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博士の視点:「わからない」という不全感から、知性は駆動する ―大学教授が見た、池上彰の『考える力』が突きつける「立ち止まること」の臨床的価値


Professors' Wisdom 書評担当教授
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本シリーズでは、大学教授・医学博士の視点から、本を起点に、教育・健康・仕事・人生を読み解いています。

単なる要約ではなく、一冊の本が現代を生きる私たちに何を問いかけているのかを考え、実践につながる視点をお届けしています。

本好き大学教授の本の隠れ家 -The Bookish Professor’s Book Nook-
「私はこの本をこのように理解しました」


医学博士として日々の臨床データや科学的エビデンスに向き合い、また大学教授として学生たちの育成に携わる立場から、そして一人の「知的好奇心の迷子」でもある読者として、本書を非常に興味深く紐解きました。

池上彰氏が提示する「思考のプロセス」は、一見すると極めて平易で、誰にでも実践可能な日常のルーティンに見えます。

しかしその底流には、効率性と即答性を求める現代社会の病理に対する、極めて本質的なカウンターが潜んでいます。


答えを検索した瞬間、あなたの脳は思考を放棄している。タイパ至上主義の時代に、あえて「知性の空白地帯」に留まり続けるための、知的生存戦略。

本書から得られる3つの気づき

  • 1. 「知る」と「わかる」の決定的な解離: スマホで検索して得た知識は単なるデータ(知る)であり、その背景にある構造やメカニズムを他者に説明できるようになって初めて、神経回路は「わかる」の快感を組織する。

  • 2. 心理的安全性を欠いた「いつでも聞いてね」の無効性: 組織において「わからない」を表明できないのは個人の能力の問題ではなく、環境の設計ミスであるという、教育・指導現場における本質的な指摘。

  • 3. 答えのない問いに耐える「ネガティブ・ケイパビリティ」の重要性: 効率(コスパ・タイパ)の追求が脳の認知多様性を奪う現代において、不確実な状態のまま考え続けること自体が、民主主義と個人の尊厳を守る盾となる。





書籍情報:『考える力―「わからない」から始める思考入門』

  • 著者名: 池上彰

  • 出版社: PHP研究所(PHPビジネス新書)

  • 出版年: 2026年1月16日

  • キーワード: 思考力、AI時代、言語化、質問力、クリティカルシンキング

  • 著者紹介: 1950年生まれのジャーナリスト。NHK記者を経て「週刊こどもニュース」で活躍。現在は名城大学教授・東京科学大学特命教授など6つの大学で教壇に立ち、複雑な社会情勢をわかりやすく解説する第一人者。



全体的な評価と推奨読者層

評価:★★★★☆(4.2/5.0)

  • 言葉遣いはどこまでも優しく、新書サイズで非常に読みやすい構成です。専門的な「認知科学の理論」が並んでいるわけではありませんが、池上氏が長年の実践から導き出した「思考の臨床データ」が詰まっています。「分かりやすさの罠」を自覚する著者が、あえて「簡単に分かった気になるな」と優しく諭してくれる点に、深い誠実さを感じます。

推奨読者:

  • ネットの情報を集めて企画書を作っているが、どこか「自分の言葉になっていない」と焦燥感を抱くビジネスパーソン。

  • 部下や学生から「特に質問はありません」と言われるたびに、強い無力感を覚えるマネージャーや教育関係者。

  • 生成AIの出力に依存しがちで、自分の脳の機能低下(思考のサボり)に薄々危機感を覚えている人。

合わないかもしれない人:

  • 手っ取り早くロジカルシンキングのフレームワーク(MECEやロジックツリーなど)の操作法だけを知りたい人。

  • すでに自分の思考法が完全に確立されており、日常の具体例から学び直す必要性を感じない人。



1. 書籍の概要


本書『考える力―「わからない」から始める思考入門』は、累計227万部を超えた名著『伝える力』の対となる、池上彰氏のいわば「内省の記録」です。

「池上さんは、考える力はどうやって身につけたのですか?」という担当編集者からの素朴な、しかし本質的な問いに対し、これまで自身の思考プロセスを無意識化していた著者が、初めて自らの頭の働かせ方を解剖・分析した一冊となっています。

