博士の書評『ビジネスモデルの教科書』:細胞の並び(システム)が代謝を生むように、企業の「定石」が富を生む ―医学者が読み解く、ビジネスモデルの解剖学
Professors' Wisdom 書評担当教授
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本シリーズでは、大学教授・医学博士の視点から、本を起点に、教育・健康・仕事・人生を読み解いています。
単なる要約ではなく、一冊の本が現代を生きる私たちに何を問いかけているのかを考え、実践につながる視点をお届けしています。
「私はこの本をこのように理解しました」
大学で教壇に立ち、日々人体という究極の「動的システム」を研究している医学者として、そして一人の知的好奇心を抑えきれない読者として、本書を解剖するように読み進めました。
著者の今枝昌宏氏が展開する論理は、私たちが複雑な生命現象をいくつかの「代謝経路」や「シグナル伝達系」のパターンに落とし込んで理解するプロセスと、驚くほど酷似しています。
「奇策」を追うな、生命(ビジネス)の普遍的な「代謝経路(システム)」をインストールせよ。
本書から得られる3つの気づき
1. 「定石」は個性を殺さない: 人体の基本構造が同じでも、一人ひとりの顔や体質が異なるように、31の定石を学ぶことは、企業の独自性を否定するものではなく、むしろ持続可能な生命線を引くための基礎教養である。
2. 「What」ではなく「Why」の因果関係を追う: 単にある企業が「何をしているか」を真似ても意味はない。なぜその仕組みが機能し、どこに「落とし穴」があるのかというメカニズム(病理)を理解せねば、戦略はたちまち壊死する。
3. システムとしての連動性が「参入障壁」になる: セブンイレブンのドミナント戦略のように、単一の細胞(店舗)ではなく、配送や情報システムという組織全体が連動して初めて、強力な免疫系(他社の追随を許さない壁)が完成する。
書籍情報:『ビジネスモデルの教科書』
著者名: 今枝昌宏
出版社: 東洋経済新報社
出版年: 2014年2月
キーワード: ビジネスモデル、経営戦略、定石、収益構造、因果論理
著者紹介: エミネントパートナーズLLC代表。京都大学大学院法学研究科、エモリー大学ビジネススクールMBA課程修了。PwCコンサルティング等を経て現職。
全体的な評価と推奨読者層
評価:★★★★☆(4.2/5.0)
華美なケーススタディや一過性のトレンドを排し、ビジネスの「骨格」を淡々と提示した名著です。2014年の刊行であり、デジタルDXの最先端事象への言及は限定的ですが、ここに書かれている「収益の因果論理」は、時代を超えて通用する普遍的な生理学(メカニズム)を持っています。
推奨読者:
新規事業を立ち上げようとしているが、アイデア先行で「どうやって持続的に儲けるか」の絵が描けていないリーダー。
自社のビジネスが行き詰まっているが、どこに機能不全(病因)があるのかを論理的に特定したい経営層。
抽象的な経営論に飽き、具体的な「型」を叩き込みたい実践派のビジネスパーソン。
合わないかもしれない人:
シリコンバレーの最新テック企業の事例だけを追いたい、スピード感重視の読者。
行間から情熱やストーリーが溢れ出るような、エモーショナルなビジネス書を期待する人。
1. 書籍の概要
今枝昌宏氏による『ビジネスモデルの教科書』は、一言で表現するなら「企業の生存と繁栄のための解剖学アトラス(図譜)」です。
世の中に溢れる多くのビジネス書が、成功企業の華やかなストーリーを情緒的に語るのに対し、本書は冷徹なまでにその「儲けの仕組み」を31のパターンに体系化し、メスを入れていきます。
著者の問題意識は明確です。
多くの企業が「戦略(どこで戦うか)」を立てながらも、それを具現化する「ビジネスモデル(どうやって持続的に利益を出すか)」を欠いているために、せっかくの好機を逃している。
この「戦略とビジネスモデルの乖離」を埋めるために、囲碁や将棋のように、経営にも「定石」が必要であると主張します。
構成は、事業レベル(個別事業の戦い方)を扱う第I部と、コーポレートレベル(全社的な事業の組み合わせ)を扱う第II部に分かれています。
