する存在となる。
『(ゴースト・リーダーC.H.)』(2002年)

フィリップ・パレーノ(自己と他者と 3-12-5)
1964年アルジェリア・オラン生まれ。パリを生活と仕事の拠点とするアーティスト・映画作家。1988年にグルノーブル美術学校、1989年にパリ、パレ・ド・トーキョー造形美術高等研究院を修了。
1990年代、関係性の美学の旗手の一人として頭角を現し、展覧会をひとつの媒体として捉えた没入型展覧会で知られ、アートや時間、空間との関わり方の境界を押し広げる。
『どこかで』(2017年)

福田美蘭(自己と他者と 3-13,14)
1963年東京都生まれ、東京都在住。東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
大衆に流通しているキャラクターや古典的名画など、異質なイメージ群をカンヴァス上で等価なものとして組み合わせる表現手法を確立した。平面作品を制作。
『静物』(1991年)
『陶器』(1992年)

束芋(自己と他者と 3-17)
1975年兵庫県生まれ。1999年京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科卒業。
2003年から翌年まで五島記念文化賞美術新人賞を受け渡英。多面スクリーンのアニメーションと和室を模した造作を組み合わせた映像インスタレーション《にっぽんの台所》(1999)は、日本の日常的風景の暗部を淡々と突きつける批評性を持ち、在学中の作品ながら注目を集める。
『公衆便女』(2006年)

ジョーン・ジョナス(自己と他者と 3-18)
1936年アメリカ・ニューヨーク生まれ。 『2匹の月のうさぎ』(2010年)

マシュー・バーニー(自己と他者と 3-21)
1967年アメリカ・カリフォルニア州生まれ。1989年までイエール大学で美術を学ぶ。
長編映画から彫刻、写真、ドローイング、パフォーマンスに至るまで多岐にわたる作品を発表。
1987年から〈拘束のドローイング〉シリーズ(以下DR)の制作を開始。身体へ負荷や制約をかけた状態で創造行為を行い、その映像や痕跡を作品として発表する。
『拘束のドローイング9:ミラー・ポジション』(2005年)

デイヴィッド・ハモンズ(自己と他者と 3-22,23)
1943年アメリカ・イリノイ州生まれ。オーティス・アート・インスティチュートを経て1968年までシュイナード・アート・インスティチュートで美術を学ぶ。黒人アーティスト。
『移動庭園』(1998年)
『無縁の縁』(1998年)

フランツ・ヴェスト(自己と他者と 3-24)
1947年ウィーン・オーストリア生まれ、2012年同地没。1977年から83年にかけてウィーン美術アカデミーで学ぶ。ヴェストは1960年代から70年代にかけて過激でしばしば自虐的な身体の活用を特徴とするウィーン・アクショニズムを目にしていた。それとは対照的に、彼のドローイング、コラージュ、膨刻は抽象的である。1970年代中頃には「継手(パスシュテュッケ、アダプティブ)」と呼ばれる石膏や鉄や木を用いた彫刻の制作を始めた。
『耳栓』(1994年)

フィオナ・タン(自己と他者と 3-25)
1966年インドネシア・プカンバル生まれ。幼少期をオーストラリアで過ごし、1984年に渡欧してオランダのヘリット・リートフェルト・アカデミーに学んだのち王立美術学校でアーティスト・イン・レジデンス。写真やヴィデオのインスタレーションで知られるが、長編映画も多数手がけ、記憶、アイデンティティ、歴史語りといった概念を探究。制作に際してはアーカイブ映像・写真、自身や家族のストーリーから想を得ている。
『人々の声 東京』(2007年)

大岩オスカール(自己と他者と 3-26)
1965年ブラジル・サンパウロ生まれ。『古代美術館』(1995年)

6. コミュティの持つ未来

1990年代において、世界中でコミュニティ型アート・プロジェクトが行われるようになりました。日本でも、このような新手の実践は自発的プロジェクトという形を取り、美術館の外で展開していきました。次のようなものがあるそうです。
1990年から2004年にかけての「ミュージアム・シティ・福岡」
1995年にキュレーターのヤン・フートと東京ワタリウム美術館を中心に国内外の48名のアーティストを集めた「水の波紋」
1992年、中村正人と村上隆が日本と韓国の同輩たちと協働して「中村と村上」展を組織し、ソウル、東京、大阪と巡回した2009年から2012年に韓国東北地方の北釜地区で写真プロジェクト「螺旋海岸」を完成。

それでは展示していたアーティストと作品を紹介します。

中村政人(コミュニティの持つ未来 4-1)
1963年秋田県生まれ。『トコヤマーク トキとコブキ』(1992年)

小沢剛(コミュニティの持つ未来 4-2-1~4-3-6)
1965年東京都生まれ。東京藝術大学卒業。ひとつの媒体にとらわれず、対話とコミュニケーションを基礎に、日々の交流に基づいて社会問題を探究するアート言語を特徴とする。世界各地で手製の地蔵を写真に撮る〈地蔵建立〉シリーズ(1988-2009)や、日本美術史上の有名作品を、日本を代表する調味料である醤油を画材として描き直す〈醤油画資料館〉シリーズ(1998-2013)などの作品で知られる。
『なすび画廊––––福田美蘭』(1993年)
『なすび画廊––––コンプレッソ・プラスティコ「TOP BREEDER series volume 2」』(1994年)
『なすび画廊––––宮島達男「花ぶらんこゆれて」』(1994年)
『なすび画廊––––八谷和彦「Empty Entity Ⅱ』(1994年)
『なすび画廊––––小沢剛』(1995年)
『ベジタブル・ウェポン––––さんまのつみれ鍋/東京』(2001年)
『ベジタブル・ウェポン––––部隊鍋/ソウル』(2001年)
『ベジタブル・ウェポン––––ナン・プリ/チェンマイ、タイ』(2004年)
『ベジタブル・ウェポン––––リゾット・アラ・トレヴィザーナ/ベルガモ、イタリア』(2006年)
『ベジタブル・ウェポン––––ソンロブ/ラサ、中国』(2006年)
『ベジタブル・ウェポン––––カトゴ(野菜とバナナの煮物)-1/ホイマ、ウガンダ』(2008年)

