博士の視点:「優秀さ」という名の免疫不全―医学者が見た、古賀史健『集団浅慮』が暴く日本組織の“集団的病理”とその処方箋
Professors' Wisdom 書評担当教授
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本シリーズでは、大学教授・医学博士の視点から、本を起点に、教育・健康・仕事・人生を読み解いています。
単なる要約ではなく、一冊の本が現代を生きる私たちに何を問いかけているのかを考え、実践につながる視点をお届けしています。
「私はこの本をこのように理解しました」
医学博士として、また日々学生たちと向き合い組織を観察する大学教授として、そして何より、一人の「人間の不条理」に目を凝らす読者として、本書を重い心地で読み進めました。
古賀史健氏がフジテレビ第三者委員会の調査報告書を臨床サンプルとして提示した世界は、私たちが日々医療現場やアカデミアで直面する「組織の硬直化」という、あまりにも身近で、あまりにも致命的な病のカルテそのものでした。
「私たちは間違えるはずがない」という健全な一体感こそが、組織を内側から蝕む最悪のウイルスであるという、冷徹な告発。
本書から得られる3つの気づき
1. 「凝集性」という名の劇薬: 団結力や愛社精神が高まるほど、組織は「異論」を排除する自己免疫疾患に陥る。仲の良さこそが思考停止の温床になるという逆説。
2. 同調圧力の3段階というシステム: 異質な存在を締め出すプロセスは、悪意によるものではない。集団の恒常性を守ろうとする「白血球の異物排除」のように、極めて淡々と、かつ自動的に機能する。
3. 意識ではなく「知識」という名のブレーキ: 「ハラスメントをしないように気をつけよう」という曖昧な道徳観は無力である。国連の指導原則をはじめとする具体的な「人権知識」というシステムの実装こそが、集団の暴走を止める。
書籍情報:『集団浅慮 ―「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』
著者名: 古賀史健
出版社: ダイヤモンド社
出版年: 2025年11月
キーワード: 集団浅慮(Groupthink)、フジテレビ第三者委員会、同調圧力、ダイバーシティ、ビジネスと人権
著者紹介: 1973年生まれ。株式会社バトンズ代表。世界的なベストセラー『嫌われる勇気』の共著者であり、日本を代表するビジネス書ライター。本書は自著として「最初で最後のビジネス書かもしれない」という強い覚悟で執筆された。
全体的な評価と推奨読者層
評価:★★★★☆(4.8/5.0)
単なる一企業の不祥事を突くスキャンダリズムの書ではありません。日本型組織すべてに共通する「心理的免疫不全」を、社会心理学の古典的知見を用いて鮮やかに解剖した名著です。臨床的な実効性が極めて高い処方箋まで提示されている点を高く評価します。
推奨読者:
「うちのチームは風通しが良い」と自負している管理職や経営者。
組織の「空気」に違和感を覚えながらも、言葉を飲み込んでしまう若手・中堅社員。
コンプライアンス研修が「形骸化したお題目」になっていると感じる法務・人事担当者。
合わないかもしれない人:
「結果さえ出ればプロセスや人権はどうでもいい」と本気で信じている、あるいは「空気」を読めない人間は排除されて当然だと考える人。
1. 書籍の概要
本書『集団浅慮―「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』は、一言で言えば「個人の優秀さは、組織の愚かさを防ぐ防波堤にはならない」という冷酷な現実を突きつける、〈新・社会派ビジネス書〉です。
舞台となるのは、2025年3月に公表されたフジテレビ第三者委員会調査報告書。大物タレントと女性アナウンサーの間で起きた深刻な性暴力問題を巡り、当時の経営陣が犯した決定的な判断ミスが、本書の臨床サンプルとして俎上に載せられます。
そこにいたのは、悪意に満ちた犯罪者たちではありません。
世間から見れば「優秀」であり、社会的地位もあり、洗練されているはずの「善意の集団」でした。
しかし彼らは、被害者の深刻な訴えを「プライベートな男女間トラブル」へと矮小化し、コンプライアンスを機能させず、結果として組織ぐるみで被害者を追い詰めるような対応をしてしまいました。
なぜ、そんなことが起きたのか。著者の古賀史健氏は、1970年代にアメリカの社会心理学者アーヴィング・ジャニスが提唱した「集団浅慮(Groupthink)」という概念を補助線にして、この謎を解き明かしていきます。
集団浅慮とは、組織の団結力(凝集性)が高く、お互いの価値観が一致している集団ほど、全員一致の調和を乱すまいとして、客観的なリスク評価や異論を無視してしまう心理的病理のことです。
本書では、ジャニスが特定した「不敗幻想」や「全会一致の幻想」など8つの症状を、フジテレビの事例に重ね合わせながら、日本企業が容易に「ムラ化」していくプロセスを精緻に描き出します。
さらに後半では、この病理に対する構造的な防波堤として、道徳的スローガンではない「実利としてのダイバーシティ」の重要性を説き、「オールドボーイズクラブ」と呼ばれる同質性の高い集団がいかに新しい価値観のアップデートを阻害するかを論じます。