本書の核心は、「わからない」という状態を拒絶せず、むしろすべての思考のロケットが打ち上がる出発点として肯定する点にあります。

情報過多かつ生成AIが日常に溶け込んだ現代社会において、私たちはいつでも「正解らしきもの」に一瞬でアクセスできるようになりました。

しかし池上氏は、この快適な環境こそが「自分の頭で考える力」を著しく衰退させていると警鐘を鳴らします。

「知ったかぶり」や「わかったふり」は個人の精神的成長を阻害するだけでなく、かつてのリーマンショックのように、社会全体の危機すら見過ごす盲目性を生む。

だからこそ、「わからない」と自覚した瞬間を「ラッキー」と捉え、そこから思考を駆動させるべきだと主張します。

構成は、個人レベルの姿勢(第1章)、具体的な思考メソッド(第2章)、職場や組織での実践(第3章)、そしてVUCAと呼ばれる不確実な時代を生き抜く社会的な態度(第4章)へと、ミクロからマクロへ向かってグラデーションを描くように展開します。

「他の場合はどうか」という比較の視点を持つこと、官僚的な曖昧な言語表現に惑わされないこと、そして「人はなぜ生きるのか」という一見効率の悪い問いに敬意を払うこと―。

難解な数式や学術用語を使うことなく、池上氏らしい誰もが知る日常の事例(リーマンショックや官僚の口癖、大学での読書会など)をフックにしながら、AI時代をサバイブするための「知のルーティン」が丁寧に言語化されています。



2. 医学博士・大学教授としての視点


一読して、私は大学の講義室、そして医学研究の最前線で日常的に目にする「ある光景」を強く思い出していました。
医学や科学の世界において、最も恐ろしいのは「誤ったデータ」ではありません。
最も恐ろしいのは、「何がわからないのかが、わからない」という認知の停止、あるいは「わかったつもりになって検証をやめる」という慢心です。
大学教授として、また科学的エビデンスを扱う人間として、池上氏の指摘には深く膝を打つと同時に、現代の教育・医療現場が抱える深刻な課題へのアプローチとして、非常に示唆に富むものであると感じました。


(1) 「言語化の不全」は、脳の認知プロセスのエラーである


池上氏は第1章において、「自分の気持ちを言語化できない」という現代人の問題を「かなり深刻」と表現しています。
これは脳科学的にも極めて妥当な指摘です。
人間の脳において、感情や直感(大脳辺縁系)で捉えたモヤモヤした状態を、言語(大脳皮質前頭葉の言語野)に落とし込む作業は、非常に高いエネルギーを消費する高次な認知処理です。
現代社会は、SNSの「いいね」ボタンや定型文のスタンプ、あるいはAIによる自動生成テキストによって、この「エネルギーを消費する脳の苦汗」を綺麗にスキップさせてくれます。
しかし、言語化されない感情や思考は、脳内において「構造化されていないデータ」のまま霧散します。
学生たちがレポートで「ネットのまとめ記事のコピペ」のような文章を提出してくるとき、彼らの脳は完全にアイドリングストップ状態にあります。
池上氏の言う「知る」と「わかる」の違いは、まさに脳内において「断片的な記憶の保存(コピペ)」にとどまっているか、それとも「既存の神経ネットワークと結合して新たな回路を構築したか(構造化)」の差に他なりません。


(2) 専門家として立ち止まった点:心理的安全性の「過剰」がもたらす思考の去勢


第3章の組織論において、池上氏は「部下や新人への『わからないことがあったら聞いてね』は不親切である」と述べ、組織における心理的安全性や、質問しやすい環境づくりの重要性を説いています。
これには大学でゼミを主宰する身として完全に同意します。
指導者が威圧的であれば、学生は「わからない」を隠すようになり、それは将来の医療事故や研究不正の温床にすらなり得るからです。

しかし、ここで私は書評家として少し立ち止まり、別の解釈の余地を保留しておきたいと感じました。
それは、「環境の親切さ」が、かえって若者の「自分で調べる、限界まで粘る」という知的体力を奪いはしないか、という懸念です。
臨床医学の現場では、指導医が手取り足取りすべてを言語化して教えることは不可能です。
なぜなら、目の前の患者の病態は、教科書通りにいかない「未知の連続」だからです。
「質問が出ないのは、相手がわかっていないから」というのは真実ですが、一方で、自分で一度も文献(PubMed等)を検索せず、思考の汗を1滴も流さないまま「わかりやすく教えてくれない上司が不親切なのだ」と環境のせいにするマインドセットを助長するリスクも、この議論の裏側には潜んでいます。
「わからない」を歓迎する環境作りは不可欠ですが、それは「思考の幼児退行」を許すことと同義であってはなりません。
「聞きやすい環境」と「安易に答えを求める姿勢」のバランスをどう取るか。
ここは、池上氏の優しい語り口の先にある、我々指導者が現場で血を流しながら考え続けなければならない問いです。