顧客セグメント、提供価値、収入構造、そしてビジネスシステムという4つの軸から分類された23の事業モデルと、8つの全社モデル。
これらがすべて、「概要」「価値創造過程」「有効な条件」「落とし穴」という、厳格なまでに統一されたフォーマットで分析されています。
本書の最大の特徴は、「セブンイレブン」や「YKK」「マブチモーター」といった、日本を代表する企業のケーススタディを、単なるエピソードとしてではなく「なぜその構造が模倣困難なのか」という因果論理の連鎖として描き出している点です。
読者は本書を読むことで、目の前のビジネスがどの「型」に属し、どこにアキレス腱が隠されているのかを、透視するように理解できるようになります。
2. 医学博士・大学教授としての視点
私がこの本をめくりながら感じていたのは、心地よい「既視感」でした。
私たちが医学の世界で、複雑極まる生体反応を理解するとき、まず「生理学(正常な仕組み)」を学び、次に「病理学(仕組みが破綻するプロセス)」を学びます。
今枝氏のアプローチは、まさにビジネスにおける生理学と病理学の提示に他なりません。
(1) 「解剖学」としての31パターン
医学において、個々の患者さんの身体は千差万別ですが、骨格や血管の走行、臓器の配置といった「基本構造」は同じです。
本書が提示する31のビジネスモデルは、まさにビジネスの「解剖学的基本構造」です。
例えば、「地域ドミナント」(パターン01)におけるセブンイレブンの高密度出店。
これは、局所に資源(店舗)を集中させることで、配送網の効率化だけでなく、地域におけるブランド認知という「参入障壁」を築くモデルです。
これを医学的に見れば、特定の臓器に毛細血管を高密度に張り巡らせ、物質交換の効率を最大化しつつ、外敵の侵入を防ぐ「免疫バリア」を構築するプロセスと同じです。
著者が提示するフォーマットは、複雑な経済活動を「機能単位」にまで分解して見せてくれるため、専門外の私にとっても極めて明晰に腑に落ちるものでした。
(2) 専門家として立ち止まった点:静的なパターン化と「動的な突然変異」への違和感
しかし、大学教授として日々、生命の「予測不可能な変化」や「進化」に向き合っている立場から言うと、この「定石主義」に対して少しだけ立ち止まり、考え込んでしまう部分もありました。
本書は31のパターンを提示し、それぞれの「有効に機能する条件」を論理的に解説しています。
これは教科書として完璧ですが、実際の臨床(現場)では、環境そのものが激変する「突然変異」が起こります。
本書のロジックは、ある程度「予測可能な市場環境」を前提としているように見えます。
例えば、現在のデジタルDXやAIの進化スピードは、2014年時点の想定を超えています。
ひとつの定石(例えば、消耗品で儲ける「レザーブレードモデル」)が、サブスクリプションやプラットフォームのパラダイムシフトによって、一瞬にして機能不全に陥る。
この「定石そのものが通用しなくなる時代の転換期」に、私たちはどうやって独自の「適応(進化)」を遂げるべきか。
本書が提示する美しい因果論理の枠組みに、私たちは「動的な時間軸」と「環境への適応性」をどう付け加えるべきか、という点が私の頭に引っかかりました。
(3) 私の専門領域(スポーツ健康科学・地域連携)への連想と別の解釈
私が関わるスポーツ科学や大学の地域連携事業という文脈に引きつけて考えると、本書のパターンは非常に刺激的な補助線となります。
例えば、大学が地域住民の健康増進をサポートする事業を立ち上げる際、単に「運動プログラムを提供します」という「モノ売り・コト売り」では持続しません。
これを本書の「顧客ライフサイクルマネジメント」(パターン05)や「プラットフォーム」(パターン07)として再定義してみる。
子どものジュニアスポーツ期から、社会人のフィットネス、高齢者のロコモティブシンドローム予防まで、一貫してデータ(カルテ)を管理し、世代を超えて関わり続ける仕組みを作る。
あるいは、地域の医療機関、スポーツクラブ、自治体を結びつける「プラットフォーム」として大学が機能する。
しかし、ここで一つの「問い」が生まれます。
ビジネスの定石は「超過利益(儲け)」を最大化するためのものですが、公共性の高い健康科学や地域貢献において、「利益」とは何でしょうか?