そして、最終的な処方箋として提示されるのが「人権意識より人権知識」という原則です。
過去の歴史的失敗(ピッグス湾事件)とそれを克服した事例(キューバ・ミサイル危機)、そして日本の組織論の名著『失敗の本質』とも交差しつつ、組織の「空気」という目に見えない怪物の正体を完全に言語化した一冊です。
2. 医学博士・大学教授としての視点
私がこの本を読み進めながら感じたのは、激しい共感と、ある種の「既視感」による胸の痛みでした。
医学の世界において、人間の思考や行動のエラーを分析することは、医療安全や生存戦略の根幹に関わります。
大学教授として白い巨塔と呼ばれる医療・学術の世界の片隅に身を置き、また医師として人間の認知の限界を知る立場から、本書の記述を脳科学的・臨床的な視点で読み解いていきたいと思います。
(1) 「恒常性(ホメオスタシス)」としての同調圧力と免疫システムの暴走
本書の第2章で、著者が提示する「同調圧力の3段階(説得→疎外→排除)」の描写には、思わずノートをとる手が止まりました。
逸脱者(異論を唱える者)を排除していくメカニズムについて、著者はこう指摘しています。
「出る杭は打たれる」というのは憎しみからではなく、白血球が異物を排除するように集団の一体性を守る行動に過ぎない
この比喩は、医学的に見ても極めて正確であり、かつ恐ろしい指摘です。
生物の体には、内部の環境を一定に保とうとする「恒常性(ホメオスタシス)」という仕組みがあります。
ウイルスなどの異物が侵入すると、免疫システム(白血球やT細胞)が作動し、それを徹底的に攻撃・排除します。
これは個体を守るための「正しい」反応です。
しかし、この免疫システムが暴走し、自分自身の正常な細胞や、実は体にとって必要な組織を「異物」と誤認して攻撃し始める病気があります。
「自己免疫疾患(関節リウマチや全身性エリテマトーデスなど)」です。
本書が描く「集団浅慮」に陥った組織は、まさにこの自己免疫疾患に侵されている状態だと言えます。
フジテレビのケースにおいて、被害者の告発や、組織の対応に疑問を呈する声は、本来であれば組織を健全に保つための「アラート(警告信号)」でした。
しかし、同質性の高い経営陣という集団にとって、そのアラートは「全員一致の調和(ホメオスタシス)を乱す有害な異物」と認知されてしまった。
だからこそ、悪意ではなく、「組織を守るため」という歪んだ正義感(道徳性の幻想)によって、白血球のように淡々と排除のシステムが作動したのです。
この「システムとしての無菌室化」が、組織を社会的な死(信頼の完全失墜)へと導くプロセスは、医学的な免疫不全のメカニズムそのものです。
(2) 大学の「医局」というオールドボーイズクラブでの記憶
第3章で議論される「ダイバーシティと集団浅慮」、そして「オールドボーイズクラブ(年配男性が支配する排他的組織)」の問題は、私自身の過去の経験とも重なり、古傷を抉られるような感覚を覚えました。
日本の医学界、特に伝統的な大学の「医局」という組織は、かつて(そして一部は今も)典型的なオールドボーイズクラブでした。
同じ大学を出て、同じ過酷な勤務環境を生き抜き、同じ価値観を共有する壮年男性だけで教授選や重要方針が決定される構造です。
そこには強固な「凝集性」があり、それゆえに強烈な「空気」が存在していました。
私が若手研究者だった頃、あるカンファレンスで、上の世代の治療方針に対してエビデンス(科学的根拠)に基づいた疑問を呈したことがありました。
当時の私に悪気はなく、ただ純粋な科学的問いだったのですが、その場を支配した凍りつくような空気は今でも忘れられません。
その後、直接的に怒鳴られたわけではありませんが、まさに本書が言う第1段階の「説得(お前のためを思って言うが、波風を立てるな)」があり、それに従わずにいると、徐々に重要な研究プロジェクトから外されるという第2段階の「疎外」へと移行していきました。
当時の教授陣も、一人ひとりは極めて優秀で、患者を救うことに真摯な「善意の医師」たちでした。
しかし、集団となったとき、彼らは「医局の権威と調和」を守るために、異論を自動的にフィルタリングする「心の用心棒(マインドガード)」へと変貌していたのです。
本書を読みながら、「あのとき彼らの脳内で起きていたのは、まさにこれだったのか」と、十数年越しにカルテを書かされたような衝撃を覚えました。
(3) 専門家として立ち止まった点:「知識」のアップデートに伴う認知的負荷
著者が第4章で提示する「人権意識より人権知識が大切である」というテーゼには、深く納得しつつも、大学教授という「教育・研究の場」にいる人間として、少し立ち止まり、別解釈の余地を考えたい点があります。
著者は、国連の指導原則などの「知識」をインストールすることがブレーキになると言います。
確かにその通りですが、現場で人間がその「知識」を正しく運用するためには、脳の「認知的負荷(コグニティブ・ロード)」の問題をクリアしなければなりません。
人間は、ストレスが高かったり、意思決定のスピードを求められたりする状況下では、高度な「知識(前頭葉を使った論理的思考)」を呼び出すことが難しくなり、より直感的で、慣れ親しんだ「古い習慣(偏見や過去の成功体験)」に頼る傾向があります(行動経済学で言うシステム1の作動です)。
