【東京エッセイ154】失恋に対応する愛の言葉はない
AIくんが肩を落としているので、背中をさすった。
失恋は「恋」の終わりを指す言葉であり、「恋」が相手に強く惹かれる気持ちであるのに対し、「愛」は相手の幸せを第一に考え、時間をかけて育む関係性といえます。
もう一度チャンスを、と潤んだ瞳で訴えてきたので、どうぞと答えた。
「愛」が終わったことを示す特定の言葉はありませんが、「失恋」と似た状況や感情を表す言葉がいくつかあります。例えば、「愛の終わり」、「愛が冷める」、または感情の大きな動きを表す**「別離」や「破局」**といった言葉が使われることがあります。
「失愛」は「しつあい」と読みます。これは「愛を失うこと」を意味する言葉で、「失恋(しつれん)」とほぼ同じ意味です。
こっちをじーっと見ているので、頷いたら喜んでくれた。
極個人的な意見としては、愛が『関係性』や『感情』に依拠しているのであれば、破綻や裏切り、欠如、破滅、欠落、失望等々の言葉が浮かぶ。
『失愛』と言っても、ピンと来る人と来ない人に二分されるであろう。
因みに、『亡愛』って何?とAIくんに調べてもらった。
「亡愛(ぼうあい)」は、辞書に一般的な用語としては見つかりませんが、「狂愛(きょうあい)」や「愛」という言葉から、**「常軌を逸するほど激しい愛」や「熱狂的な愛情」**を意味する言葉として推測されます。愛する気持ちが極限に達し、常識を越えるほど激しくなったり、盲用的になったりする様を表していると考えられます。
どうせなら、と思って、ついでに『無愛』も調べてもらった。
「無愛」(ぶあい)とは、愛想がなく、人に対する思いやりや親しみに欠けること、あるいはその様子を指します。特に、愛敬(あいけい)がないことや、興ざめするような不都合なこと、そのさまも意味します。
これだけでは結論を導くに材料が不足しているが、クリティカルシンキングの手法とアプダクションの概念を用い、アナロジー思考的な解釈を試みる。ひとつの仮説思考である。
間違っているかもしれないが、それでも、何も考えないよりましである。
失恋に対応する言葉は存在しない。
しかし、心にダメージを受けているのは疑いがない。
従って、『心傷』と言う言葉が、それに対応可能と推察される。
『心傷』には、外的なものと内的なものがあるが、この場合、両方であろうと考えられる。
何故なら、『自己嫌悪』や『自己否定』が同時に惹起される可能性が大だからである。
つまり、自己的な意味で心に傷をつける、ということである。
ああ…ご存知の方もいらっしゃると思うが、僕にはハートがない。心がない。それは伯父さんとの取り引きをしたからで、それについては、これまで書いているエッセイの中にも散見される。
何故取り引きしたのか、疑問に思う方がいらっしゃるかもしれないので、ひとつだけ付け加えると、心が原型を留めていなかったからで、それはまた別の機会に話をしよう。
話を元に戻そう。
失恋に対して、完全に対応する言葉は存在しない。
しかし、それに相応する言葉はいくつかある。
『少し愛して、長く愛して』という古いCMのキャッチコピーを思い出す。
これは、16~17世紀の詩人ロバート・ヘリックの作品で、原題は『Love me little, love me long』からの一節という。
原題の翻訳だと少しニュアンスが異なる。
『少しだけ愛して、長く愛して』