それは単なる貨幣的な富ではなく、「地域の健康寿命の延伸」や「社会的医療費の抑制」という、目に見えにくい「社会的共通資本の豊かさ」であるはずです。
今枝氏の論理をそのまま当てはめるのではなく、その「価値(Value)」の定義をスライドさせて適用する、という別解釈の余地を私は強く感じます。
(4) 読者に投げかけたい問い
本書を手に取る皆さんに、ぜひ立ち止まって一緒に考えてほしい問いがあります。
「あなたが関わっている仕事やプロジェクトは、31のパターンのうち、どれとどれの『組み合わせ』で成り立っていますか? そして、その仕組みは、関わる人すべてを健康にしていますか?」
生命体(システム)は、一部の細胞だけが異常に増殖して富を独占すると、やがて「がん化」し、個体そのものを滅ぼします。
ビジネスモデルも同様です。
自社の利益(超過利益)だけを徹底的に追求する定石の裏で、取引先や顧客、あるいは社会全体に過度な負荷(ストレス)をかけていないか。
優れたビジネスモデルとは、単に「儲かる」だけでなく、そのシステム自体が周囲の環境と調和し、持続可能であるという「生態学的健全さ」を備えているべきではないでしょうか。
大学で医学生たちに「部分を見るな、全体を見よ」と伝えているように、読者の皆さんにも、この定石を「社会という生態系の中でどう活かすか」という広い視点を持ってほしいのです。
3. 最終的なコメントと読後のアクションプラン
今枝昌宏氏の『ビジネスモデルの教科書』は、経営のロジックを限界まで削ぎ落とし、純度の高い「型」として提示した傑作です。
一見、淡々とした冷徹な記述が続きますが、その背後には、何百社もの泥臭い現場を見てきたコンサルタントとしての「論理への全幅の信頼」があります。
全面的に礼賛するならば、これほど頭の整理に役立つ本はありません。
自分のビジネスをこの31の型に当てはめてみるだけで、自社の強みと弱みが一瞬でクリアになります。
あえて小さな留保(注意点)を挟むとすれば、それは「型にハメすぎることの危険性」です。
完璧な解剖学の知識があっても、目の前の生きた患者さんの心の痛みが分からなければ名医になれないように、31の定石を暗記しただけでは、新しい市場を切り拓くイノベーションは生まれません。
定石は、あくまで「守破離」の「守」であり、ベースキャンプなのです。
完璧な実行に囚われず、自社の現実に合わせて「型を崩す」柔軟さを忘れないでください。
読後のアクションプラン
1. すぐに実践できる具体的な行動
自社ビジネスの「解剖」(型の同定): 本書の31パターン一覧を見ながら、あなたの会社のメイン事業がどのパターン(例えば「ソリューション型」か「アンバンドリング」か)に該当するかを、1つだけ選んで付箋に書き出してみてください。その上で、本書に書かれている「落とし穴」に自社が陥っていないか、10分だけチェックしてみてください。
競合の「因果論理」の透視: あなたが普段利用しているお気に入りのサービスや、手強い競合企業を1社思い浮かべ、「なぜ彼らは潰れないのか、どこから本当の利益を得ているのか」を、本書の「収入構造・価格のビジネスモデル」の視点からプロットしてみてください。
2. 少し時間をかけて向き合いたい問いや習慣
「価値の健康診断」を月1回行う: 月に一度、自分の事業が「誰に」「何を」「どうやって」届けているのかという3つの構成要素を見直す習慣をつけてください。特に、提供している「価値」が、時代の変化(顧客の健康意識の高まりなど)と乖離していないかを検証する時間を設けることです。
「異業種の代謝経路(モデル)」を移植する妄想: まったく関係のない異業種のモデル(例:マクドナルド化されたオペレーション)を、自分の仕事(例:教育、医療、伝統工芸など)に無理やり組み合わせたらどうなるか、散歩のときにでも妄想してみてください。その「不自然な組み合わせ」の中にこそ、次の新しい定石の芽が隠されています。
この本は、あなたに強固な「論理の骨格」を与えてくれます。
しかし、その骨格にどのような肉をつけ、どのような血を通わせるかは、あなた自身の思想と、現場での実践にかかっています。
まずは一つ、自社のカルテを作る気持ちで、ページを開いてみてください。
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