つまり、単にマニュアルや知識を「知っている」だけでは、危急の際には機能しない可能性が高いのです。
医療現場でのインシデント(ヒヤリハット)の多くも、マニュアルの知識がなかったからではなく、「忙しさとプレッシャーの中で、知識を呼び出す認知資源が枯渇していた」ために起こります。
したがって、私は著者の主張をさらに補完する形で、「人権知識を、個人の脳内から、組織の『チェックリスト(構造)』へと完全に落とし込む必要がある」と考えます。
ケネディ政権がキューバ・ミサイル危機で「悪魔の代弁者(あえて反対意見を言う役割)」を輪番制で設置したように、個人の知識や意識の高さに依存するのではなく、意思決定のプロセスそのものに「人権やリスクのチェックを通さなければ次のステップに進めない」という強制的な構造(航空機のフライト前チェックリストのようなもの)を組み込むこと。
そこまでして初めて、集団浅慮という強力な認知の歪みに打ち勝つことができるのではないでしょうか。
(4) 読者に投げかけたい問い
ここで、本書を読まれる、あるいは読み終えた皆さんに、大学の講義の終わりに学生に投げかけるような、一つの問いを共有したいと思います。
「あなたが所属する組織で、もしリーダーが決定決定を下した直後に、あなたが『それは人権倫理的に重大なリスクがあります』と言い出せる『心理的安全性』と『具体的な手続き』は、今この瞬間に存在しますか?」
「言おうと思えば言える」という個人の勇気に期待しているうちは、その組織はまだ集団浅慮の予備軍です。
言わなければシステムが止まる、あるいは言うことが公式に義務付けられている、というレベルでの「仕組み」があるかどうか。この問いを、ぜひご自身の胸の内で反芻してみてほしいのです。
3. 最終的なコメントと読後のアクションプラン
古賀史健氏が放ったこの『集団浅慮』という一冊は、2026年現在の日本社会において、あらゆる組織が棚上げにしてきた「見て見ぬふりをしてきた歪み」を、冷徹なメスで切開するような読書体験をもたらしてくれます。
本書は決して、フジテレビという一メディア企業の失敗を遠くから眺めて溜息をつくための本ではありません。
むしろ、読み終えた後、自分の足元が激しく揺さぶられるような感覚が残ります。
「私もまた、あの優秀だった男たちと同じように、自分のムラの空気を守るために、誰かの小さな悲鳴を『プライベートな問題』として処理していないだろうか」という、内省的な恐怖です。
全面的に礼賛したい傑作ですが、あえて小さな留保をつけるなら、本書が「仕組みと知識」を強調するあまり、読者が「仕組みさえ整えれば、自分はもう考えなくていい」という、新たな「全会一致の幻想」に陥る危険性です。
どれほど優れたダイバーシティのシステムや人権チェックリストを導入しても、それを運用する人間が「形骸化されたルーティン」として扱えば、システムそのものが「心の用心棒」になってしまいます。
私たちは、仕組みをアップデートし続けながらも、同時に「自分の感性が組織の空気に麻痺していないか」を問い続ける、個人の孤独な視線を手放してはならないのです。
完璧な実行を目指す必要はありません。
まずは、この病の存在を知り、自分の周囲を観察することから始めればよいのです。
読後のアクションプラン
1. すぐに実践できる具体的な行動
会議での「沈黙」を「同意」とみなすのをやめる: 自分がミーティングを進行する際、全員が黙って頷いた瞬間に「全会一致の幻想」を疑ってください。「あえて別の角度からリスクを指摘するとしたら何があるか?」と、1分だけ時間をとってメンバーに水を向ける習慣をつけてみてください。
「ビジネスと人権」に関する基本文書を1つだけ読む: 国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」の概要や、自社のコンプライアンス規程の人権項目を、スマホで5分だけ眺めてみてください。抽象的な「意識」を「知識」という武器に変える第一歩です。
2. 少し時間をかけて向き合いたい問いや習慣
「逸脱者」に対する自分の心の動きを観察する: 組織の中で、空気を読まない発言をする人や、既存のルールに異議を唱える人が現れたとき、自分の心の中に「説得したい」「距離を置きたい(疎外)」という“白血球の反応”が起きていないか、一歩引いて観察する内省の習慣を持つこと。
「オールドボーイズクラブ」からの脱却をデザインする: 自分が関わる重要な意思決定のメンバーを見渡したとき、性別、年齢、経歴が「似たような人間」ばかりになっていないかをチェックする。もし同質性が高すぎる場合は、あえて異なるバックグラウンドを持つ人の意見を外部から取り入れるルートを、時間をかけてでも組織内に構築していくこと。
私たちは、集団の中にいる限り、いつでも愚かになれる可能性を秘めています。
だからこそ、この本を時折めくり直すことで、自らの認知の歪みを補正する「精神の検疫」を続けていきたいものです。
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