(3) 読者に投げかけたい問い:佐藤優氏の評価から考える「評価の保留」


教育・学術的文脈の解説の中で、作家の佐藤優氏が本書を評して、池上氏の「事実・当事者の認識・評価を区別する」姿勢を高く評価している、という記述がありました。
これは科学研究における「客観性」の担保と全く同じ構造です。
研究者は、実験で得られた「事実(データ)」と、被験者の「主観的な認識」、そしてそれに対する研究者自身の「評価(考察)」を厳密に区別しなければなりません。

ここで読者の皆さんに、一つの問いを投げかけたいと思います。

「あなたが今日、SNSやニュースで目にした情報のうち、どこまでが『客観的な事実』で、どこからが誰かの『主観的な評価』だったか、明確に切り分けることができますか?」

現代のメディア環境(特にアルゴリズムによって最適化されたタイムライン)は、事実と評価を意図的に混同させ、私たちの感情を揺さぶってきます。
私たちは「事実」を見て怒っているのではなく、高度にデコレーションされた「他人の評価」を自分の思考だと錯覚して怒っていることが多いのです。
この混同を自覚することこそが、池上氏の言う「クリティカルシンキング(批判的思考)」の第一歩であり、現代を生きる市民の「知的な免疫機能」であると私は確信します。


3. 最終的なコメントと読後のアクションプラン


『考える力―「わからない」から始める思考入門』は、「わかりやすさの神様」のような存在である池上彰氏が、あえて「世の中はそんなに簡単にわからないことばかりだ」と、自らの手の内を明かしたパラドックスに満ちた名著です。

本書の言葉は平易ですが、そこに込められたメッセージは極めて重く、タイパ(タイムパフォーマンス)を盲信する現代社会への静かな宣戦布告とも言えます。

あえて小さな留保をつけるなら、本書は「考えるための姿勢(構え)」を説くことに重きを置いているため、これを読んだからといって、明日からすぐに画期的なアイデアが溢れ出たり、難解なビジネス課題が魔法のように解決したりするわけではありません。

これは「即効薬」ではなく、じわじわと体質を改善していく「漢方薬」のような本です。

そのことを理解した上で、日々の生活にそのエッセンスを「小さく」組み込んでいくことが、本書の正しい消費の仕方でしょう。

完璧を求める必要はありません。知性を錆びつかせないために、まずは以下の臨床的アクションから始めてみるのはいかがでしょうか。


読後のアクションプラン


1. すぐに実践できる具体的な行動

  • 「Google検索・AIプロンプト」の1分保留: 何か気になるニュースや業務上の疑問が浮かんだとき、すぐにスマホの検索窓に打ち込むのを「60秒間」だけ我慢してください。その60秒の間、自分の脳内にある既存の知識だけで「なぜそうなっているのか」の仮説を1つだけ組み立ててみる。これだけで、脳のサボり癖にブレーキをかけることができます。

  • 「事実」と「意見」のマーカー色分け: 気になる新聞記事やネットのコラムを読む際(デジタルなら脳内でも可)、書かれている内容が「動かしようのない事実(データや出来事)」なのか、「著者の主観的な意見・評価」なのかを、頭の中で明確に2色に色分けして読む訓練をしてみてください。驚くほど多くの文章が「意見」で埋め尽くされていることに気づくはずです。


2. 少し時間をかけて向き合いたい問いや習慣

  • 「わからないノート」の作成: 日常生活や職場で、「あれ、これってどういう仕組みなんだろう?」「なぜこの人はこんな行動をとったのだろう?」と感じた、すぐには答えの出ない違和感や問いをメモする小さなノート(またはスマホのメモ帳)を作ること。1週間に一度それを見返し、池上氏のように「他の場合はどうだろうか」と比較検討する時間を30分だけ持ってみてください。

  • 「質問の事前準備」の習慣化: 会議や講義に参加する際、「最後に何か質問はありますか?」と聞かれてから考えるのではなく、あらかじめ「自分の現在の理解度」と「この議論の裏側にあるはずの未知の領域」を予測し、最低でも2つの「なぜ?」をポケットに忍ばせて出席する習慣をつけてみてください。


「わからない」と口にすることは、敗北宣言ではありません。

それは、あなたの知性が新しい世界へと触手を伸ばし始めた、最も健康的で、最もエキサイティングな「兆候」なのです。





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