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給与計算の前に、毎月紙を並べていた。

給与計算の前に、毎月紙を並べていた。

給与計算には、計算の前にやる仕事がある。

総務に異動するまで、そんなことすら知らなかった。理学療法士として15年、ずっと病棟や外来にいた。給与は毎月口座に振り込まれるもので、それがどうやって計算されているのかを考えたことは、ほとんどなかった。


毎月、紙と紙を並べる

決まった時期になると、勤怠管理ソフトから職員の勤務実績を印刷する。そこに、有給休暇や残業の申請内容をまとめたExcelの資料も並べる。

そして、一人ずつ見ていく。

「有給の日数は合っているか」
「残業時間は一致しているか」
「入力漏れはないか」

紙と紙を並べて、目で確認する。間違いがあれば修正して、もう一度確認する。全員に問題がないことを確かめて、ようやく給与ソフトへデータを読み込める。

これが「突合」という作業だった。

給与計算と呼んでいるけれど、実際には計算そのものよりも、この前段階にかなりの時間を使っていた。はじめは「そういう仕事なんだ」と思ってそのまま覚えた。文字にすれば「紙を見比べるだけ」なので、大変な作業には聞こえない。

でも、少しずつ気になることが出てきた。


人間の目は、疲れる

給与に関わる数字だ。一人分でも見落とせば、そのまま給与の間違いにつながる。だから自然と慎重になる。一度確認する。「本当に合っているか」と、もう一度見る。

慎重になればなるほど、時間がかかる。時間がかかるほど、疲れる。

一番怖かったのは、作業の最初と最後で、自分が同じ集中力を保てているのか、正直わからなかったことだった。疲弊するほど見落としのリスクが上がる。でも丁寧にやろうとすれば疲弊する。じわじわと、毎月気になっていた。


「合っている人まで、見る必要があるのか」

あるとき、ふと思った。

全員を確認する必要、本当にあるんだろうか。

欲しいのは「どこが違っているか」だけなのに、合っている人まで一人ずつ見ている。全員確認して、結果的に問題がなかった人たちに使った時間は、何だったんだろう。

発想を変えた。

人間が全部を見るのではなく、システムに全部比較させて、違っているところだけ人間が見る。それができれば、仕事の形そのものが変わる。


必要だったのは、技術の言葉より「業務の言葉」だった

もちろん、システム開発の知識なんてなかった。理学療法士として15年働いて、そのあと突然、労務担当になった人間だ。プログラミングは触ったことすらない。

でも、業務の中身は自分が知っている。

「この資料の、この数字と、この数字を比べたい」
「一致していたら問題なし」
「違っていたら、その職員だけ表示したい」

やりたいことを一つずつ言葉にして、AIに説明した。最初から完成形ができたわけではない。数字の拾い方が違う。判定がおかしい。表示がわかりにくい。何度も修正した。でも少しずつ、形になっていった。

難しい技術用語は知らなかった。それでも、「何と何を比べたいのか」「どんなときにエラーとしたいのか」を業務の言葉で説明すると、少しずつ形にできた。


「全員を見る」から「違う人だけを見る」へ

完成した仕組みに資料を読み込ませると、勤怠の情報と有給・残業の情報を自動で突き合わせる。問題がなければ、その職員の名前は出てこない。差異がある職員だけが、画面に表示される。

そこで初めて、人間が確認する。

仕事の順番が変わった。

以前は、人間が全員を見て、その中から間違いを探していた。今は、仕組みが全員を見て、間違いの可能性がある人だけを人間が見る。

同じ「確認する」という言葉でも、やっていることの意味がまったく違う。


任せたかったのは「判断」ではなく「下ごしらえ」

ここだけは書いておきたい。

給与計算を全部AIに任せたいわけではない。給与は、職員の生活に直結する。最終的な確認を機械に委ねるつもりはない。むしろ逆で、人間が本当に確認すべきところに集中したかった。

大量の数字を眺めて疲れた状態で見るより、「ここが違っています」と示された数か所を、疲れていない状態で見る方がずっといい。

仕組みに任せたかったのは、判断そのものではなく、判断するための下ごしらえ。そこだけだった。


仕事のやり方を変えていい、と気づいた

総務に来たばかりのころは、「この仕事はこうやるものです」と言われれば、そのまま覚えるしかなかった。紙を印刷する。並べる。チェックする。そういうものだと思っていた。

でも半年ほど経つと、少しずつ疑問が出てくる。

「これ、本当に人間がやる必要があるのか」
「全部を見る必要があるのか」

その問いをAIに投げると、今まで自分では作れなかった仕組みを形にできるようになった。

給与計算そのものはなくならない。でも、その手前にあった「人間がやらなくてもいい仕事」が、一つ消えた。

それだけのことなのに、毎月あった気の重さが、少し軽くなった。

紙をなくしたこと以上に大きかったのは、仕事のやり方そのものを変えていいんだ、と気づいたことだったかもしれない。以前の私は、与えられたやり方を正確にこなすことが仕事だと思っていた。でも、やり方そのものに「本当にこれでいいか」と問うことも、仕事のうちだった。

理学療法士として患者さんを診ていたときも、「前の担当者がやっていた訓練だから」という理由だけで続けることはしなかった。目的を考えて、手段を選んでいた。

総務の仕事でも、それは同じだったらしい。気づくのに、半年かかったけれど。

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