川俣正(コミュニティの持つ未来 4-4)
1953年北海道生まれ。
『トロント・プロジェクト1989/コロニアル・タヴァーン・パーク』(1991年)

曽根裕(コミュニティの持つ未来 4-5)
1965年静岡県生まれ、日本、メキシコ、中国在住。東京藝術大学大学院建築専攻修了。
彫刻を中心に、絵画、ドローイング、写真、ヴィデオ、パフォーマンスなど多様なメディアを用いる。《月の裏側に人工芝を敷くパフォーマンス》(1994) など初期の作品では、写真やヴィデオでパフォーマンスの記録を構成するインスタレーションが多く採用された。
『19番目の彼女の足』(1993年)
『「実験伝達ワークショップ:19番目の彼女の足」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、1993年8月)記録写真』

ナウィン・ラワンチャイクン(コミュニティの持つ未来 4-6-1~6)
1971年タイ・チェンマイ生まれ。インド系タイ人で、家族の住む福岡と故郷チェンマイを行き来している。1993年チェンマイ大学美術学部卒業。1994年にナウィン・プロダクションを設立し、この名称のもと彫刻、絵画、パフォーマンス、写真、映画など多様な媒体を用いて制作。
『博多ドライヴ・イン』(1998年)
『博多ドライヴ・イン』(1998年)
『博多ドライヴ・イン2』(2003年)
『博多ドライヴ・イン』(1998年)
『《博多ドライヴ・イン》記録写真』(1998年)
『《博多ドライヴ・イン2》記録写真』(2003年)

蔡國強(コミュニティの持つ未来 4-7~4-9-3)
1957年中国福建省泉州市生まれ。1985年上海演劇大学卒業。翌年日本に移住してさらにアートを学び、火薬や爆発物を作品に用いることを始め、のちにこれがトレードマークになる。
『蔡といわき』(1993-2022/2023年)
『日々-作家』(1994年)
『日々-学芸員』(1994年)
『日々-実行会』(1994年)
『画帳a』(1994年)
『画帳b』(1994年)
『画帳c』(1994年)

西京人(コミュニティの持つ未来 4-10)
2007年、日本、中国、韓国をそれぞれ出身地とする小沢剛(1965-)、陳邵雄(1962-2016)、ギムホンソック(1964-)という3名のアーティストが結成したコレクティヴ。西京とは東アジアの想像上の都市国家で、その名は各メンバーの母語で「北の都」、「南の都」、「東の都」を意味する北京、南京、東京にかけたもの。西京人のパフォーマンス、写真、ヴィデオ作品、インスタレーションはユーモアや諷刺、機知を通じて現代生活やグローバリゼーション下の国民国家の不条理を取り上げる。
『《第3章 ようこそ西京に––––西京オリンピック』(2008年)

島袋道浩(コミュニティの持つ未来 4-11~13)
1969年兵庫県生まれ。1990年大阪芸術大学附属大阪美術専門学校卒業、1992年サンフランシスコ美術大学卒業。世界各地を旅しながらローカルなコミュニティと関係を築き、見聞きしたストーリーや偶然に出会った事物をもとに映像、彫刻、インスタレーションを制作している。
『スウォンジー・ジャック・メモリアル・ドッグ・スウィミング・コンペティション』(2003年)
『アートソンジェ山の夜明け』(2007年)
『ヘペンチスタのペネイラ・エ・ソンニャドールにタコの作品のリミックスをお願いした』(2006年)

志賀理江子(コミュニティの持つ未来 4-14-1~7)
1980年愛知県生まれ。2004年までロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで美術とニューメディアを専攻。自らの属していないコミュニティに入り込みながら、日常的な風景と非現実的な要素の混在した光景を写した写真作品を制作している。
『〈螺旋海岸〉より《螺旋海岸35》』(2009年)
『〈螺旋海岸〉より《肉は肉、魚は魚》』(2010年)
『〈螺旋海岸〉より《螺旋海岸20》』(2009年)
『〈螺旋海岸〉より《おかあさんのやさしい手》』(2009年)
『〈螺旋海岸〉より《螺旋海岸36》』(2010年)
『〈螺旋海岸〉より《振り返ってはならぬ》』(2011年)
『〈螺旋海岸〉より《26273》』(2012年)

7. 最後に

以上、みなさまのご存じのアーティストの名前はありましたか?
本展は1989年から2010年までの期間で積極的に作品を発表したり、ムーブメントを巻き起こした日本人アーティストとその作品、および来日して作品を発表して話題となった外国人アーティストその作品をテーマごとに紹介したものとなっています。
総勢50名の現代アーティストの紹介と作品が見れるところがすごかったです。

それでは。


いいなと思ったら応援しよう!